ピックアップパーソナリティー

第11回 三上公也さん

― ラジオ関西へ入社して35年が経ち、さまざまな番組のパーソナリティを務めています。どのような番組を担当していたのですか?
「ギャルギャルコーベ」、「気ままなカフェテリア」、「ポップアイランド」、「ヤングコネクション」などなど…全時間帯様々な番組を担当しました。その後、1984年から11年半の間は「POP-ON TIME 三上公也の朝は恋人」のパーソナリティを務めました。この番組は朝の情報番組とトーク番組の間にはさまれた時間帯の番組だったこともあり、“Less Talk・More Music”をテーマに洋楽を中心に流す番組でした。
1995年の震災放送の後、再び「ハーイ!パラダイス旅行三上公也です」という音楽番組を担当。その後は、「三上公也CLICK TODAY」、「イブニングらじかん三上公也です」と夕方の番組を担当し、現在は朝の情報番組「三上公也の情報アサイチ!」パーソナリティを担当。このアサイチも放送開始から9年間が経ちました。

一日のスタートの時間をリスナーと共有できることの嬉しさがやりがいに繋がりますね。

― さまざまな番組を担当したとのことですが、「三上公也の情報アサイチ!」の番組での楽しみ、やりがいを教えて下さい。
朝は世の中が一番動く時間帯でもあります。通勤時間帯に聴いてくださる方も多いと思うので、コンパクトに朝一番のニュースや最新の情報を伝えるということに重きをおいています。
そして今興味のあることや、知りたいことについて、ゲストの方々へ話を伺えることも楽しみの一つです。
一日のスタートの時間をリスナーと共有できることの嬉しさがやりがいに繋がりますね。
― なるほど。では、逆にしんどさなどはありますか?
朝は弱いほうではありませんが、やはり午前2時起きはしんどいですね。
起床後は就寝中に流れたニュースやメールをチェック。身支度をして午前3時半には迎えの車が来ます。
その生活も9年続けると今ではリズムができていて、休みの日でも起きてしまいます。午前7時に起床する人とは5時間の時差があると考えると、ハワイのホノルル(時差19時間)で生活しているのと同じですね(笑)
― 出社後〜番組開始まではどのような動きなのですか?
出社後はまず番組で伝えるニュース編集が主な仕事になります。朝刊にも目を通すという時間との勝負ですね。
番組スタートまでは出演者、スタッフ全員準備に追われ一息つける時間はありません。各自準備してスタジオへ向かうため、ある意味ぶっつけ本番で放送していますね(笑)
― 番組を放送する中でのこだわりはありますか?
道路情報に加えて、お出かけ情報などの交通機関の遅延情報はマメにお届けしています。兵庫県内でどこよりも早く、分かりやすく、正確に伝えることを大事にしています。
3時間10分の放送時間内では、8時すぎのゲストコーナーが少しゆっくり話ができる時間帯。ゲストを招いてのトークは聴いている方にもほっと一息していただける時間帯かもしれませんね。

ゴーという音とともに突き上げるような揺れがきました。忘れもしません、5時46分。

― 2015年1月17日で阪神・淡路大震災から20年を迎えます。1995年、地震が起こった時、三上さんはどちらで震災にあわれたのですか?
当時、8時30分からの「POP-ON TIME 三上公也の朝は恋人」という番組を担当していたので、すでに起きて新聞に目を通していたときでした。
西の方からゴーという音とともに突き上げるような揺れがきました。忘れもしません、5時46分。
最初は地震と分からず爆発でも起きたのかと感じましたが、その後の大きな揺れで地震と分かりました。電気が消えて真っ暗の中、家族の安否、家のまわりの状況確認の後、6時前にスタジオへ電話を入れました。長田区の海岸部に火柱のようなものが見えた状況を伝えました。
― 各地へ取材に出られたのですか?
発災当時は、辺りが明るくなってから会社へ向かい、出社後兵庫県庁へ。
しかし人がおらず、状況も分からないため神戸の中心へ。倒壊した建物、火災の起きている建物もあちこち見かけましたが、消防車や救急車を目にすることもなく、サイレンも全く聞こえませんでした。
とにかく被災した街の状況を伝えたくても公衆電話が使えず、もどかしさを感じながら取材を続けたことを覚えています。夕方頃からは中継車でレポートを入れ、崩れそうな社屋に戻ったのは深夜でした。2日目からはスタジオキープとともに神戸市内を中心に被災地内を歩きました。

「ラジオから三上さんの声が聴けてホッとしました」というお便りを見て、この仕事をやっていて良かったと思いました。

― 取材先はどのような状況でしたか?
直後から継続的に取材したのは避難所ですね。最初は助かって良かったという思いで避難所へ来た人たちも、日にちが経ち、落ち着くと徐々に避難所から人が減っていきます。その中でどこにも行く場所のない人がいつまでも残っていました。避難所となっていた学校も授業を再開しなければならず、最後まで行き場に悩む人もいました。
― 震災後の放送について教えて下さい。
震災発生後から69時間、スタジオではCMも流さず生放送を続けていたため、私もスタジオに入って被災者の安否情報や生活情報などを放送し続けました。
須磨の仮設スタジオから1年半ほど放送し、平成8年8月8日午前8時8分に現在のハーバーランドのスタジオから放送を開始しました。街の復興が進む中で、「ラジオから三上さんの声が聴けてホッとしました」というリスナーの方々のお便りを見て、この仕事をやっていて良かったと思いました。

ラジオは災害が起きた時に役立つと言われていますが、ラジオも普段から聴くクセをつけて下さい。是非身近にラジオを!

― 震災から20年が経ち、神戸の街もだいぶ変わりました。この20年を振り返っていかがですか?
もう20年経ったのかというのが実感。
震災当時に産まれた人が成人し、30代だった自分も50代。時間が流れるのは本当に早いですね。
― 20年ということで取材などはされているのですか?
私たちの震災報道というと阪神・淡路大震災ですが、今は「震災」といえば東日本大震災。今後起こると予想されている南海トラフ地震に備えて津波災害の訓練も学ばなければなりません。イザというときにとれる行動は普段行っていることだけです。
ラジオは災害が起きた時に役立つと言われていますが、ラジオも普段から聴くクセをつけて下さい。携帯ラジオに加えて、スマートフォンのradikoで聴くこともできます。是非身近にラジオを!
― 今後取り組みたいことなどあれば教えて下さい。
色んなジャンルの番組を一通りやってきましたが、やはり自分の好きなジャンルの音楽を届けられるような番組を作りたいですね。
特に膨大な数々のレコードはラジオ関西の財産。そのラジオ関西にしかない音源を生かした番組ができればと思います。
プロフィール
三上公也
三上公也

東京都出身。12月5日生まれのB型。
1979年、ラジオ関西入社。阪神・淡路大震災発生当時は、出勤の準備をしていた自宅で被災。3日間69時間、被災地の見たままの現状をリポートし続けた。
現在、ラジオ関西『三上公也の情報アサイチ!』(月〜木5:50〜9:00)でパーソナリティを務める。