神戸は、日本のジャズ発祥の地と言われています。
大正12年、宝塚少女歌劇のオーケストラ出身の井田一郎をリーダーとした、日本初のジャズバンド“井田一郎とラッフィング・スターズ”が、プロのジャズバンドとして最初に演奏したのが神戸だったんです。
また、日本で最初にラジオで電話によるリクエストを行ったのは、ラジオ関西で、昭和27年のことでした。番組名は、そのものずばり『電話リクエスト』。
この電リクからも、リクエストされたジャズの名曲が、神戸の街へと流れていきました。
その『電リク』のパーソナリティーも務めた、ラジオ関西アナウンサーOBで、『神戸ジャズストリート』の司会を第1回からされている、三浦紘朗さんに、“神戸とジャズ”について、お話を伺いました。
かつて、神戸市兵庫区の新開地は、東京の浅草や大阪の道頓堀に匹敵する、神戸一の歓楽街でした。映画館や芝居小屋が立ち並び、安くて美味しい物がお腹一杯食べられる、まさに神戸を代表する大衆文化の発信地でした。昭和初期には、大衆食堂の熾烈なサービス合戦もあったといいます。
神戸発祥の大衆的な食べ物といえば、“そばめし”があります。これは、長田にある昭和32年創業のお好み焼き屋『青森』が、裏メニューとして作ったのが最初です。お客さんが、自分のお弁当の冷や飯を、そば焼きと一緒に炒めてくれと言ったのが始まりで、創業当時から作っているそうです。そのお好み焼きに欠かせないのがウスターソースですよね。ウスターソースも神戸が発祥と言われています。現在、東灘区にある『阪神ソース』が、明治18年に、当時、輸入されていたソースをベースに、より日本人に合ったソースを、と作ったそうです。
“新開地という街”について、『神戸新開地商店街協同組合』理事長の高四代さんに、また“戦前・戦後の新開地と娯楽”について、神戸市兵庫区出身で、漫談家・西條凡児の息子である、タレントの西條遊児さんに、お話を伺いました。
豚饅…関東では肉饅と言いますが、この豚饅の発祥は、神戸の南京町なんです。ちょうど去年、創業100周年を迎えた『老祥記』の創業者、曹松hさんが、子供の頃から親しんだ“天津包子”という饅頭をベースに、日本人好みの醤油味を効かせた中華饅頭を、大正4年に“豚饅頭”として南京町で売り出したのが、“豚饅”の始まりです。以来、豚饅専門店の元祖として、創業当時から変わらない味を守っています。
その『老祥記』の豚饅や、“南京町の歴史・文化”について、『南京町商店街振興組合』理事長で、株式会社『老祥記』代表取締役の曹英生さんに、お話を伺いました。
平成22年、神戸市灘区にある兵庫県立美術館と、神戸市立王子動物園を南北に結ぶ道路に、“ミュージアムロード”という愛称が付けられました。通りの周辺には、ほかにも、神戸文学館や横尾忠則現代美術館、原田の森ギャラリー、BBプラザ美術館などの施設があることから、芸術・文化の香る、より元気で賑わいのある街を目指そうと、名付けられました。
文化といえば、洋服文化の発祥も神戸なんですよ。今も元町4丁目にある、明治16年創業の『柴田音吉洋服店』は、日本人で最初に開業したテーラーです。初代兵庫県知事で、初代内閣総理大臣の伊藤博文も愛用したお店で、明治天皇のお召し服も仕立てたそうです。
“神戸ミュージアムロード”について『兵庫県立美術館』館長の蓑豊さんに、“神戸と文学”について『神戸文学館』館長の中野景介さんに、お話を伺いました。
神戸に遊びに来て有馬温泉に泊まれば、やはり夕食は神戸ビーフを味わいたいですよね。その“神戸ビーフ”の小売りを最初に始めたのは、明治4年に創業した、神戸初の牛肉販売店『大井肉店』です。初代は、播州や但馬から牛を歩いて連れ帰り、牛の解体技術や肉牛の見分け方など、品質を高めることに努めました。それが、伝統の“神戸ビーフ”を作り出したんですね。明治20年には、バルコニー付きで窓にステンドグラスをはめ込んだモダンな洋館造りの店舗に建て替え、神戸名物の一つにもなりました。この建物は、昭和42年の区画整理の際、愛知県の明治村に移築保存されました。明治35年には、『牛肉味噌漬』や『牛肉佃煮』を独自に製造販売し、保存がきくことから、土産物として全国で人気になりました。『大井肉店』は、今でもJR神戸駅から東へすぐ、元町通7丁目で、厳選した高級和牛を販売しています。
『大井肉店』とは反対の方向、JR神戸駅の西側には、有馬温泉へと続く有馬街道が走っています。昭和3年に神戸電鉄が開通するまで、神戸の市街地から有馬温泉へ行くには、この有馬街道を歩いて山越えしていました。その神戸の奥座敷、“有馬温泉”について、建久2年・西暦1191年創業の旅館『陶泉・御所坊』15代目主人、金井啓修さんに、お話を伺いました。
バレンタインチョコレートを、日本で初めて発売したのは、チョコレート、キャンディショップとして、昭和6年に神戸トアロードで創業した『モロゾフ』なんです。創業の翌年昭和7年に、ハート型の容器にファンシーチョコレートを入れたものや、バスケットに花束のようなチョコレートを詰めたものなどの、バレンタインチョコを発売しました。
『モロゾフ』の創業者は、アメリカ人の友達を通じて、2月14日に贈り物をする欧米の習慣を知ったといいます。また、昭和11年には、英字新聞に、日本で初めて、バレンタインデーのためのチョコレートの広告を載せました。
戦後も、バレンタインデーの普及に努めた『モロゾフ』。平成25年には、現在、本社のある神戸市東灘区の阪神御影駅前に、バレンタイン広場もできました。神戸は、バレンタインの聖地でもあるんですよ。
6回目は、『近代化遺産と貯水池』がテーマ。そこで、神戸の近代化遺産と貯水池について、園田学園女子大学名誉教授の田辺眞人さんに、お話を伺いました。
六甲山の夜の楽しみ方は夜景ですが、昼の楽しみ方には色々あります。その一つがゴルフ。しかも、この六甲山で、日本で最初のゴルフ場が誕生したんですよ。
イギリス人貿易商のグルームは、居留地に商館を構え、六甲山に山荘を所有していました。明治29年の夏、仲間と団欒している内にゴルフの話となり、六甲山にゴルフ場を作ろうということになりました。
早速、土地を借り、仲間を募り、明治31年から3年かけて、人力で4ホールを完成させました。その噂は横浜や長崎の外国人だけでなく、遠く上海や香港にまで聞こえたとか。最初は、仲間内だけのゴルフ場だったのが、色んな来場者も増えて来たので、さらに5ホール増設し、明治36年に『神戸ゴルフ倶楽部』を設立しました。
現在のクラブハウスは、昭和7年に建てられた物で、設計はヴォーリズです。日本で最初のゴルフ場『神戸ゴルフ倶楽部』で、あなたも一度プレーしてみてはいかがですか?
そんな、六甲の山々からの眺めが有名な神戸の夜景について、『夜景コンベンションビューロー』の丸々もとおさんに、お話を伺いました。
日本で初めて映画が公開されたのは、神戸なんです。とはいっても、今のようにスクリーンに映すのではなく、大きな箱の中でフィルムを回し、それを一人一人覗いて見るという“のぞき眼鏡式”のものでした。明治26年にエジソンが発明したこの“のぞき眼鏡”は、キネトスコープと呼ばれました。
明治29年、このキネトスコープを、神戸の銃砲火薬商が輸入しました。明治29年11月19日の夜、ちょうど関西を旅行中だった小松宮殿下をもてなす為、キネトスコープが神戸の宿に運び込まれました。翌日のお昼に神戸に着いた小松宮殿下は、夕方、このキネトスコープをご覧になられました。これが記録に残る、日本初の映画の公開で、11月19日付けの『神戸又新(ゆうしん)日報』は、「活動写真御覧」と伝え、のちに一般化する「活動写真」という新しい言葉を創って報道しています。
そして、11月25日から29日まで、神戸花隈の「神港倶楽部」でキネトスコープが一般公開されました。興行は大好評で、12月1日まで2日間延長しました。これにちなんで、昭和31年に、毎年12月1日は『映画の日』と定められました。
それでは、“神戸と映画のロケ”について、『神戸フィルムオフィス』の田中まこさんに、お話を伺いました。
3月4日は『バウムクーヘンの日』です。これは、神戸・元町にあるバウムクーヘンで有名な『ユーハイム』の創業者、カール・ユーハイムが、日本で初めてバウムクーヘンを焼き上げた日にちなみます。
ドイツ人のカール・ユーハイムは、元々、中国の青島(チンタオ)で洋菓子店をしていました。しかし、大正4年、第一次世界大戦の捕虜として、日本に連れてこられました。大正8年、捕虜として広島で暮らしていたカール・ユーハイムは、広島県物産陳列館で、日本で初めてバウムクーヘンを焼きました。それが3月4日のことだったんです。
その後、釈放され、大正10年に横浜で店を構えました。しかし、関東大震災で被災した為、大正12年、神戸の三宮に移転して洋菓子店『ユーハイム』をオープンしました。カール・ユーハイムが作った、バウムクーヘンを始めとするベーシックなドイツ菓子は、神戸に住む外国人には懐かしい味、日本人にはハイカラな味として愛されました。神戸・元町の『ユーハイム』本店は、喫茶もありますので、是非、日本で初めて作られたバウムクーヘンを味わってみられてはいかがでしょうか。
9回目の放送は、『神戸に春を告げるイカナゴ』がテーマです。
そこで、“いかなごのくぎ煮”を登録商標にしている、神戸市長田区の高級珍味製造卸業『株式会社伍魚福』代表取締役社長の山中勧さんに、お話を伺いました。
神戸の元町商店街にある宇治茶の専門店『放香堂』。天保年間に京都で創業し、慶応3年、神戸に商館を設けて、日本茶の輸出と珈琲の輸入を手掛けました。
明治7年、今の場所に宇治茶の小売店を開業。明治11年に、店内の座敷で珈琲が飲めるようになり、珈琲の粉の販売も始めました。当時の絵巻には、お店の前にゴザを敷き、焙煎した珈琲豆を広げて冷ましている様子が描かれています。これにより、『放香堂』は、日本で最初の喫茶店と言われています。
しかし、戦後は、珈琲豆の取り扱いが無くなり、日本茶の販売のみとなりました。その後も、断続的に珈琲が飲める喫茶スペースはありましたが、去年の10月、店舗の横に、喫茶店『放香堂・日本最古の珈琲店』がオープンし、本格的に日本初の喫茶店が復活しました。ここでは、創業当時の製法をイメージして再現した“復刻ブレンド”を飲むことが出来ますよ。
珈琲は、食後に飲むことが多いですが、その珈琲を飲む前に神戸で食べたいものといえば、お肉ですよね。10回目の放送は、『神戸ビーフと洋食』がテーマです。
そこで、神戸ビーフが味わえる、神戸市中央区のJA全農兵庫直営レストラン『神戸プレジール』店長で料理長の、厚澤宏行さんに、お話を伺いました。
神戸といえば、パンとスイーツの街でもありますよね。特にパンは、総務省の調べでは、平成22年から24年の平均で、1世帯当たりのパンへの支出と消費量は、神戸市が全国で1位です。洋菓子店も、老舗から新しいお店まで、美味しいお店がたくさんあります。
その神戸の洋菓子のルーツと言えるのが、神戸名物“瓦せんべい”ではないでしょうか。煎餅と言っても、うるち米は使っていません。原材料は、小麦粉、卵、砂糖。形は、屋根瓦の形をしていて、湊川神社の御祭神・楠木正成や、その家紋である菊水の紋などが、焼き印で押されています。これが、明治の初めの神戸に誕生した、カステラと同じ材料で、煎餅でもクッキーでもない、和洋折衷の元祖・神戸スイーツなんです。
明治時代から、神戸名物のお菓子として親しまれている瓦煎餅。オリジナルの焼き印を作って、イベントや行事の記念品、お祝い、ノベルティーなどに、オリジナル瓦煎餅を作ることもできますよ。
さて、11回目の今日は、『神戸のパンと神戸のスイーツ』がテーマです。
そこで、神戸市中央区にある、大正13年創業のドイツパンと洋菓子のお店『フロインドリーブ』代表取締役ヘラ・フロインドリーブさんにお話を伺いました。
第10回の放送で、日本初のコーヒーを出す喫茶店は、神戸の元町にある宇治茶の専門店『放香堂』だと言われているとお話ししましたが、日本で最初に缶コーヒーを発売したのも、神戸に本社のある『UCC上島珈琲』なんです。
昭和8年に神戸で創業したUCC。昭和44年に日本初、いや世界初の缶コーヒーを発売しました。ある時、創業者が、駅の売店で瓶入りのコーヒー牛乳を買って飲んだのですが、時間が無くて飲みきれませんでした。何せ、当時、空き瓶は、その場に戻さないといけませんでしたからね。そこで、いつでもどこでも飲めるものをと考えたのが、缶コーヒーでした。
発売当初は、販売量が中々伸びませんでしたが、昭和45年の大阪万博で、日本のパビリオンなどの8割、外資系では10割の納入率をあげました。そして、会期が夏になると、冷たくて手軽な缶コーヒーは爆発的に売り上げを伸ばしました。これがきっかけとなって、世の中に知られるようになったそうです。みなさんの回りで、よく見かけますよね。250mlの缶で、色は茶色と白と赤の三色の、UCCのミルクコーヒー。これが、今でも販売されていてロングセラーとなっている、世界初の缶コーヒーですよ。
さて最終回の第12回の今日は、『宮水がつくる灘の生一本』がテーマです。
そこで、「福寿」のブランドで有名な、神戸市東灘区にある宝暦元年・1751年創業の酒蔵『株式会社・神戸酒心館』代表取締役社長で13代目の安福武之助さんに、お話を伺いました。
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