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震災報道の記録 『被災放送局が伝えたもの』

このホームページにある全ての文書と画像等の著作権はAM神戸((株)ラジオ関西)にあります。
私的な利用以外の全ての使用・転載は理由の如何を問わず、個別の承諾が必要となります。

目 次

《1》は じ め に
《2》震災報道の検証
《3》震災直後の放送と取材活動の抄録
《4》その後の取材と震災報道の記録
《5》『あの日の私……』 社員の行動メモ
《6》各種関連資料
 (1) 震災時のAM神戸聴取状況調査
 (2) リスナー情報の分類
 (3) 震災ドキュメント
《7》写真資料
 (1) 震災直後の旧社屋の様子
 (2) 仮設社屋の様子

  • 《1》はじめに

    《1》はじめに

    『震災報道の記録をまとめるにあたって』
    AM神戸 (株)ラジオ関西 取締役・編成局長 山 田 健 人

    1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災は、一瞬のうちに5500人余りの生命を、そして、10数万所帯の生活基盤を奪うという未曾有の被害をもたらしました。AM神戸も、社屋や放送設備に甚大な損傷を受け、1週間後には、社屋を放棄せざるを得ませんでした。その中で、地元ラジオ局として、震災直後から、地域の被災者の生命を守ることを第一義として、連続69時間に及ぶ震災特別報道をはじめ、社員総がかりの救命・救援の報道活動を行いました。
    被災地の人々と局を結ぶホットラインには、3週間で6万通の安否情報や救援を求める情報が寄せられました。
    大災害に際して、ラジオがライフラインメディアとしていかに大きな役割を担っているか、地域の人々がどれほど情報源としてのラジオを拠りどころとしているかを、あらためて知らされた思いです。
    予測をはるかに超えた今回のような事態の中で、私たちがどう動き、何を伝えていったのか。そして、地域の人たちにどう受けとめられたのか。
    被災局として出来たこと、出来なかったことを整理し、検証することは、今後の災害への取り組みを考える上で、たいへん重要であると考えました。そこで、時系列の記録と、災害報道のデータをそのまま正確に、余すところなく盛り込んで、この冊子にまとめました。
    AM神戸にご支援・励ましをいただいた地域の様々な方々、そして、全国各地の関係者各位に、改めて感謝を申し上げますとともに、被災局がその存在をかけて行った災害報道の記録が、今後の各地域での防災活動に少しでもお役に立てれば幸いと存じます。

  • 《2》震災報道の検証 【1】災害への対応体制について (震災前)

    《2》震災報道の検証 【1】災害への対応体制について

    【1】災害への対応体制について(震災前)

    近畿地方では台風、水害などによる災害はある程度想定し、過去の経験もあったが、大地震に備えた想定はほとんどしていなかったのが現実だった。
    昭和59年改訂の社内における『非常災害規定』はあるが、その存在すら知らない社員がほとんどで、危機管理体制の確立を図るべくその再改訂版を作る必要性を総務・報道現場デスクで話し合っていた矢先の被災であった。

    (1)施設・器材面
    明石架橋に伴う送信障害解決のため、平成6年11月、送信所を新設するとともに、マスター機器、自家発電装置などを更新していた。
    社屋は昭和43年以来、特に耐震のための装備は更新していなかった。
    最近では建物の老朽化が急速に進み、水もれや空調の故障などが頻繁であった。

    ●スタジオ・放送機器の災害への備え
    ・スタジオ
    昭和43年建設の古いスタジオであったが、防音効果を上げるための浮き床構造が地震に対しても震動を吸収するという思わぬ威力を発揮し、周囲の破壊状況に比べ、損傷は極めて軽微であった。
    ・放送機器
    各スタジオ音響設備は、ミキサー卓等の基本システムは建設時のものを、放送現場のニーズに沿うよう適宜、補修の更新を繰り返しながら、現在に至っており、特に耐震対策は考えていなかったが、下部はアンカーで固定していた。
    反面、モニターSPやテープデッキ等は頻繁に場所を移動するため、キャスター付きの架台に乗っており、非常に不安定であり、案の定、地震により被害が大きかった。
    マスター室の各機器は、一部を除いてアンカーボルトによる基部固定で、特に対策は施していないが、この大地震に充分耐えた。
    ●報道、中継のための車両、器材は日常の放送活動に使用する域を出ず、危機管理体制強化のため、現場からは更なる充実を求める声が常にあった。
    この中で、ラジオカーは平成6年夏に四駆車を導入、はからずも今回の震災では大いに威力を発揮した。
    ●無線・中継システム
    ・無線
    当社に割り当てられている周波数は、ナローバンドVHF151.73MHzとワイドバンドUHF464-00MHzである。 各車輛に搭載して番組中継に使用している。
    神戸は、六甲山系が市街地に迫り、中継エリアが狭いので、受信基地を以下の通り設けている。
     本社演奏所ビル屋上高さ55m
     鉢伏山頂 高さ 250m
     摩耶山山頂高さ 600m
     淡路送信所高さ 135m
     姫路支社 高さ35m
    受信基地と演奏所は、専用線ないしINS回線で結んでいる。
    このうち、災害時電源バック・アップがあるのは摩耶山及送信所で、本社演奏所は複合ビルのため、バック・アップは無い。
    従って、震災時利用出来たのは、この2基地のみで、NTT専用線も切断することは無かった。
    ・中継システム
    各出先からの音声信号は、演奏所マスターの中継台に一括して立ち上がり、EQレベル調整を行ったあと、各スタジオに配信していたが、今回、NTTの専用線にはほとんど被害が無く、特に問題は無かった。
    ●停電対策
    ・中波放送局として当然の停電対策はとっており、災害時にエンジンさえ起動すれば電源は、瞬時に確保出来る。
    問題は燃料確保であり、通常の短時間停電であれば全く問題ないが、今度の地震のような想像を絶する規模では、数日間の燃料が必要となるにもかかわらず、消防法などにかかわることもあって、多量の備蓄は出来ず、当社では連続40時間分の備蓄のみであった。

    (2)人員配置と連絡体制
    非常災害時の人員配置については特にマニュアル化したものはなかった。
    ただ報道の泊まりを廃止して以来、深夜・早朝(22:30~5:30)の緊急事態については、報道セクションのみの連絡体制は決めていた。
    (守衛が報道デスクへ電話連絡。 次第によって非常呼集。)
    また、放送事故等の緊急連絡網は管理職間にはとり決めがあった。

    (3)報道方針と報道体制
    災害報道については、具体的な方針と実施方法のマニュアルが昭和59年に改訂した『非常災害規定』には記載されてはいたが十分なものとは言えず、その上、『規定』そのものが忘れられた存在であったため、実体的にはマニュアルなしの状態であった。
    昨年秋頃から編成制作局デスクを中心に災害時の報道体制などマニュアル作りを検討していた矢先であった。
    また、現場では最近の九州・北海道の水害、地震などの災害に際しての地元ラジオ局の教訓などから、災害時には被害情報とともに安否情報や生活情報を中心としたレスキュー報道がラジオの使命であるという認識があった。

    (4)他機関との情報、連絡体制
    県とは、兵庫県防災会議での取り決めで兵庫県地域防災計画の中で『災害時における放送要請に関する協定』(昭和53年4月1日)がある。
    兵庫県の災害に備えたシステム、兵庫衛星通信ネットワークに加入している。
    神戸市を始めとする県内各自治体とは、特に災害時の取り決めはなかった。
    また、ライフライン機関とは、特に災害に備えての取り決め、緊急連絡体制、情報提供システムはなかった。

    警察他の防災機関
    気象台
    直通電話、マイコスシステム
    消防局
    火災通報電話(着信のみ)、消防局に特設スタジオあり

  • 《2》震災報道の検証 【2】実際の対応

    【2】実際の対応

    (1)初動体制
    [第一報をどう放送したか]
    地震発生時は、早朝ナマ番組『おはようラジオ朝一番』の放送中であった。
    5時44分過ぎから、『朝の体操』のテープが流れていた。
    それからおよそ2分後あの地震が発生した。
    地震と同時に停電し放送は中断した。
    この時、社内では、この番組スタッフ4人の他に、6時30分からの『谷五郎モーニング』のスタッフ5人がスタンバイしていた。
    更に技術部の明け勤務者1名、守衛1名を加えて合計11名が放送活動に従事していた。
    激しい揺れが収まった後、社内の損傷が甚大だったため、危険を感じたスタッフの大半は一時、社外へ避難した。
    社内に残った2人のディレクターが電話で役員、社員へ非常呼集をかけるとともに、オンエアが可能な状態を確認し、避難していた他のスタッフを呼び戻して、午前6時の時報後、放送を再開した。
    放送中断は13分05秒であった。
    『しゃべりましょうか…はい。
    AM神戸のスタジオです。 スタジオが現在、ただいまの地震で壊れております。
    音声が途切れております。
    情報が入り次第お伝えします』。
    これが女性パーソナリティによる、放送再開の第一声であった。
    当初、情報が極端に不足し、社員による電話リポートや出社した社員のスタジオレポートが情報の大半を占めた。
    地震情報1号は6時10分頃放送、神戸の震度が判明したのは6時35分頃に放送した2号の時だった。
    気象台はじめ各機関への電話は全て不能だった。
    初期の情報源は、共同通信のFAXのみであった。
    6時30分過ぎ、気象台へ向けて最初の中継車が出発したが、無線が作動せず、電話でリポートすることになった。
    7時5分頃にラジオカーが出動、ようやく災害地の状況を現場から放送できるようになった。
    こうして、1月17日(火)午前6時から、1月20日(金)午前3時までの連続69時間に及ぶ震災特別報道が始まった。
    この後、午前8時から安否情報の放送を開始した。
    以後の震災報道は、ラジオカーリポート、安否情報、生活情報を軸に展開した。

    (2)電源放送場所の確保
    前述したように、地震発生と同時に、送信所及び演奏所は、ともに停電した。
    しかし、自家発電装置がスムーズに働き、およそ20秒間続いた揺れが収まるのと同時に搬送波が復活、局内の照明も回復し、各機器類も一部を除いて、再作動した。
    地震直後のスタジオ副調整室の中は、ミキシングコンソールの電源ユニット2台と、モニターアンプ3台などを組み込んだラックがレコードプレーヤーの上に倒れたが、ケーブルの切断がなかったため、AC電源回復後、倒れたまま正常に作動した。
    4つのスタジオのうち、録音用の3つは廊下側の壁の崩落の影響でガラスが押し潰されるなどの被害を受け、一部使用不能となった。
    しかし、オンエアスタジオは奇跡的に殆ど損傷がなかった。
    マスタールームは多くのロッカー類が倒壊したが、
    重要機器類は難を免れ、正常に作動した。
    この他、屋上に設置したパラボラアンテナ、淡路島の新送信所も何とか無事だったので放送再開にこぎつけることができた。
    しかし、このこととは別に、社屋内の壁の崩落が激しく、柱に無数の亀裂を生じるなど危険な状態であったため、震災1週間後の1月24日、東隣の関連企業のビルに緊急避難した。
    スタジオは、PAミキサー講習用の簡易スタジオを使用し、急場を凌いだ。

    (3)情報連絡システム
    ●社員非常呼集と社員連絡
    非常呼集システムは確立されていなかったが、当日の早朝番組スタッフが、一般加入電話(携帯電話も含む)による一斉呼集を行った。
    10数回のリダイアルによってようやく通話できる状況で、災害発生直後、社員へ直接連絡が取れたのは全体の1割程度にとどまった。
    被害の少ない社員の自宅間での連絡(例えば、北区~垂水区間)など比較的スムーズに接続できた回線もあり、今後の参考となった。
    当然のことながら須磨の社屋からの発信は、地震後、時間を経るごとに状況が厳しくなっていった。
    一方で、各支社(東京・大阪・姫路)との専用線は被害を受けず、連絡はスムーズに行われたが、社内設置の災害優先電話は全く機能しなかった。
    ●情報源の確保
    各ライフライン機関、気象台、消防、警察、県、市などとの連絡は、電話回線の途絶、混乱により全くとれなかった。
    兵庫県の防災用衛星通信ネットワークは県庁内のバックアップの電源装置の故障で使用不能となった。
    共同通信のFAXは奇跡的に生きており、地震情報の多くは共同FAXに頼った。
    地震直後の神戸市内、近隣市町の様子については、出勤途中の社員からの情報提供が放送に役立った。
    ●聴取者からの受信システム
    聴取者からの電話受信は7台の着信専用電話を使用した。
    普段は、リスナーからのリクエストや情報受信などに使う078-733-0123の回線は奇跡的に正常につながっており、安否情報、生活情報の受信に大きく役立った。
    しかし、この回線がふさがると731-4321や731-4323など、会社の代表番号などへも聴取者の電話が殺到した。
    ●放送機器の情報収集システム
    当社の放送設備は淡路島及び豊岡地区に重要施設があり、無線ないし有線回線(NTT専用線)で、機器の運転状況を監視している。
    幸い地震による被害はなく、正常に機能した。
    ●連絡無線・放送番組中継無線システム
    当社の場合、連絡無線としてVHF帯の1波、中継用としてUHF帯の1波の割り当てを受けているが、3ヶ所の受信施設のうち、2ヶ所はダメージを受けたが、エリアの広い摩耶山頂受信施設が健在で、事実上問題はなかった。
    ●その他
    パソコン通信を通じての、震災情報の入手を行い、大変有効であった。
    一部アマチュア無線を愛好している社員間で、アマチュア無線による情報収集を行い、大きな効果をあげた。

    (4)実際の初動対応の総括
    ●全体マニュアルがなかったため、当然初動マニュアルもない。
    まさに手さぐり状態であった。
    しかも社屋及びスタジオなどが大きな被害を受け、余震で更に崩壊が進むという危険な状態の中で、11人のスタッフの冷静な判断と沈着な行動が、一旦中断した放送再開とラジオカーによる取材活動のスタートなど、初動に大きく貢献した。
    まず、役員・社員への非常呼集にいち早く着手したこと。
    地震直後、停電・停波のあと、放送再開に向けて、波が出ていることの確認
    作業に取り組み、午前6時から放送再開にこぎつけたこと。
    更にマニュアルもなく、情報も入らない状況ながら社員への情報提供の呼びかけ、徒歩による近辺への取材など、可能な限りの手を尽くして初期の放送を支えたこと、などである。
    他局が地震後、停電状態もなかったのに立ち上がりにもたついたのと比べて、わが社の場合は最悪の状態でありながら初動に成功したのは、在社スタッフの適切な判断に負うところが大きい。
    あと1時間、発生が早ければ、社内のスタッフは泊まり勤務の技術スタッフが1名だけで、初動は大幅に遅れていたと思われる。
    ●緊急呼び出しにより、車や徒歩で出社した社員を中心に、17日正午現在には約40名のスタッフが放送活動に参加している。
    これは社の所在地が神戸市の西部にあり、社員の住所が被害の少なかった北区、西区、垂水区以西に多くあったことによる。
    ●一方、特に被害のひどかった神戸市中心部、東部、芦屋、西宮、宝塚などの地域の社員との連絡は難航した。
    当然のこととして、災害特別報道体制を組む上で、人員配置をあらかじめ読むことができなかった。
    その結果、出社できたものから配置につくという緊急体制をとる以外方法がなかった。
    ●外部からの情報としては、初期の段階では、共同FAXが頼りであったが、神戸発のニュースが少なく、内容的には決して満足できるものではなかった。
    ●各防災機関、行政、ライフライン機関などとの連絡が初期は全くとれず、情報入手が不可能な状態が続いた。
    災害時こそ必要な連絡手段・情報提供の取り決めが全くなかったからである。
    従って、当初必要な地震・余震情報、ライフライン、火災、交通などの情報は、的確に放送できなかった。
    こうした情報途絶の段階では、社員による見聞データが初期のレスキュー報道には欠かせないものであった。
    ●今回、AM神戸は、社屋・スタジオに大きな被害を受けた。
    幸い、放送の生命線だけは確保出来ていたため、放送を継続出来たが、電波が止まる停波という最悪の状態も十分考えられたことであった。

  • 《2》震災報道の検証 【3-A】放送体制について

    【3-A】放送体制について

    (1)指揮系統
    ・編成制作局長が午前6時30分、担当役員が午前7時20分頃出社、午前7時30分、震災放送本部を設置した。
    この時点では、まだ災害状況などはほとんど把握できていなかったが、地震の規模、社内の様子、それまでに入っていた断片的情報から大災害であるという認識に立ち、とりあえず以下の点の確認をした。
    ・午前6時からすでに特別報道体制(CM・番組カット)に入っていたが、そのまま継続する。
    いつまで特番体制をとるかについては、その後の状況で判断する。
    ・報道方針としては、被災地の情報、特に災害状況、住民の安否の情報、さらにライフライン、交通、道路情報ほか地震に関するニュースを可能な限り報道することによって被災した人々の不安を解消する。
    ・当面の放送維持のため、人員の把握につとめる。
    ・取材体制はすでに稼働しているラジオカーに加え、もう2台を派遣する。
    県・市の対応を取材する要員、県警取材要員の確保につとめる。
    更に余裕があれば、災害地等への取材要員を増やす。
    ・安否情報(安否を放送することは現場と協議済み)は、電話受付けのための要員(社員)が揃う午前8時に放送告知、受付を開始する。
    ・人員配置は人数が読めないので、オンエア部門、取材部門など重要部分に優先配置する。
    他セクションにも応援を求める。
    ・他局・リスナーからの問い合わせ、協力依頼、苦情処理は本部があたる。
    ・可能な限り自社の放送をモニターし、適正な形を求めていく。
    放送内容については、担当者を含め合議する。
    ・その他の指示
     ・地震関連ニュースは正時にまとめる。(震災報道)
     ・安心を与え、不安をあおらぬよう注意する。(震災報道)
     ・できるだけわかり易く、くわしく、何度も繰り返す。(震災報道)
     ・出退勤の時の本部への報告(対社員)
     ・安否や各種情報の保存(対社員)
    ・本部系統図
     (放送チーム)
     (取材チーム) 局次長・報道制作部長
     (本  部  長) (副本部長)   (情報デスク)
    担 当 役 員   局    長    (技術チーム)   技術部長
    ・本部の役割
     本部長 統括
     局長 外部対応・総合配置
     各デスク 放送進行・人員配置

    (2)要員の確保
    連絡がとれない社員及び連絡がとれても交通事情等で出社できない社員がおり、全体として要員の確保は難航した。
    必然的に出社できた人間への負担は厳しいものになった。
    また、平均1日10人近いタレント、外部委託業者が放送活動に、積極的に参加してくれたため、社員の不足を補う形となった。
    更に、営業局、総務局、関連企業などの社員も放送活動に加わり、被災各地からのレポートをはじめ、電話受けなどに活躍した。

    放送現場の参集状況
    1月17日
     地震発生時:社員3人/外部委託者8人/合計11人
     正午頃:社員23人/外部委託者10人/合計33人
     20時頃:社員18人/外部委託者8人/合計26人
    1月18日
     8時頃:社員20人/外部委託者9人/合計29人
     正午頃:社員25人/外部委託者11人/合計36人
     20時頃:社員20人/外部委託者8人/合計28人
    1月19日
     8時頃:社員23人/外部委託者9人/合計32人
     正午頃:社員27人/外部委託者10人/合計37人
     20時頃:社員22人/外部委託者8人/合計30人
    1月20日
     8時頃:社員17人/外部委託者7人/合計24人
     正午頃:社員30人/外部委託者9人/合計39人

    (3)器材の確保
    ・出先からの放送中継回線は無線と電話しかなく、無線回線確保のため、以下の措置をとった。
    400MHZ帯ワイドFM本社受信基地の確保
    400MHZの受信基地は西から鉢伏山(須磨浦ロープウエイ山頂)、本社ビル屋上、摩耶山頂(SUN-TV送信所)の3カ所があり通常適時切り替えて使用している。
    震災当日、停電のため摩耶山頂以外の受信基地は使用できなかった。
    本社屋上は一般電源を使用していたため停電した。
    本社屋上には自家発電源を供給できないため400MHZ受信機をマスターにおろした。
    中継用のコーリニアアンテナと同軸ケーブル、マイクスタンドの大を使い、ガレージの屋根に受信アンテナを設置した。
    150MHZ帯ナロー無線機の音声を放送中継回線に立ち上げる150MHZは本来中継連絡無線として使用していたため、放送回線には立ち上げていなかった。
    アンテナは本社屋上。 本体はマスターに設置していたため使用可能であった。
    ・被災スタジオからの避難
    マスターは壁が被害を受けて落ちてしまったが、各ラック等は幸いにも無傷であった。
    しかし、スタジオが使用不可能なためマスターはそのままにしてオンエアースタジオを移設することになった。
    幸いほとんど被害を受けていない本社ビル隣の関連企業が、PA・レコーディングミキサー養成用に使っていたスタジオが2つありこの一つをオンエアースタジオとした。
    このため、マスター下のホールまで24対音声マルチケーブルをスタジオまで敷設し、放送回線とした。
    臨時オンエアースタジオからのプログラム音声系統

    先方ハードコピー使用
    臨時スタジオ機材の確保
    中継用12CHの卓、4CHミキサーをオンエアー卓とした。
    モニタースピーカーは中継用アンプ付きスピーカーを使用。
    各機器の接続ケーブル、フェーダーユニットなどすべて中継用のものを流用した。
    テープレコーダー4台、DCプレーヤー2連1台録音スタジオから持ち出した。 電話ハイブリッド、切り替え機は旧オンエアースタジオのものを使用した。
    24CHマルチケーブル入力素材
    放送プログラム
    ウェーブモニター
    摩耶山400MHZ
    電話回線
    中継用INS
    共同INS
    RFネット放送回線
    交通管制センター
    子時計用時計パルス
    マスター監視用ビデオカメラ映像・音声信号
    マスター連絡用2WTel
    臨時スタジオ設置では中継用機材を所有していたためフルに活用した。
    また、中継機材等のメンテナンスが行き届いていたためすぐに使用できた。
    中継等の構築プランニングが日頃から行われていたため難なくこなすことができた。

    (4)人員配置(配置ベース)
    本社
     ニュースデスク / 1日2交替 / 2~3人
     オンエア担当D / 3時間交替 / 1~2人
     オンエアAN / 3時間交替 / 2~3人
     情報受け / 3時間交替 / 5~6人
     技術(他に機器保守) / 1日3交替 / 1~2人
    現場
     ラジオカー / 1系統当たり / 3人×4系統
     県・市災害対策本部  / 1~2人
     県警警備本部  / 1~2人
     ポイント取材 / 不定
     芦屋・西宮災害対策本部 / 1人

  • 《2》震災報道の検証 【3-B】放送体制の総括

    【3-B】放送体制の総括

    (1)指揮系統
    ・本部決定の方針を全体に説明し、それに基づいて全体が動くと
    いう基本的な面で十分であったとは言えない。
    全員が同じ情報を共有して、ことにあたるという情報の共有化の面での措置、例えば、掲示板、マイクなどの活用が十分でなかった。
    ・本部デスクの役割分担は決めてはいたが、混乱と様々な対応に追われ、
    それぞれの任務があいまいになった。
    ・異常な状況下で報道を続ける局員の士気を高め、指揮して行くという管理面も十分であったとは言えない。
    ・人員の掌握が難航し、初めての経験ということもあり、有効な配置がされなかった。
    当然のこととして、一部の社員への負担が増大した。
    ・放送と並行しての記録、情報の整理などの指示ができなかった。
    ・取材チームへの指示、バックアップ、サポートが不十分だった。
    ・前線部隊への、食料・水の補給等の援助が後手にまわった。
    ・震災報道を長期的にとらえる視点が不明確で、体制づくりも十分やれなかった。

    (2)情報デスク
    本来、一番動かねばならないセクションが十分機能しなかった。
    デスク員の大半が被災または交通事情で出社不能状態にあったことも一因であった。
    震災報道の実働部隊の先頭に立たねばならないが、いわゆるニュース編集の域を出なかった。
    日常的な情報デスクのまとまり、緊急対応体制の不十分さが露見したといえる。

    (3)放送体制
    ・人員不足から一人ひとりの負担が大きかった。
    特番体制をいつまで継続するべきかということが不明確であったため、各自が自分の行動のスケジュール化をできなかった。
    ディレクターはともかく、しゃべり手は常に不足し、特に深夜・早朝の配置は難航した。
    ・電話(安否・生活情報)受けの要員の確保も十分ではなかったが、
    役員・営業局・総務局・関連企業・タレント諸氏・外注業者諸氏が積極的に応援体制に入り、何とか継続することができた。
    しかし、電話の総量から推察すれば、相当数がかけてもかからない状態であったと考えられる。
    アナウンサー、ミキサーADの面では、早朝番組のタレント、ミキサー(外部委託)、AD諸氏の献身的な支援が大きな力となった。

    (4)取材体制
    ・ラジオカーは総じて記者、技術者、運転手というセットが固定化され、
    個人的負担が大きかった。
    レポートのできる記者不足も表面化した。
    ・県・市災害対策本部への記者派遣は一応行ったが、他社のような貼りつけ状態とは程遠かった。
    ・県警警備本部には一応常駐体制をしき、特に死亡者名簿は新聞より早くということから、最初の一週間は完全放送した。
    ・防災機関、ライフライン機関へはほとんど記者派遣はできず、積極取材はできなかった。
    ・この他、被災地の取材は、POPで、あるいはマイカー、徒歩で、なかば自発的に行われた。
    外注業者、タレント諸氏は取材面でも大きな力となった。

    (5)技術的側面
    ・ラックは耐震措置をしていたので、放送の基本ラインは無事だったが、ロッカー等が倒れて機材が散乱、破損し、中継準備に手間取った。
    ・自家発電設備がある安心感はあったが、今回のような長時間停電は想定していなかった。
    ・燃料の供給不足、停電で、本社屋上の400メガ受信機が使用できなかった。 ガレージの電動シャッターが開かず、中継車を出せないなどの事態となった。
    ・上階住宅の水道管が破裂し、スタジオ副調に水漏れがするという予想外のこともおこった。

    (6)全体として
    ・全体としてバックアップ体制が整わぬ過酷な条件下で、本社・取材先ともに全員が奮闘した。
    ・日頃の備えがない中で大災害でのラジオの役割の認識、被災者への思いは暗黙のうちに一致していった。
    ・結果として放送に統一感が生まれ、災害時のラジオとしての使命を果たすことができた。
    ・人員不足から取材面も最少限の域を出なかったこと、指揮・命令系統の不徹底、情報の送り出し、編集の不完全さ、記者不足など反省・課題は多いが、マスコミの人間という自覚にたって、現場のみならず、他セクションの社員も放送活動に積極参加し、文字通り社あげて取り組んだ震災報道と言える。
    現場に限って言えば、いわゆる報道記者-キャリアのある-が不足しており、まして大災害に対してほとんどの人間が未体験の中で、ベテラン社員の活躍が特筆される。
    ・とりわけ、初動での対応、ラジオカー取材、技術部の対応などで威力を発揮するとともに放送構築の面でもその意志が反映された。
    ・一方で、初の体験とはいえ、若手社員が自然に報道体制に組み込まれた結果、実質的報道体験で大きく成長し、その後の仕事への意欲へはねかえる効果も生んでいる。
    ・69時間ないし震災後2週間位は張り詰めた状態で放送を維持してきたが、社屋脱出後しばらくして疲労と要員不足から息切れ状態となった。
    ・2月半ばから震災を息長く伝えるための体制づくりに入り『震災情報ステーション』をスタートさせるなど再構築を図ったが、内部の温度差の拡がりは阻止できなかった。
    ・震災報道にたずさわる者と全く関係のない者がはっきり分かれだしたのは今後の大きな課題と言えよう。
    ・被災地のラジオとして、地域の期待に、一定応えることが出来たが、今後、あらたな視点で地域のための息の長い報道をする体制の整備と番組づくりを進める必要がある。
    基本的には、4月に発足した情報センター中心の再構築となることは言うまでもない。