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  • 2019年4月26日(金) 09時38分 スポーツ

    現役引退の西宮ストークス梁川禎浩「最後ああいう環境でバスケができて幸せ」


    『時間です!林編集長』内で第2・4水曜にお送りしている『ストークスなび〜すとなび〜』、24日の放送では、今シーズンをもって現役を引退することになった梁川禎浩選手を特集。ロングインタビューを行いました。(写真:ラジオ関西)

    『時間です!林編集長』内で第2・4水曜にお送りしている『ストークスなび〜すとなび〜』は、兵庫県西宮市を拠点とするプロバスケットボールリーグ、Bリーグのチーム、西宮ストークスの情報をお届けするコーナーです。

     4月19日と20日の金沢武士団との連戦をもって今シーズンを終えた、西宮ストークス。4月は無傷の6連勝、最終成績は34勝26敗ということで、中地区3位、Bリーグ2部(B2)全体では18チーム中8位という結果になりました。

     そして、びっくりした方も多いと思いますが、梁川禎浩選手が現役引退を表明しました。ちょうど2週間前(10日)にゲスト出演をしていただき、「来シーズンも……」というお話もあったのですが、1週間前の17日に引退を発表されました。そこで、今回は梁川選手の引退スペシャルとして、ロングインタビューをお送りします。

     まずは、今シーズンを終えて、今の率直な気持ちと、プロ生活10年間を振り返っていただきました。

    「正直、まだそこまで実感がなくて。毎年この最終戦が終わると、やっと休めるという気持ちがあるもので、今も、正直、『ああ〜、終わった』という気持ちがすごく強い。もう少ししたら、これ(プレーしないこと)がずっと続くのかと思うと、また(心境も)変わってくるのかなと思います」

    「最後、ああいう環境(ホームでのラストゲーム、2,490人の観衆が集ったホーム、西宮市立中央体育館で有終の美を飾ったこと)でバスケットができて、僕にとってはすごく幸せな気持ちでいっぱいです。たくさんの方が会場に来て、僕の(名前入り)プラカードや、僕のお面で応援してくれたり、最後には家族が花束を持って来てくれて、チームメイト全員と写真を撮れたのは、僕にとって最高の出来事でした」

    「プロ生活は10年間です。10年間のなかで、本当にたくさんケガもしましたし、やりたくてもできない時期もありました。一番最近でいうと、試合中に右ひじの骨折があり、バスケット選手としてシュートが打てない状況がありました。そこをどう乗り切るかは、長くプロ生活を続けるうえでは大事なこと。僕はネガティブに捉えるのではなく、たくさんの人の支えのなかでポジティブに捉えてトレーニングできたというのが、そうですね……、挫折もあったのですが、今、考えるといいことだったのかなと捉えています」

     梁川選手は10年間のプロ生活のうち、ストークスでは7年間プレーしました。ストークスのチームへの思い、引退試合のエピソードも聞いています。

    「ストークスに初めて来たときは『兵庫ストークス』で、今は『西宮ストークス』になり、いろいろ場所も変わり、チーム名も変わったのですが、このチームに対する思いはすごく強いものがあります。キャプテンの谷(直樹)であったり、松崎(賢人)であったり、道原(紀晃)などは、長い間、一緒にプレーしているので、僕のほうが先輩なのですが、何でも言ってきますし、そういう意味ではいい関係なのかなと思います」

    「(引退)試合の前後に、特に話はそんなにしていないです。この3人とも。でも、いい形で、この3人が僕を送り出してくれようとしているのは、すごく感じ取れて、それがすごくありがたかったです。たとえば、僕が最後にコートに立っていたのですが、道原がリバウンドを取って、僕にパスを出してくれて、最後、フリースローでしたが、僕にシュートを打つチャンスをくれたので。3人はどうにかして僕に気持ちよく現役最後の試合をおくってほしいという気持ちが、そのパスにもこもっていて、それはすごく感じました」

     道原選手から受け取った、思いのこもったパス。梁川選手がそれをまた誰かにパスしようとすると、全員が梁川選手のほうを向いていないという、ちょっとしたサプライズもあったそうです。続いて、気になる方も多いと思いますが、どうして引退を選んだのか、今後どうされるかについても聞いています。

    「いつというのは、はっきり僕のなかではないのですが、プロスポーツ選手をしている以上は、セカンドキャリアというのはずっと考えていました。ここ数年しっかり考えるようになったのは、正直なところ。僕のなかで次へのステップとして、ベストのタイミングで臨めるのは、今だと。家族と相談して決めました」

    「相談したのは妻です。妻には、『僕はこういう気持ちで、こう考えているんだけど、どうだ?』と聞いたら、すべて僕に任せると。僕の決めたことに全部ついてきてくれるという言葉をくれたので、相談というよりかは、後押しをしてくれたというのはあります」

    「このあとは、僕は保健体育の学校の先生の免許を持っているので、教員という道に向かい、指導者になっていければと思います。免許があるので、すぐになれる状況ではあるのですが、教職員、指導者としてはまだまだルーキーなので、勉強はしていかなければいけないと思っています」

     最後に、一緒に戦ってくれたチームメイト、今まで応援してくれたファンの方へ、メッセージをいただいています。

    「バスケ選手として意識していたことは、何かを伝えられる選手になること。それがすごく大事だと思っていました。若い選手、ストークスに残る選手には、プロスポーツ選手を続けているうえでは、誰かに何かを伝えられる、与えられる選手になってほしい。例を挙げるならば、僕が自信を持って言えるのは、ずっと続けてきた『YANAGAWAシート』(2014-2015シーズンより続けた、梁川選手が様々なハンディキャップを持つ子どもたちをホームゲームに招待する事業)は、プロスポーツ選手にしかできないことだと思っているので、これ(を続けたこと)はよかったと思います」

    「僕自身が言葉であまり何かを伝えるタイプではなかったので、それがよかったのか、悪かったのか、今はまだわからないですが、最後、試合が終わったときに後輩から『いろんなことを学ばせてもらった』という言葉をもらったとき、僕のやっていたことが間違っていなかったのかなと少しは思えたので。それはよかったことだと思っています」

    「今シーズンも、ありがとうございました! また、自分に10年間応援ありがとうございました! 一度試合会場に足を運んで見に来ていただくと、本当にバスケットボールというスポーツの魅力に気づけると思います。また、自分は引退しますが、西宮ストークスはこれからもっともっとステップアップしていくと思いますし、ステップアップしないと戦っていけないと思います。そのためには、皆さまの応援が必要です。僕が最終戦で戦った試合は、2,500人くらいの皆さまに足を運んでいただき、最高の環境でバスケができました。この環境を後輩たちにも、もっともっと味わってほしいので、ぜひ皆さん、会場に足を運んで、その環境を作ってあげてください。よろしくお願いします。ありがとうございました!」


    今シーズンをもって現役を引退することになった梁川禎浩選手がロングインタビューに応じ、引退直後の心境を梁川選手らしく実直に語っていた。(写真:ラジオ関西)

    【公式サイト】時間です!林編集長