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師匠方から若手まで、上方落語の今がわかる番組『神戸新開地・喜楽館 内海英華のラジ関寄席』。パーソナリティを務めるのは、都々逸、端唄、小唄、漫談、踊りなどの様々な芸を舞台上で披露する「女道楽」(三味線漫談)として活躍する、内海英華さん。今回のインタビューでは、ラジオから発信する落語をはじめとする演芸の魅力や、噺家に触れる醍醐味などについて、古今の演芸の酸いも甘いも知る内海さんにお話を聞かせていただきました。
私らのお稽古台は(上方落語の)四天王 楽屋でオールマイティに皆さんにかわいがっていただきました
内海英華さん「女道楽」の道に進んでいく、続けていくきっかけになったものとは?
「女道楽」ありきというわけではなかったんです。一番初め、子どもの時分は、ラジオでもテレビでもものすごく演芸番組が盛んなときで、吉本新喜劇も松竹新喜劇もあり、お笑いをベースにした番組がたくさんありました。大阪の人たちは、幼稚園の子からボケてツッコむというのが当たり前なので、別に何の疑いもなく私は小学校くらいから「噺家さんになりたいな」と思っていて、中学3年生のとき、噺家さんのところに弟子入りに行ったのですが、断られたんです。その後、18歳のときになぜか講談の道に、先代の三代目旭堂南陵のところに行くのですが。芸も難しければ、寄席の世界も難しいというのがあり、我々のときもいろいろ難しいことがあって、いったん講釈師をやめているんです。
それでも、内海カッパ・今宮エビスという漫才師の内海カッパに拾ってもらいまして、この世界にまた戻ってくることができました。そこで、20歳ごろだったと思うのですが、師匠から、「どういうスタイルでこの世界でやっていくのか」と言われまして。ウチの師匠は私を『ヴォードヴィリアン』に、いわゆる音楽ショーとかで活躍できるような、漫才をさせたかったようです。ただ、私はひとりでしか舞台をやってきたことがなかったので、吾妻ひな子さんという三味線をもって漫談をする人が先輩にいたので、「その人みたいにやっていいですか」と相談をしたら、「お前がやりたかったら、それでやったらええがな」と師匠からお許しを得て、それから三味線を習いにいくことになりました。大阪(上方)の寄席の世界は、『素手』で行くより、なんか『飛び道具』があったほうが、お客さんから喜んでもらいやすいというのがありましたし。三味線をやって、三味線漫談で行く予定だったのですが……。
その時分、お囃子さんが年配の方だったので、辞めたり引退とかしていて、ましてや、残っている偉いお師匠さんは、高いし、頼みにくいもの。私が三味線を練習しだしたと聞いた同期の人や、私らと同じ年代の人が、「英華、三味線を稽古しているのなら、終わってから一杯飲ますから、ちょっと手伝いに来てくれへんか」と。飲みたさと、お腹が減ってるから、三味線を弾きに行ったりしたんです。出囃子を弾いたり、落語ですから途中で入るものを入れたりとか。そういうのをやっているうちに、自分が行きたかった漫談のほうは全然仕事がなかったんですが。ただ、お囃子のほうは、噺家は増えてきているなか、三味線弾きはおれへんから、そっちへなぜか私のシフトが変わっていくんです。
でも、そのなかで三代目(桂)春団治がかわいがってくださったり、先代の(桂)文枝師匠(五代目)もハメモン(三味線や太鼓などの効果音のこと)が出来るんやったらとかわいがってくれはる。(笑福亭)松鶴師匠(六代目)はうちの三味線の師匠を若いときからご存知やったので、「英華ちゃんはおふみさん(三味線の師匠、桑原ふみ子)のところで稽古してるからうまい!」って言ってくれて、松鶴師匠も声をかけてくださる。だから私らのお稽古台は(上方落語の)四天王だったんです。そこで、いろんな噺家さんの気持ちもわかるようになるし、落語の中身もわかるし、自分の本職である三味線漫談についてもそう。師匠が漫才ですから、お友達もみんな漫才の師匠、浪曲の師匠もすごく仲良くしていただけるし、私は楽屋でオールマイティに皆さんにかわいがっていただきました。
なので、この『ラジ関寄席』とか、こういうもの(演芸番組やイベント)をするときも、(噺家や芸事について)そんなに苦労せず、調べなくても知っているからということでやっていくことができたのです。そして、いつか寄席の番組をしたいと思っていたとき、まず『ラジ関演芸』という、漫才の方を呼んで、ネタもしながらトークを流すという感じの番組をできることになり、そこから、今の『ラジ関寄席』に至ります。
また、私は(神戸新聞)松方ホールでの独演会で文化庁の芸術祭大賞をいただいているのですが(「平成の女道楽 内海英華でございます in 神戸の成果」が平成24年度・第67回文化庁芸術祭賞大賞を受賞)、そのときに『ラジ関寄席』で(当時司会の)小川恵理子のところにゲストで行って、「ここ(ラジオ関西のあるビル)はすごい験がええからいつでもゲストで来るで!」といってたのを覚えています。それが、今、『ラジ関寄席』を担当することになり、その際には小川恵理子に思わず「ごめんな」とメールしました。
みんな、お笑いを目指すいうところは一緒だが、扱うものが違う。
100人おったら、100人全部違う
オールマイティで、漫才師や噺家さんのこととかを全部ご存じということですが、専門の方たちによって、パーソナリティや性格が違ったりしますか?
講談というのは歴史を語るもので、落語より笑うところは少ないのですが、内容とか呼吸とか、話芸で話をひきつけていくもので、「那須与一」や「忠臣蔵」のような話を伝える、その時代のキャスター、ニュースを伝える人たち。なので、ちょっと固い人が多いかなと(笑)。浪曲は三味線の人(曲師)と一緒にしなければいけない芸で、しゃべりながら歌う人と、伴奏がないとこれは成立しないもの。浪曲のほうは、昔からネタを一門で門外不出にするというか、「家の芸を守る」という気風がありました。しかし今は若い人が増えてきたので、やっと最近はネタの交流をするようになってきましたね。だから、昔は浪曲の人たちはだいたい一門の方たちでぐっと固まって、なかなか入っていきにくい空気があったかも知れません。今では若い浪曲師と噺家さんとの交流も増えて浪曲界も変わりつつあるように思いますね。そして、上方落語は大道芸から始まっています。だから現代でもサービス精神旺盛な方が多いと思います。
講談、浪曲、落語の世界は徒弟制度(師匠、弟子)で、中でも落語界は縦のライン(縦社会)がすごいと思います。師匠が好きで弟子入りしましたが、そこには先に入った兄弟子が居て一番最後に入った人は師匠が好きで入ってきたのに、兄弟子から順番となり、先輩弟子が師匠のお世話の様子などを、ずっと見て覚える。そうして一門のルールや落語会の行儀を覚えていかなければならない。それは今でも変わりません。縦社会のイイところですね。でも、噺家の皆さんは面白いことを伝えたいとものすごく思っていて、講談や浪曲の人たちよりは少し、面白い事を考えている時間は多いかもしれませんね。落語家さんは、ものすごく面白いことを考えているお行儀のいい方たちです。漫才になるとこれがもっと砕けて、2人や3人だったりになるが、ここが一番よう練習しているかもしれない。漫才は、呼吸のええところはむちゃくちゃ練習してますわ。それプラス、『天才』という人たちが漫才のなかにはたまに出てくるが、これはその人が何をいうても面白い。ツッコミも天才やし、天才は天才同士でくっつくし。どんな性格といえば、みんな、お笑いを目指すいうところは一緒だが、扱うものが違う。100人おったら、100人全部違う。どんな商売の人とも、そういったところは変わりはないですね。
今は、噺家さんも若い女性の方が増えてきていますが、当初との環境の違いは感じますか。
ものすごい大きいですね。たとえば、『ラジ関寄席』にも出てくれた露の紫さんの師匠で、露の都さんという人が女でひとりで頑張っていたところに、私はジャンルは違いますが、(演芸の世界に)入っていったときの楽屋と、7年くらい後に桂あやめちゃんが入って来た楽屋とはずいぶん違いますね。私たちの時は、楽屋で若い女子がウロウロしてることが「邪魔!」みたいなところがありました。あやめちゃんのころになるとみんな兄弟子さんとかがすごく優しくて、守ってくれているという感じがありましたね。だから「ちょっとおねえちゃん違うよな、私らのときとは」と、それはよう言うて笑ってました(笑)。以前は女同士でしゃべっていることがないというか、一緒にならないように別々に出番を組まれます。同じ落語会で女が二人いてることなんて、まずなかったわけで。けれども、昭和の50年代は松竹芸能は女流大会という、始めから終いまで女流芸人が出る舞台が新世界の新花月であり、そういうところでの交流はあったのですが、普通なら女同士で交流はないものでした。
さて、現在の「女道楽」としての活動を含め、芸事の奥深さを感じるものはありますか。
一番初めに芸事として習ったのが講談でしたので、ベースのおしゃべりとしての講談の部分(が活きていることは)ものすごく大きい。だから、今でも2、3日(舞台で)しゃべらなかったら、(出番の前に)活舌が悪いなと思ったとき、講談の「修羅場」の一説をやったりとかします。また、落語の横で三味線を長いこと弾かせてもらっていたから、「こうやったら笑いがとれるんやな」とか、「呼吸」(テンポや間など)がわかったりして、その都度「じゃあ、それいただきますみたいな」感じで学んでいます。舞台の袖や横から見させていただいて、損なことは一つもないですね。今でもそうです。
ラジオはいろんなものを想像できるし、私たちにとってはものすごい勉強になるもの
ラジオという媒体を通じた落語など演芸の魅力についてはどう感じますか。
落語や漫才など、目の前で見たら、実際に面白い顔をしたり面白い動きをするから笑うところもあるのですが、ラジオは顔とかが見えないので、逆に自分でいろんな形を想像できるんです。それと、運転しながらとか、お仕事をしながら聞いてくださる方がすごく多いなというのが、改めてお客さまから声をかけてくださるときにわかったこと。日曜日のこの(午後3時からの放送)時間にも仕事してはるとか、クルマなんて一番混む時間やしと思いますが、(『ラジ関寄席』は)邪魔にもならず、かといって、ずっと聞いていられるもので、ものすごく精神衛生上よいものではないかなと。その代わり、言葉をものすごく選ばなければいけないというのも、こちらにはあります。想像してもらえるように言葉の数も増えていくんですが、あまり足しすぎるとなんか理屈っぽくてイヤと思われてもあかんし、言葉が足りなかったら何を言っているかわかれへんわと思われるでしょうし。だから、ラジオはやってみて、私たちにとってはものすごい勉強になるものです。
この番組は、新たな噺家さんを知る醍醐味もあるのでは?
そうですね。実際に(噺家の)落語を、演芸場まで来なくても家で聞いてもらえるというのは、彼らにとっても大きなメリットがあると思うんです。ほんまに面白くなかったら周波数を変えられたら終い(しまい)ですから。実際にそういう意識でやっている噺家の方はやはりレベルが上がってきていますし。また、この番組では、落語だけではなく、最近、講談も入れていただいたり、(所属の)会社や一門が違う方も出たり、それがええ刺激になったりもしてます。(噺家の)一門によってもネタや笑わせ方も違いますし、そういうのも楽しんでいただければと思います。
「『ラジ関寄席』に出えへんかったら、一人前の芸人と違うねん」と言うてもらえる番組に
内海さんのなかで、2020年、新たな挑戦について考えていることは?
私、今年還暦を迎えます。60になって1つの人間の節目として、若い人たちも育ってもらえるように、楽しく、時には厳しく番組をやっていきたいですね。芸人さんが若いときに「ラジ関寄席に、喜楽館に出してもろて、お客さんはいいんですが、楽屋が厳しかったですわ」というくらい、そんな感じで芸人を育ててみようかなと(笑)。「『ラジ関寄席』に出えへんかったら、一人前の芸人と違うねん」と言ってもらえるように頑張りたいです。そして、この番組でも何か企画モノなど考えていければ、より楽しめるものになるのかなと思っています。
神戸新開地・喜楽館が2018年7月にオープンし、神戸の地に上方落語の定席が戻り、『ラジ関寄席』のベースもこの場所になりました。
今まで噺家さんで神戸に行くとなれば、ほぼ三宮止まりで、せいぜい元町で行われている「もとまち寄席 恋雅亭」までだったんです。これ(喜楽館)ができたおかげで、新開地まで(常時)来ますからね。できたときは「どうやっていくねん」と、行き方もわからなかった噺家やお客さんも多かったのかも(笑)。これができる前の神戸松竹座があったときとか、我々の先輩方はみんな(新開地に)来てはった。松竹座が無くなってからは、(演芸の)ええもんを見に行くときは、神戸ではなく大阪に見に行くというくらいでしたが、これからは芦屋から西を、「繁昌亭いかんでも、喜楽館があるやん」と思ってもらえるようにできたらいいなと思います。要は「どうやって行ったらいいねん」となっても、「それでしたらね……」と、お客さんのなかでもたくさん言ってもらえるようになればと。そのためにも、(喜楽館を盛り上げるべく)ラジオでもやりますし、催し物もやっていければなと思います。
では、最後にリスナーやタイムテーブル読者の方にメッセージをお願いします。
上方落語はすごい面白いです。若いときに聞いた落語を、30代、50代、80代でそれぞれ聞いたとき、同じネタでありながら、どんどん感じ方が変わってきます。落語は皆さん方が人生経験を積んでいけば積んでいくほど、面白みが倍増していく芸。この『ラジ関寄席』を通じて、皆さん方には年代にあった落語を聞いていただいて、それをまた年数をかけてじっくりと楽しんでいただきたいと思います。
【公開収録会】
2月10日(月) 18:30~
●出演=笑福亭松喬、笑福亭生喬、森乃石松、笑福亭松五、笑福亭呂好
3月9日(月) 18:30~
●料金=前売2,000円/当日2,500円(税込・全席指定席)
●会場・お問い合わせ=神戸新開地・喜楽館
電話:078-335-7088(11:00~19:00)
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歌手の加藤登紀子さんが、同じく歌手で次女のYaeさんとともに「自然の良さを伝えながら、それを守っていくにはどうしたらよいか? だからこそ、真剣に地球環境全体について考えていく」というコンセプトのもとでお送りしているラジオ番組『加藤登紀子の地球に乾杯!』。スタートして12年が経つ長寿番組を続ける思い、そして、デビュー55周年を迎える心境などについて、パーソナリティの加藤登紀子さんにお話をうかがいました。
Yaeとは、このラジオの番組で対話という場を持てたので、この12年間、すごく貴重な時間でした
『加藤登紀子の地球に乾杯!』放送開始から12年が経ちました。この番組は、加藤さんにとってどんな存在でしょうか。
私にとって、(この番組は)「娘との対話」の場でもあるので。12年というのは、孫である、Yaeの子どもたちが生まれたばかりのときから、成長していく年月とイコールなのね。そして、歌手生活として55年という節目みたいなものを迎えていますが、そのなかで、川に例えていうと、ひとつ(本流の)川があるとすれば、ちょっと違う、小川の流れみたいなものが私のなかにできて、それがこの番組のレギュラー(毎週の放送)だったような気がします。そこはさやさやと、いつも楽しい流れがあって、「ちょっと遊んでらっしゃい」といわれているような小川で、そこでは、くつろいで娘としゃべったり、孫と出会ったり、リスナーの人たちとも話しあっていたような感じかな。そういった意味でも、すごく愛おしい感じがする番組です。
Yaeさんとの共演についての思いを聞かせてください。
この番組がなかったら、お互いどうだったかなというのは、ちょっと読めませんね。私のなかですごく大事な対話の場になってきたので。親子ってこんなに知らないことが多いのかと改めて思いますし、「こんなこと話したことなかったね」とか。
次女のYaeはとても反抗期が長かったというか、彼女も「バリアを立てていた」というんです。でも、逆にいうと、小さいころからのエピソードというか、あのときにああいう会話をしていたとか、いろんなことを思い出すのは、Yaeのことばかりなんですね……。
母としては、歌手として成功してねと思ってYaeを歌手にしたわけではなくて、これこそ、いつの間にか運命の流れがそうさせたのねというように、彼女が歌手を選んだ。だから、できるだけそばにいかないようにしていたところもあったかなと。Yaeは最初のデビューアルバムを出したとき、マスタリングが終わるまで(楽曲を)一切聴かせてくれなかった。曲作りの相談もなかったし、ボーカル録音もまったく立ち会わなかった。周りからも、「お母さんはいいの?」、「歌入れのときは来ないの?」と言われたらしいのですが、Yaeは「ひとこと言われちゃうと、発言力は無視できないし、自分もみんなも左右されるし、だから封印したのよ」と言っていました。それはそれでビックリしましたが。距離の置き方みたいなものも、Yaeとの関係では、すごく真剣に見つめていました。
それでも、Yaeとは、このラジオの番組で対話という場を持てたので、この12年間、そういう意味でも、すごく貴重な時間でした。やっと昨年、言うことを聞いてみてもいいなと、Yaeが思ってくれるようになって(笑)、(歌手として)ちょっと一緒に仕事をすることになり、プロデュースを私がして、Yaeの歌を選曲して、コンサートをひとつ作ったんです。私はそういう段階になったときは、アーティスト同士としての対等な関係でいきたいなと思って、 “対等な関係でやれるね”という足腰がYaeにもちょっとできてきたかなと。おかげさまで(番組をともに作り上げた)この12年がちょっと効いたかなと思います。
このラジオの番組は、私にとってはとても貴重な、唯一無二の媒体
この番組を放送するラジオのメディアというのは、加藤さんにとってどのようなものですか。
最初に『地球に乾杯』というタイトルをつけたとき、私はUNEP国連環境計画の大使として世界中を歩いていたときでした。「こんなに地球を見て生きているから、皆さんに世界で見てきたこと、地球環境についてお話、お伝えしたい」と思っていたなか、このラジオの番組は、私にとってはとても貴重な、唯一無二の媒体になりました。いつも決まった場所に帰ってきて、「ねえねえ……」と報告できるというのは、すごく大きなことで、大事なページをつづる場所になりました。
私の夫(故・藤本敏夫さん)も70年代あたりから地球環境のことをずっと言ってきたのですが、なかなか地球環境(問題)というのが、世の中の一番の話題になることがなかった時代が続いていました。ですが、やっとこの番組を通して、『地球に乾杯』ということで、環境問題をちゃんとしゃべっていきましょうということが前面に出せて、すごくうれしかった。そして、今は日常会話のなかでも、(地球環境について)ちょっと知っておかないとまずいなというようにもなっていると思います。そういう出来事が起こるようになってきましたし。
今後、この番組で伝えたいことを教えてください。
子育て真っ最中のYaeと番組を作っているなかで、時代の真っただ中を現役世代で生きているYaeと、いろいろ何十年分か見てきた世代の私とが対話することは、すごく大事なことだと思うんです。あまり偉そうにいうつもりはないけれど、この番組でそれができたことが、私にとってすごく大事だったというのは、皆さんにぜひ感謝したいし、これからもお伝えしたいことです。
結果として面白かったのは、好きじゃないことは、全然、仕事として成功していないこと
歌手・加藤登紀子の55年は、いかがでしたか。
めちゃくちゃ面白かったです! 時代を、半世紀以上見てきたわけだから、歌手として。こんなにすごいドキュメンタリーはないですよね。音楽シーンもどんどん移り変わる時代を見てきて、その都度、若い世代を代表するアーティストと出会ってきて、勉強、社会見学をしながら(笑)、刺激を受けながらやってきました。それが歳を取っていくということでもあるけど。違う時代とぶつかり、ぶつかり、ぶつかりしながら歩いてきました。私も、あらがいながら、私なりに、こんなのはイヤだとか、私ってなんてダメなんだとか、こんなにいいと思ってもみんなに認めてくれないとか、もどかしいときもありました。あんなに頑張ったけど足跡を残せなかったこともあるし、作ったけど、ほとんど歌っていない歌もあります。だから、いろんなことはあるけれど、ひとつだけ、なんとなく結果として面白かったのは、好きじゃないことは、全然、仕事として成功していないこと。お客さんも選ばなかったということ。だから、やっぱり人は好きなことをしなきゃダメだと!(笑) いやだなと思いながら頑張ったことは、ほとんど私のキャリアに足跡を残していないんです。
また、目上の人、力のある人を大事にして、近付いて、よろしくお願いしますと言わなきゃいけないものかもしれないけど、そういうところでも、あまりうまくいっていない(苦笑)。私は、偉い人というのは、力を貸してくれないものだと思います。偉い人はうっかり近づくと利用されます。でも、偉い人って、あまり力を貸してくれないもの。だって偉すぎちゃって、何百人もがお願いをしてくるなか、うっかり相談に乗ると、この人にもあの人にもどうするんだとなるので。偉い人ほど力になってくれない……、これは教訓だ(笑)。だから、そこまで偉くない人が大事。ちゃんと力を貸してくれる人は、お互いにちょっと困っていたり、お互いに悩みを抱えながら何かしようとしているんです。伴走者というか、近くにいる、ちょっと偉い人は大事。超えらい人はどうでもいい(笑)。ちょっと近いところで同じように悩み頑張っている人がいっぱい力をくれます。ヒントをくれたり、それは絶対ですね、仕事の経験としても。
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」の模様より
計算高くないライブのやりかた、それが「ほろ酔いコンサート」だと思っているので
毎年恒例となっている「ほろ酔いコンサート」について、今回はどのような思いで臨まれますか。
47年も経っていますが、私にとって「ほろ酔いコンサート」のステージに立つというのは、最初からすごいこと。ドキドキするし、初勝負だし、真剣勝負。それをずっとやってきて、このステージでは、いつも振り出しに戻れるような気がしています。私にとって、歌手としてすごい未熟な頃からの挑戦で、そのときの挑戦したときの気持ち、奮い立つような気持ちみたいなものが、私のなかですごく残っています。毎年、そこへ戻って、「また奮い立とうか」という思いでやっています。私自身、年齢とともに、もちろん何かが変化しているんだけど、「ほろ酔いコンサート」に立つ気持ちはあまり変わっていないです。
一昨年、5枚組で、74年の本当に初期のころの、カセットで盗み撮りみたいな音も含めて入れていたアルバムボックス(「超録 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 20世紀編」)を出したのは、「ほろ酔いコンサート」というのはそういう原点から生まれてくるものだと思ったからです。21世紀になったくらいから、録音もよくなったり、なにか音楽の完成度も高くなってきちゃって、それでつまんなくなったところもあって……(笑)。「ギターも下手なのに弾いているね」というような、ああいう計算高くないライブのやりかた、それが(本来の)「ほろ酔いコンサート」だと私は思っていますので。
そのあと、オーチャード(ホール)やフェス(ティバルホール)でやるのは、相当「どうだ!」という完成度の高いものを見せなくちゃいけない。それはそれで必要なこと。でも、21世紀くらいになると、違いをもうちょっとちゃんとしようというのは、一昨年アルバムを出したときに思ったわけ。だから、あえて「ほろ酔いコンサート」は、毎年、1971年に戻っているというものだと思って、聴いてほしいなと思うのです。
さっき偉くなるという言葉を使ったけど、みんな少しくらいは偉くなるわけ、だんだん。そうすると、「そんなことしちゃだめです」となるでしょ。でも、そういうふうになったらつまんないじゃん! そんな、ある程度のステイタスみたいなものが出てくると、人間って不自由になるのかしら。不自由になるようなステイタスだったら、いらない、ないほうがいい。それは、私の周りにいた人たちが、「だんだんと階段を上がっていくように上に上がっていったりして、下に降りられないようではだめだ。いつも下に降りて、地べたをはっているような、地べたに座っているような、そういう歌手でいろよ」というメッセージを残してくれて、それとともに、「ほろ酔いコンサート」を始めたわけだから。
たとえば、あるとき、(「ほろ酔いコンサート」の告知について)「キャンペーンとかまだやるんですか……」とか言われたこともあったけど、この情報は知らない人は知らないもの。新人でなかなか知ってもらえないときとかはよくあることですが、ある程度知っている人もいるかなとなっても、やっぱり足で動かなきゃと思うんです。それは私が好きだからそうしています。好きなように生きればいいんです! よく思うんです、そんなことをしてステイタスがどうとか、よく言われるのですが、時々自分に対して言いますよ、「いいのよ好きだったら、楽しかったらいいのよ!」と。
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」の模様より
神戸の人は、独特。主張もカラーも強くて、それが私はすごく自由に感じる
多可町でのイベントや、ラジオ関西など、なじみ深い兵庫県への思いについて。また、リスナーへのメッセージもいただけますでしょうか。
大阪でずっとほろ酔いコンサートをやってきていますが、私のファンになる人は、阪神地区が多いの。私の夫が兵庫県甲子園の生まれで、私の友達もすごく兵庫県に多い。その理由はよくわからなくて……、関西の人に聞いてみたい、「どうしてなの?」と。でも、地元度が大阪の人よりは自由なのかも。「日本人は粟おこしみたいに、『ガシっ』とくっついている。これをほどくのは大変」といった人がいましたが、大阪の人はガシっと、粟おこし的な“らしさ”が強いよね。それはまた猛烈にすごいパワーで、おこしも含めて大好きなところ。でも、なんとなくちょっと東京より横浜とか、大阪より神戸とか、ちょっと外枠にいる人のほうが気が合うところもあるかもしれない。だから、(兵庫県は)すごく好きです。
そして、「神戸の人は、独特なのね」と、いつも思います。いい意味で自分勝手。すぐ急いで隣の人にあわせたりしない。主張もカラーも強くて、それが私はすごく自由に感じるんです。「自分を出してもいいよね」とか、お互いが「どんどん出しなさい、どんどん好きにやんなさい」みたいなところを感じるところだから、このラジオの番組を続けさせてもらっても「大丈夫よ」と言ってもらっているような気がしております。皆さんも好き勝手に楽しみながら生きましょうね!
「加藤登紀子ほろ酔いコンサート2019」12月の主な予定(関西・東京)
12月1日(日)/梅田芸術劇場メインホール(大阪)
12月17日(火)/ロームシアター京都 サウスホール(京都)
12月28日(土)、29日(日)/ヒューリックホール東京(有楽町)
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地球環境を守るために役立つ知識や情報を発信し、リスナーと一緒に環境問題について考える『正木明の地球にいいこと』。この番組へ強い思いをもって臨んでいるのが、関西のお天気を30年にわたって見つめ続ける、気象予報士で防災士の、正木明さん。真摯に空と向き合ってきたなか、現代の地球環境問題への取り組みの重要性に着目する正木さんに、様々なお話を伺いました。
普通に、まともに、一生懸命、わかりやすく、丁寧に伝えること。そこにこだわってやっています。
正木さんにとってのラジオとの関わり、印象について。
基本的には僕は音楽が、どちらかというと洋楽が好きで、音楽を聴くためにラジオをよく聴いていました。あとは仕事柄、短波放送で気象情報を聞きながら天気図を書くということを、若い頃はやっていました。ラジオはその印象が一番強いですね。
天気予報など、気象関係のお仕事をされるきっかけは何だったのでしょうか。
最初のきっかけがサーフィンでした。サーフィンは20歳にはじめて、自分で波を予想したり、サーフィン仲間もみんな自分たちで天気図とかテレビの天気予報とか見ながら、自分なりに「明日は波がいいよ」とか、「何時ごろがいいよ」とか(の情報を持っていて)、僕もその流れで天気図を見るようになったんです。ただ、そのときはあまりこれを仕事にしたいと思わなくて、趣味の一角だと思っていました。大学は理工系の学部で勉強して、そうこうするうちに、某企業に就職するとなったのですが、実際に入ってみてイメージと違うのもあって。実際なにが一番やりたいのか、改めて考えて、サーフィン好きだし、そこに関連するような仕事はないかなと思ったとき、「気象だな」と。民間の気象会社の求人を見つけて、そこで面接を受けて、「来たいんだったら来ないか」ということで転職して、そこがスタートです。
それが、いまや正木さんの天職となっています。
僕の生活を支えていただく、ひとつの大きな手段にいまやなっていまして、特にテレビで長寿番組(朝日放送『おはよう朝日です!』)にしっかりとつくことができて、本当にラッキーで、たまたま続けることができたので。
関西のお天気情報の「顔」ともいえる正木さんですが、伝え手としての安心感、信頼感を強く抱かせていただいています。
たぶん長くさせていただいているから、そういうふうに思っていただけるのかなと僕は思います。僕が(天気予報を)始めた頃、(視聴者が)学生さんになって、そこから大人になって、親になって、次の世代と一緒に見てくれてという流れがあり、そのなかで今は継続して(気象予報士の仕事を)できているのかなと思います。ただ、別に僕がこれをしたから続いているんだというのはまったくなくて。仕事が広がって、ラジオ関西さんにもお世話になって、講演活動もたまにさせていただいたりしているので、そういったところはラッキーかなと。
それでも、正木さんのような気象予報士を目指す方もたくさんいらっしゃると思いますが。
よく「正木さんみたいな天気キャスターになりたいんですが、どうしたらいいですか」と聞かれるんですが、そういう人たちになにかアドバイスをするとしたら、「とにかく、自分らしさを持つこと」ということ。「きっかけは人の真似でもいいと思うし、天気キャスターとしてのノウハウを学んで、そのあとが大事だと。例えば、カンテレの片平(敦)くん、(よみうりテレビの)蓬莱(大介)くんとかは、個性があっていろいろされている。あれを僕は真似できないし、片平くんみたいにダジャレばっかり言えないし……、それはともかく(笑)。じゃあ、正木明に何があるといえば、普通に、まともに、一生懸命、わかりやすく、丁寧に伝えること。それが一番の大きな僕の特長かなと思っていますし、そこにこだわって僕はやっています」というお話を、その人たちに向けては、僕はします。
日本の天気予報は世界でもトップクラス。もっとうまく使ったら防災にもつながっていく。
お天気キャスターとして活躍されているこの30年を振り返っても、天気の大きな変化を感じられるのでは?
感じます。だいたい、梅雨や台風、大雪のシーズンなど、災害が起きやすいタイミングが毎年あるもの。そのときはそういう(天気予報の)体制をとるというのが、僕が天気予報をはじめた当初、10年~20年くらいにはあったかと思います。それが最近、徐々にそういう体制を取らなきゃいけない間でも、(大きな)災害を引き起こすような気象の現象が起きています。なおかつ、梅雨だったら今まで以上に雨量が多くなったり、台風では昨年の21号みたいに、来るとなったらすごい強い、10年ぶりの台風とか、そういうのがやってきたりする。その分、(天気予報はさらに)必要とされていると思うんです。
天気予報も伝え方が変わってきていますか。
昔は生活情報だったのが、最近はそれプラス、命を守る情報になっている。それを僕はすごく感じます。僕は気象予報士プラス防災士という資格をいただいていますが、その防災の知識も天気予報に盛り込まなければいけない。そういう僕なりの対応はしています。
防災と天気はリンクしているということですよね。
大雨が近いとき、何ミリくらい降るとか、このあたりで集中豪雨になりそうとか、そういう情報をただお伝えするのではなく、もしそうなったときやなるときに備えて、いまやるべきことは何かとか、避難の仕方とか、避難しなきゃいけないタイミングはこのあたりとか、防災情報もそうやってお伝えしないと、ちゃんと行動を起こすことはできないもの。そこはどんどん入れていかないといけません。
今の天気予報は精度も高く、当たって当たり前という感覚でもあり、プレッシャーも感じられるのでは?
ただ、元々、気象は「自然」なもの。もちろん100パーセントを目指すんですが、全部予測できたら、自然じゃないというか、僕たちが予測できないことを起こすのが自然だという大前提に立っていますので、予報が外れたときでも個人的なショックというのは別にないです。まだ予測しきれていないんだなというのはありますが。
でも、天気予報を使う皆さんからしたら、「外れたじゃないか」となるじゃないですか。そういう人たちに対して、どういう対応を僕はとるかというと、ちゃんと説明させてもらうと。とりあえず「すいません」は言うのですが(苦笑)、なぜ外れたか、梅雨前線が予想以上に活発になったとか、前線の位置が近づいてきてしまったとか、外れた原因や、こういうことも起こり得るとできたら伝えたいと思ってやっています。「自然というのは予想外、想定外のことを起こす可能性があるので、そのときに備えてください」ということを。(予報が外れても)それをプラスに受け止めて、そういう(想定外のときの)情報を伝えるタイミングであると思うので。
一方で、日本の天気予報の進化も感じます。
それだけ天気予報を皆さんが信じていただいているということ。日本の天気予報は世界でもトップクラスで、アメリカとイギリスと日本が三大先進国。そのなかでも日本は、日本列島の狭いエリアのなかでも、すごい細かい予報を出すことができる。昨年の台風21号は、関西国際空港などをはじめ大きな被害をもたらしたが、予報では、24時間前には少なくとも完璧に、スピードも勢力もコースも予想できていたんです。皆さんにとっては、そうだったのとなるでしょうが、そこは僕たちの伝え方がまだ不十分なのと、ユーザー側がしっかりと受け止める体制になっていないのと、たぶん両方あったのかなと。これをうまくつなげていくのが僕たちの仕事であり、天気予報の使い方を皆さんに説明するのもすごく大事。そのあたりがしっかりしてくると、もともと精度の高い情報なので、うまく使ったらもっと防災につながると思うんです。
地球環境問題は、一代で終わる話ではなく、次の世代、その次、孫の世代とか、どんどん続いていくもの。
さて、天気、防災とリンクするところで、地球環境があります。そこで、自分たちにできることというのをテーマに地球環境を考える番組が、『正木明の地球にいいこと』ですが、天気を常々見ているからこそ、地球環境に対してアクションを起こそうという思いが日々強くなっているのでしょうか。
そうですね。天気予報は自然を予測するものですが、自然が昔と違ってきて、地球の環境がどんどん変わってきてしまっているということがあります。大雨に対する防災と、環境保護とは、別物に見えて、むちゃくちゃリンクしているもの。天気予報は、大雨が何ミリくらいくるので備えてくださいなど、ある意味で対処法。でも、その大雨など(大きな天災)をなくす、減らすにはどうすればというところで考えていくのが、「環境問題」。地球温暖化が進むと集中豪雨が起きやすくなったり、台風が強いまま日本に来る傾向が強まっていて、これが実際に起きてしまっている。だから、僕たち気象を扱う人間も、できるだけ環境をもとに戻したいと強く思うんです。
地球環境問題への意識をさらに強くしたときはいつでしょうか。
特にその思いが強まったのは、娘ができたとき。そういう意識が上がったんですね。それまでは僕の人生、世代のことで頭がいっぱいだった。でも、子どもができた段階で環境問題を考えたら、一代で終わる話ではなく、次の世代、その次、孫の世代とか、どんどん続いていく。そういうふうに視野がむちゃくちゃ広がっていったんです。そして、娘が大人になったり、おばあちゃんになったときの環境を誰が責任をとるんだとなると、今の親である僕らじゃないかなと。「これはやらなあかんことがたくさんあるな」となって、環境問題にどんどん意識的に、積極的に取り組むようになりました。行動はまだそれほどできていないですが、いろいろ考えながら発信できるものは発信していきたいなと。その場のひとつが、『地球にいいこと』という番組です。
正木さんのこの番組への思い入れも強いものがあるのでは。
失礼ながら、ラジオ関西さんは関西圏だけのローカル枠で、30分の週1回の番組にすぎないですが、やっている番組の中身はすごい大事なものだと僕は思っています。環境問題に特化し、生活、暮らしと環境の関わりを扱う番組って、テレビでもそんなに見たことがないですし、ラジオでもそんなにないと思いますが、だからこそすごい意味もありますし、やりがいもあります。番組の価値というのもすごく高いし、高めなきゃいけないと思っています。そのなかで、スポンサーの(公財)ひょうご環境創造協会さんが頑張っていただき、イオンリテール(株)さんのお力添えもあり、続けることができています。
6月末に行われたG20(金融・世界経済に関する首脳会合)大阪サミットでも、海洋プラスチック対策などの話も具体的にあがっていました。
そうですよね。環境問題については皆さんの関心が今後、絶対に上がってくるし、上がってこなきゃいけない。そういう時代の流れになっているので。この前のG20でもペットボトルの話など進んでいましたが、そういった地球環境問題の先頭に立てればなというか、そういう意気込みでやっていますし、だからこそ、続けていきたい。ラジオ関西さんの番組ですが、いま、全国で聴くことができるし、タイムフリーでも聴くことができるもの。地球環境って関西だけでなく、日本列島全部だし、もっといったら世界規模のこと。環境を扱うならそれくらい広い視野でやらないといけない。そういう発信できる場をラジオ関西さんにいただけたというのは、これは絶対に大事にしなければいけないという意気込みでやっています。
4月からスタートした番組での手ごたえはいかがでしょうか。
まだまだ始めたばかりというか、完成には至っていないのが僕の印象です。今、素晴らしいゲストの方にも来ていただいて、いろんな情報を発信していただいていますが、そのお話をうまく僕なりに料理しながら、(ともに進行を務める)荻野恵美子さんと一緒に話をしながら、もっともっと充実させていきたい。最近では、ラジオだけでなく、SNSとかですぐ情報を発信できるじゃないですか。そういうのも駆使しながら、番組を拠点に、情報を発信できたらいいなと思っています。個人としては、今、天気予報のお仕事をさせていただいていますが、これからは環境問題のこともライフワークの1つとして、しっかりやっていければいいなと思っています。そして、実際に現場にいくという行動もこれからは増やせたらいいなと。今回『おは朝』で挑戦することになったキリマンジャロ登頂(8月23日に日本を出発)も、標高が5895mという、富士山よりもプラス2000mくらいあるところで、富士山も登ったことがない僕にとっては、むちゃくちゃ大きなチャレンジということになります。でも、そのキリマンジャロの頂上には氷河があるそうで、その氷河の規模が年々小さくなっていて、それがどうなっているかをこの目で見たいというのもあり、だからこそ、頂上には絶対にいかなければいけない。それもまったく他局のお話ですが、経験談として、この番組にも全部持ってきちゃおうかなと(笑)。もちろん、先方にはひとことはいっておきますが、それもできたらいいなと思っています。
年々、環境問題については普段のニュースでも扱われ、SDGsの取り組みなども活発になってきていますが、周知はまだ足りないと感じられますか。
今はSNSが発達し、ニュースサイトなども増えて、報道されない情報も、信ぴょう性は置いておいて、いろんな情報を見ることができますが、メディア批判というわけではないですが、あまり詳しくは発信できていないし、まだまだ足りないと思っています。たとえば、G20などの会議も行われているとはいえ、実際の自分たちの生活とはだいぶ離れているように感じられる方も多いかもしれません。その会議の結果、僕らの生活にどう関係あるのか、その辺をつなぐものがないような気がしていますので。そこが、僕たちの仕事。役割は大きいなと思います。大きな問題を身近な僕たちの生活にいかにつなげていくか。今の番組を聞いていただいたらなるべくそれがわかるようにしていきたいと思っています。
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写真左:皆川、右:はじり
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先輩社会人ロールモデルをゲストに迎えての本音トークや就職活動のワンポイントアドバイス、兵庫県内の企業情報や魅力など、60 分まるごと「就活」にまつわる話題が満載の、就活応援番組『ネイビーズアフロのレディGO!HYOGO』。そのパーソナリティーを務めるのは、神戸大学出身のお笑い芸人コンビ、ネイビーズアフロ。あるときは真面目に、あるときは面白おかしく、楽しく聴かせてくれる、皆川さんとはじりさんにお話を伺います。
「この役割を担わせてもらえる芸人ってそういないと思う」(皆川)
番組を担当されて半年、ここまでやってきての感想を聞かせてください。
皆川この番組に関しては(芸人が担当する)イメージの番組とは、ちょっと違った(就活という)情報を入れつつ、毎回、一般の方が来られて、対談やインタビューをしながら進めていくもの。そのなかで、はじりや津田さん(津田明日香アナウンサー)との関係性とかが、段々とやるにつれて見えてくる、できあがってくる感じが、すごい楽しいなと思います。普段は舞台で、お客さんが目の前にいるという状況でお仕事をしているので、そうじゃない、3人だけの空間でしゃべっていると、だんだんと「こういう人なんや」とか、「津田さんってめちゃくちゃ一生懸命やけど、抜けているところもあるな(笑)」とか。元々、「逃げ場がないから、ここでしか完結しないので、人間の深い部分も見えてくるのはラジオや」と聞いていて、まさにそうやなと。それは思いました。
普段からラジオを耳にすることは多かったほうでしょうか?
はじりいや、そんなことはないですね。「ラジオっ子」では全然なく、「テレビっ子」のほうでした。テレビはよく見ていたけど、ラジオはそんなに聴かない、聴いても親がお昼にFMをかけて、ランキングがずっと100までかかっている、そのくらいのイメージしかなかったです。けれども、芸人をはじめてから、「ラジオをやりたい」というのは若手芸人全員、ほんまに言っていますし、(番組を)いただいたときは本当にうれしかったです。実際にやってみて、お客さんもいずに、動きも表情もなしで、声だけで全部伝えるというのは、なかなか難しいことやなと、改めて思いましたね。関係性というか、パッと3人でお客さんの前でやっているほうがそれはやりやすいんやろうなと。慣れとかもあると思いますし、もっと経験がいるんやろうなと思いました。やっぱり上の方(先輩芸人)のラジオとか聴いていたら、聴きやすいなと思いますし。
皆川一般の方が毎回ブースに入ってくれるのですが、毎回ゼロから(番組の)空気を作らないとあかんというか、それはめっちゃ勉強になりますね。「こういう人なんや」って、なるべく早めに把握して、なるべく早めにしゃべりやすくさせてもらうようにする。できているかどうかは別にして、難しいなと思います。
就活応援番組ということで、固めの題材を扱うしばりがあるなか、ネイビーズアフロさんの色を出すよう求められるところもあると思います。
皆川正直、最初は芸人のラジオというイメージとはちょっと離れたものなので、もうちょっと自由な時間が多い番組ならよかったんだけどなと思ったりもしたんです。でも、よくよく考えてみたら、たぶん、この役割を担わせてもらえる芸人ってそういないと思うので、逆に割り切ってやっています。僕らにしかできひんのやったら、そこ(固いテーマ)を脱線せず、どれだけその範疇で楽しんでもらえるかを考えるというか。途中からはそういう感じで考えています。
ロールモデル(模範となる社会人)、いわゆる素人の方をいじるときの思いについて。
はじりとりあえず、怒られへんようにだけはしているんですが(笑)。けど、割と気さくな方が多いので、スタッフさんも好きにやってくれていいよ、固くならずにと。ロールモデルとなる方も、お話しやすい方が来てくれて、話が盛り上がって、その企業の話を全然していないときもありましたし(笑)。「あかんあかん」ってなって、後半にするみたいになって。内容は固いイメージですが、割と、面白おかしくやっていいよということなので、僕らもできるだけ、ええ塩梅でできたらいいなと思ってやっています。いじったりとか、こっちから話しかけたらあっちも話しやすいかなとか。
「みんな兵庫愛があって、兵庫っていい街なんやなと認識しました」(はじり)
ここまで約半年間、番組を担当されて印象的なエピソードはありますか。
はじり僕ら自身が就活を全然知らないので、まったくゼロの状態から僕たちも勉強している状態で、このラジオを始めさせていただいています。だから、出てくる情報が全部新鮮で面白い。そのなかでも就活の大変さや、面接で緊張しているときどう受け応えるのが大事かとか、就活に対して固いイメージを持っていたんです。でも、基本的には「そんなことないんだよ」と、ロールモデル(模範となる先輩社会人)の皆さんなどが話してくださっている。自己PRどうこうより、その人の人間性とかを見ているからと。番組のなかで出た「自己PRはほぼ聞いていない」という話は一番覚えていますね。そういうことも含めて、就活にまつわる話を、就活生みんなに聞いて欲しいなと思います。
皆川最初のロールモデルが津田さんだったのですが、アナウンサーになるために30社受けた話とかを聞いて、そんなに苦労してひとつの仕事を得ているんだなと。テレビ、ラジオのアナウンサーは選ばれし者で、大変なんだなと感じました。津田さんだけでなく、なにげなく街なかで毎日いろんな人とすれ違いますが、みんなこうやって苦労して、今、この仕事に就いてはるんやなというのが、一番印象的です。
はじり津田さんの発言でいうと、第1回目の放送で、ゆるキャラのことを「こいつ」って言ったこと。あれは印象に残っています(笑)。女子アナじゃないですか。僕らもちょっと緊張しているなかで、「おっ、口悪いぞ、こいつ!」って(笑)
皆川一発で見えましたね!
はじりそこで話しやすくなったところはありましたね。
多くの発見や気づきなども番組から得られるのでは?
皆川単純に来てくださる方のお話で、「こんな仕事です」といってもらった時点で、普通に個人的にも興味が出るので。ここ(台本にある質問項目)は聞きますが、それ以外もめっちゃ聞いたりするんですよ。ほんまに、来はる人、来はる人、興味深いですね。いろんな方が来はるし、「これにもこんな人が携わっていたんや」とか、「この機械がこういうふうにできているんだ」とか、毎回なるほどって感じです。
はじり兵庫でみんな仕事をしていて、「兵庫ってええとこですね!」って、それを改めて認識しました。僕らは大学で通っていましたが、そこまで兵庫のイメージがあったわけではなくて。それでも、みんな兵庫が好きで戻ってきたり、兵庫のものを使ったりとか、兵庫の中小企業を盛り上げようとか、みんな兵庫愛があって、兵庫っていい街なんやなと認識しましたね。
番組ではおふたりが津田アナウンサーをうまくいじる印象もあります。
はじり(津田アナの特徴で)「歯ぐき」とか絶対にいじったらあかんやつやん!
皆川めっちゃ「歯ぐき」とか、実家が田舎とか言ってるし。バス1年に1本でしたっけ?
(津田アナそうじゃないし!)
皆川でも、僕らからしたらこんなにいじらせてもらえるのはありがたいですね。津田さんって空気を読むのがめっちゃ上手いので、今、どっちの立場に行くべきかも、結構分かってはるんです。だから、やりやすいですよね。あとは、勉強家。毎回、予備知識とかもそうですし、僕らができないところもやってきてくださるし、それに、めっちゃ「歯ぐき」が出ているっていうのもあるし(笑)。
はじり「歯ぐき」とやる気が!
皆川やる気! 元気! 歯ぐき!
はじりそれ、「井脇」やん!(笑)
※ネイビーズアフロの2人の後ろにあるのは、神戸情報文化ビル前にある「キリン」の像です!
「からし蓮根とは、お互いにずっと番組を続けて、メインになれればいいなと」(はじり)
ラジオ関西で同じく番組を持つ「からし蓮根」さんとは、賞レースでも競い合う、いい意味でのライバル関係かと思われますが。
はじり別々の番組ですが、ラジオ関西で、普段(お笑いで)一緒に仕事をしているメンバーで(ラジオを)やらせてもらえるのはありがたいですね。一緒にイベントとかできたらなと思いますし。伊織とか特に仲がいいので、よくラジオ関西の話をします。「昨日ラジ関に行ってきた」とか、「いま貼ってあるポスターが、からし蓮根のほうがデカイ」とか、「からし蓮根のステッカーができたから、俺らもステッカーを作ってもらうように頼んだ」とか。でも、お互いにずっと番組を続けて、メインになれればいいなと。ラジオ関西といえば、からし蓮根とネイビーズアフロというように。
皆川からし蓮根は尊敬すべき後輩。でも、ちょっと芸風とかもちゃいますし、彼らには彼らの、僕らには僕らの色があったりするので。ただ、最近、うれしい発表があり、よしもと漫才劇場のメインが、これまではアインシュタインさん、トットさん、令和喜多みな実さん、吉田たちさんなのですが、それが、僕ら(ネイビーズアフロ)、からし蓮根、さや香、ラニーノーズでやらせてもらうことになったんです。この世代で大阪を一緒に引っ張る立場になるので。(からし蓮根は)ライバルですし、でも、賞レースでは1回負けているので、それは1個割り切ってという感じで、楽しく、ときには、バチバチとやれればなと思います。
からし蓮根さんが番組を持たれるとき、直前までネイビーズアフロさんが担当するという話だったそうですが。
皆川そうです。ネイビーズアフロで最終決定していて、僕らは神戸大学出身で、兵庫に縁があると。でも、(さしよりからし蓮根担当の)神吉D(ディレクター)が、「今までは兵庫に縁のある人ということだったけど、からし蓮根は熊本出身ですが、ぜひ使いたい」ということで、よしもとに番組決定の話を伝えに行く当日の朝に、神吉Dが……。神吉Dの「ロックンロール」で、からし蓮根になったんです。この番組(『レディGO!HYOGO』)が決まっていなかったら、マジで僕、何しているかわかんないですよ! この番組が決まったからよかったものの……。
はじり故・神吉Dになっていたかも……。
皆川「こかんきD」ですよね。
はじりなんやねん、それ(笑)。
皆川でも、からし蓮根とは、ラジオ関西で、これからも兵庫を一緒に盛り上げられたらなと思います。
はじりロールモデルで来てもらったらええな。熊本から出てきているわけですから。
「しゃべるときのスタンスとか、この番組をやって芸にいかされるところは、めちゃくちゃあります!」(皆川)
この番組をやって、芸にいかされるところは?
皆川めちゃくちゃあります! しゃべるときのスタンスというか、やっているうちに「もうちょっとこうしたほうがいいな」とか。今が完成形というわけではないですが、ちょいちょい思います。あとから自分で聴いて、「このスタンスはあかんな」とか、「このしゃべり方だと聴いている側に誤解されるかも」とか、そういうのはめっちゃあるので、それを(番組によって)気づかせてもらっているなというのはあります。その都度、次の収録ではちょっと変えたりやっているんですが、もちろん、まだこれからいろんな方と接すると思うので、そのなかで変えていかなと思います。ただ、なんていったらいいんかな……、しゃべり方ですかね。言葉遣いということじゃなくて、スタンス、ですかね。うまく伝えきれないのですが。
はじりなんですかね……。知らない方が毎回来てくれてしゃべるというところで、将来いろんな人、一般の方と一緒に仕事をすることも多いと思うので、初対面の人としゃべる能力は、経験になっているんじゃないかなと思います。それこそ、ロケに行きたいなという夢もありますから。街ロケに行ったとき、知らん人しかいないところで、商店街のおばさんに声をかけるとか、そういうところの経験にはいかされているんじゃないかなと思います。
皆川初めてお会いする一般の方が来たとき、こっちがどういう人かを、いち早く知ることも大事やし、こっちにどう映ってほしいかもあるので、しゃべるなかで、どう接してほしいか。それもちょっと考えて、もちろん、まだまだ全然できていないですが、ちょっとは考えるようになったというか。テレビに出てロケに行っても、めっちゃ生きてくるんちゃうかなと。「こういう人間ですよ」と提示する、でもそれは言葉でいうのではなく、態度や話す内容で暗に伝える。その練習にもなるんちゃうかなと思います。
「面白いなとか、楽しいなとかと思いながら聴いていたなかに入っている(就活の)情報って、スッと一気に頭に入ってくると思う」(皆川)
「このラジオは、かなりわかりやすく、タメになる情報が多いと思うので、絶対に聴いてほしい」(はじり)
ちなみに漫才師でなければ、芸人になってなかったら、何になりたかったですか?
皆川・はじりないですね……。
はじり強いて言えば、保育士かな。小学校から、中学の卒業アルバムにも将来の夢は保育士と書いたので。それくらいしかなかったですね。
皆川警察を受けたのも、芸人になるというゴールのために、何か特長付けのために受けてみようと思って受けただけなので。でも、芸人以外は、ほんまになくて。今、ならしてあげるよと言われるなら、宇宙飛行士になりたいかな。
はじりパイロットじゃないの?
皆川もうちょっと高度上げたいなと。でも、ほんまに、ないですね。それこそ、大学の同級生と会って、話を聞くんですが、社会人5年目でめちゃくちゃ稼いでいるんですが、まったくうらやましいとは思わないですね。けなしているわけではなく、「あっ、そうなんや」と。「別にお金が目的じゃないし」。それやったら、安くてもいいし、やりたいことをやる。ほんまにやめたいと思わないですし。(はじりと)めちゃくちゃケンカしたとき、殺したろかなと思ったりもしますが(苦笑)。でも、殺したろかなと思っているのは、はじりのほうが多いと思いますので(笑)。
はじり何回も殺してます(笑)。
皆川他の職業は、楽しそうやなと思いますが、ほんまにないですね。お金がもらえるからこっちにとかは思わないです。
はじり(他の職業を)全部1回はやってみたいなと思います。だから、興味はわきますね。内容を聞いているだけでなく、こういうところにやりがいがあると教えてもらえるので。ロールモデルの方に。そこを聞いたら、また1個やりたいなと思いますね。
では、番組リスナーさん、これから聴いてみようと思う方へ、メッセージをお願いします。
皆川歴史って、教科書で学ぶより、『ドラえもん』の漫画とかで一緒になっているやつとかあるじゃないですか。あっちで学ぶほうが絶対に頭に入っているんですよ。それと同じ感覚で、そこは僕らの仕事なんですが、面白いなとか、楽しいなとかと思いながら聴いていたなかに入っている(就活の)情報って、スッと一気に頭に入ってくると思うので、(セミナーなどの)形式張ったところに行く前に聴いてもらえると、より印象付くんじゃないかなと思います。そして、ラジオを入口で僕らのことを聴いてくださった方は、この2人はどんな漫才するんやろみたいな感じで、単独ライブもやっているので、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいです。ほぼ毎月、津田さんが見に来てくれているので、津田さんを見つけて「歯ぐき見せてください!」って言っていただければいいと思います!(笑)
はじりこのラジオは、かなりわかりやすく、タメになる情報が多いと思うので、絶対に聴いてもらって、就職成功したあかつきには、ロールモデルで番組に戻ってきてもらって、その循環でいければいいですよね。兵庫の活性化が目的ですから、そのサイクルでどんどん兵庫県に帰ってきていただいて盛り上がっていけばなと思います。「兵庫っていいところだよ」というのと、「就活にタメになるよ」と、この2つを伝えているので。一生やるので、終わる活動の「終活」になるまでやります!
皆川銅像を作ってもらうまでやりますよ!
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話題の怪談集『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房)の著者、「事故物件住みます芸人」でおなじみ、松原タニシさんが、「生きる」をテーマに不思議体験や哲学を語る番組、『松原タニシの生きる』。ラジオ関西YouTubeチャンネルでも配信中の同番組は、配信限定となった幻の第2回で、いきなり4万6千回以上の再生回数を記録。また、各媒体でも取り上げられるなど、いま、注目度の高い芸人のひとり、松原タニシさんに、番組やラジオへの想いをお聞きしました。
ラジオ関西での番組出演は、神戸人であることを思い出させてくれる
神戸市垂水区出身ということですが、地元メディア、ラジオ関西は近しい存在だったのでは?
もちろん! 特に、バッファロー吾郎さんがラジオをされていたのをずっと聞いていました(『バッファロー吾郎の電波プロレス!WCR』)。あと小学生の頃に、作文で賞をとって、ラジオ関西に出させてもらったこともあります。
そのラジオ関西で、今は番組をされている心境については。
感慨深いというか、神戸人であることを思い出させてくれるような境遇をさせてもらっています。
タニシさんが出演されて思う、テレビとラジオの違いは?
全然違いますね。テレビは、たくさんの人がかかわっているメディアなので、決まっていることの一要素として、一役割として出ることのほうが多い印象です。ラジオというのは、自分の番組もそうですし、ゲスト出演させてもらっているときもそうですが、自分の話の組み立てで、その展開が広がっていくというのが、テレビと違うなと思います。とはいえ、自分としてはまだまだできていないなと思うところも多いのですが。ラジオは、ラジオのこわさもあり、意外と、ゼロからしゃべるのはすごく難しくて。しゃべっていて、「あれ、思った展開になっていないな……」とか、後悔は多いですね。でも、それを修正できないのが、ラジオのいいところでもあったりするのかなというのは、番組を持たせてもらって、すごい感じます。
「事故物件住みます芸人」への道について、ラジオが流れを作ったところもありますか。
そうですね。もともと、他局にはなるんですが、森脇健児さんのラジオに出させてもらっているとき、自分で話のネタを集めることを教えてもらいました。森脇さんが「今週何があった?」みたいな話を振って下さり、そこを自由に自分で組み立てたネタを喋っている時間が毎週あって、そこで自分はすごく鍛えられたところもあります。そして、今度は北野誠さんのテレビ(番組)で、事故物件に住むという企画があり、そこから今に至るのですが、ただ事故物件に住むだけって、実は何もネタが生まれないもの。そこで「こんなことがあった」、「そのときこう思った」など、言葉にして伝えるとき、以前のラジオの経験がすごく生きたんです。ラジオの経験がなければ、のうのうとただ、「人が死んだだけの現場にて暮らして、ただ怖かった」で終わらせてしまっていたのかもしれません。ラジオの経験がなければ、そのときの怖いという感情に、「なぜそう至ったか」とか、「(異)音が鳴った原因とは何だろう」とか、話をつなげることができなかったんだろうなと思いました。
ラジオでしゃべったエピソードというのはすごく役に立つ。
ラジオは、経験するたびに身についていくメディア
芸人さんとして舞台でやられている形と、ラジオとではまた違いますか。
違いますね。舞台や劇場というのは、前提で、自分のキャラクターであるとかを知ってくれたうえで(観客が)来てくれている。でも、ラジオは不特定多数の人が聴いてくれているという部分もすごいあって、まずは「はじめまして」のところから、端的に、わかりやすく、自分がいま何をしている人間かを紹介しつつ、あった出来事を紹介していかないといけない。それはラジオ独特なもの。だから、ラジオでしゃべったエピソードというのはすごく役に立ちます。初対面で会った人にも、「ラジオのときにこうしゃべったから、このまとまりでしゃべると伝えやすいな」というのもあり、経験するたびに身についていく媒体、メディアだなと思います。
さて、『松原タニシの生きる』番組スタート後、はや3カ月以上が経ちました。手ごたえは?
まだまだな部分が多いですね。性格的にというのもあるし、ピン芸人というのもあるのですが、本番直前にならないと(自らの話す中身が)固まらないというのがあって、ディレクターにも毎回すごく迷惑をかけてしまっています。ブースに入ってからも、ちょっとまだまだふわふわしているのもあって、それをなんとか直したいんですが……。まだ編集に助けてもらっている感じもあります。
ちなみに、事故物件に住むということもそうですが、怪談的な話の魅力についてはどう思われますか。
香辛料に近いものがあるのかなと。最初、受け付けないものが、恐怖ってすごい癖になるというか、スパイス的な感覚が、ある人にはあるというか。怪談好きな人はそれがすごく多いのかなと思います。
「何が正解かわからないけど、やってみよう」という気になれたことが、大きかった
タニシさんが実際に「事故物件住みます芸人」をやり始めたときの思いについて。
(最初は)むちゃくちゃイヤでしたが、いま思えば、本当にいいタイミングだったかなと。(芸人として)10年くらい、全然、「お笑いに裏切られる」といったら(言い方が)おかしいかもしれないですが、自分が面白いことを自分なりに探し求めても、それを評価するのは他人だなと、10年くらいたって、ようやく気付くんですよ。そうなったとき、答えがわからなくなってきていたんです。そのタイミングで「事故物件に住む」という機会をいただいたので、「何が正解かわからないけど、やってみよう」という気になれたことが、大きかったのかなと。そこでは「これは絶対やめておこう」という気にはならなかったですね。
以前は、怖さに過敏だったりしましたか?
怖いのは、怖かったですね。霊感があるわけではないはずなんですが。この「事故物件(住みます芸人)」で、人の生き死に、心霊的なところに足を踏み入れてから、すごいわかることが多くて。事故物件の場合だと、偶然かもしれないですが、「こういう亡くなり方だったから、こういう現象が起きたのかな」という部分があったりするんです。たとえば薬の過剰摂取でなくなった人のところに住んでいたとき、部屋に入るとすごい力が抜けるという現象があって、「これはなんか関係があるのかな」とか。あと、1つの部屋で2人が亡くなっているところがあって、そこに住んでいるとすごい頭が痛くなるんですが、これは、「亡くなった人の何か怨念的なことで頭が痛くなっているのか」、それとも、「もともと頭が痛くなる部屋だから、そこで亡くなってしまった人が2人もいるのか」、住んでみてそんなことを考えるようになりました。また、心霊スポットにいくと、そういった場所には、いまわしい歴史であったり、悲しい歴史というものがあって、昔の人がそれらを隠すためにというか、関わらせないために、「ここにはこんな幽霊が出るよ」と、子供たちだったり、人を近寄らせないようにしていたとか。そういうところからわかってくるのが面白いし、人間的だなと。そういう興味がどんどん湧いてきます。いわゆる「知りたい」というものですよね。
触れなかったものをのぞいてみたくなる探究心がわいてきましたか?
そうですね。そのなかで、大人になって、心霊スポットをいっぱい回ったり、事故物件にいっぱい住んだりしていると、地元って、そういえば、いっぱい古墳があるなということに最近気付かされたんです。神戸に住んでいるときも近くに大歳山遺跡というのがあって、竪穴式住居とかが復元されているんですが、そこは普通に小学校の頃とか友達と遊んだり、中学校の頃には友達とだべって(しゃべって)いたりした場所。そこに前方後円墳もあるんです。また、家の裏には舞子墓園というお墓があるんですが、そこに石谷の石窟という横穴式の古墳もある。地元が歴史的にもともとお墓のある地域だったんだなと。そういう意味では、(自らがやっていることは)あっていたのかもしれません。事故物件に住む前に、実はもともとお墓の上に住んでいたりしていたのかなと。そういったことがつながるのは面白いなと思います。
事故物件に住んで、(事故物件に住むことを)不謹慎と思うこと自体がどうなのという疑問がわきました
番組のタイトル、「生きる」について。事故物件というものを通して、生の実感、生の執着を感じられながら話しているところもありますか?
もともと、事故物件に住むって、イメージ的には不謹慎と思われる部分で、でも、実際に住んでいると、不謹慎と思うこと自体がどうなのという疑問がわきました。人は全然死んでいくものだし、現実、誰にも看取られずに死んでいく人もいっぱいいて、それを認めたうえで生きていくほうが普通であるべきというか、そういうことを思うようになって。だから、「生きる」というタイトルにさせてもらったのはありますね。人生の先輩方からしたら、「おまえは35、36歳くらいやし、まだまだ若いやん」ってすごい思われそうですが。どんどん歳をとるにつれて、自分が思い描いていた人生とは変わっていく、違っていくのを感じています。20歳のときにはこうなって、25でこうなって、30になったらこうなっているだろうとかっていうのと、全然思っていた人生じゃないほうに展開していく。でも、「それは自分だけじゃないよな」、「自分以外のやつもそうだろうな」と。幽霊だの、事故物件だの、死にまつわるものばかり向かっていたら、自分もそっちに全然向かっているんだなというのもありますし、歳をとると、(必然的に)死へ向かっていくものですが、そう考えると、だからこそ、もっと「生きること」を大事にしないといけない、楽しまないといけない気がしていますね。
「事故物件に住む」という経験をしてから、生活の端々も変わってきましたか。
余計なことは考えないようになってきたというか、「時間がもったいない」と。どうしても、嫌いな人、嫌な人って絶対にいると思うんですが、その人のことを考えていてももったいないなと思ったりとか。そう思うと、逆にすっきりしてきたところはあります。
ちなみに、余生何年とか言われた話もありましたが、そういうことを意識したりしますか。
逆にいいきっかけだなと。別に(予言を)100%信じているわけでもないし、そういうのも乗り越えていくというのが好きで、心霊スポットを乗り越えるのもそうですが、寿命何年とかいわれて、「いや、全然生きるし!」とか思っちゃうので。逆に面白いなと、ありがたいなと、そういうきっかけをくれて。でも、そういわれることで、逆に死を意識して、生を大切にするという意識が働くというか。それはありがたいなと思います。
それでは、最後に、番組リスナー、そして、このインタビューの読者へメッセージをお願いします。
「生きる」というタイトルですが、「こう生きたほうがいいですよ」とか、「皆さんこうしましょう」というのはまったくなくて。僕が本当に、皆さんに向けてだったり、自分自身に向けてしゃべりながら自分に反芻しているというか、そういうのを自由にさせてもらっているラジオなので。それを、聴いてもらって、もしリスナーさん自身になにか共感、共鳴してもらえる部分があるのならば、うれしいというか、共感してくれてありがとう、という思いです。
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この10月からスタートした、日曜深夜の注目番組。実力派コント師、お笑い芸人のチョップリンがお届けする隔週日曜の30分は、その名も『日曜チョップリン』。念願でもあった、地元・兵庫県で初めての冠ラジオ番組。彼ら独特の世界観をまじえつつ、番組への想い、意気込みなど、ユーモアあふれるインタビューの模様をお届けいたします。
地元でできるのがうれしい! 1個『レイヤー』がない感じ(西野)
地元・兵庫でのラジオ番組ということで、感慨深いものがあるのでは?
西野ずっとラジオはやりたかったのですが、地元で今回できるとなって、なんて言うんですかね……、まず、家から近いじゃないですか、そこがね、とにかくまずはうれしいです。自分らの近いところの話とかも、結構、違和感なくしゃべれるし、説明をしなくてもいいというのは、ものすごい楽しいですね。
小林高校時代、僕らは元町で降りていたんです。だから、ほんまに、高校時代に戻ったような感じもありますね。(ラジオ関西周辺の)街並みを見ていたら。
西野そうやな。ほんとに、この辺(ハーバーランド)はよく来るので。だから、めちゃめちゃうれしいですね。1個『レイヤー』がないというか、そのままパッとできるみたいな感じは(地元でのラジオには)ありますよね。
深夜ラジオへの親しみについて。
小林中学のときとかは、受験勉強しながらラジオを聴いていましたから。小学生くらいのときの技術の時間に自分が作ったラジオとかで。
西野あったな! あと、こいつ、昔は『銀歯』で受信して聞いていたみたいですから! 口のなかで、アメリカのラジオがぱーっと流れたらしいんで(笑)。
小林(笑)、ラジオっ子です!
西野(小林は)ラジオ口です!( 笑)
小林小学校のとき、僕、海沿いにいたんです。障害物がアメリカまで何もないんで……、
西野四国とかあるやろ!
小林でも、『銀歯』で受信するって、これ実はある話なんですよね。僕、調べたんですけど。
西野曲は何が流れていたんやったっけ。
小林レッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)!
西野これは定かではないですよね……、レッチリというのがね(笑)。えらいメジャーなとこがかかってたんやな!
小林まあ、途切れ途切れですけど。
ラジオは「ながら」のよさみたいなものがある。
「ながら」で聞いてもいいような感じでやれれば(小林)
ちなみに、話は変わりますが、普段のコントは作り込んで臨むほうですか?
ラジオ番組との共通点はありますか?
西野コントによりますね。「これはちゃんとやったほうがいい」とか、「これは3~4点くらい(決めごとを)決めるだけで(あとは流れをみながら)やったほうがいい」とか。ラジオはそっち(後者)のほうがいいんちゃうかなというのはありますね。
小林ラジオは「ながら」のよさみたいなものがあるし、「ながら」で聞いてもいいような感じでやれればなと思います。(親交のある中村)佑介くん(※「中村佑介の一期一絵」パーソナリティ、イラストレーター)は、以前、僕らのラジオを聴きながら「心地よくなって寝てしまった」と言っていたのですが(笑)、そういうのも全然ありかなと思いますね。(深夜)1時台やし、子守歌みたいになってね。
番組でも、こういう自然な感じで、ありのままを聞かせたい感じですか?
西野そうですね。本当にそれができたら一番いいですけどね。なんか肩に力が入ったりとか、勝手に自分らで、これ言ったらどうなるやろとか、勝手に考えてしまったりして、なんか歯切れが悪くなったりだとか。でも、そういうのは考えずにいきたいなと思います。
お2人の交友関係の広さもあると思いますが、初回に声優の神谷明さんがゲストで電話出演されていたのには大変驚きました。
西野・小林ありがたいです!
西野神谷さんは僕らのコント番組に出てくれたという最初の縁があり、そこからライブに来てくれたりとかもあったので、今回(電話出演を)お願いしたら、快く引き受けてくれたんです。しかも、最後、神谷さんの代表するキャラクターを全部放り込んで、どなりみたいなのまでしてくれて、本当にすごい人ですよね! 実際、裏(普段)でも、むっちゃかっこいいですから。芸人さんのかっこいい師匠みたいな、
小林一緒やな。本当に粋な人です!
神谷さんを含めて、そういう出会いがあったのは、これまでの経歴があったからでは?
西野そうですね。でも、本当に優しい先輩が多かったなと、この歳になって、本当に思いますね。若いときには全然気づかなかったんですが。「じゃあ自分はどうやねん」といえば、「全然あかんな」と……。だからもっとね、『なめられるもんはなめていこう』と(笑)。『しがんで、しがんで、しがんだろう(しがみつこう)』と、根性は出てきましたけどね。
「全然やり抜けていない。まだまだ」(西野)
「凝縮したら3年くらい」(小林)
2019年は、チョップリンさんがコンビを結成して、20周年になるようですが、あっという間でしたか?
西野あっという間といえば、あっという間ですかね。
小林そうですね。
西野(芸能界に)入ったときが23(歳)だったので、僕らは。それでも遅いほうといわれていましたし。
小林遅かったよね。
西野自分が23で入ったときに、横山たかし・ひろし師匠が、ちょうど今の自分らくらいの歳やねん。
小林そう、それで「師匠」と言われていたね。
西野今の僕ら、師匠感はゼロでしょ。だから、(たかし・ひろし師匠は)すげえなと。
小林まあ、時代が違うからね。
西野僕らは師匠なんて言われたことがないし、もしそんなこと後輩が言ってきたら完全に(彼らは)いじってますよ! 「チョップリン師匠」ってなったら。
小林今はもうみんな養成所(出身)になっているからね。
そのなかで、ここまでやり抜いてきている自負みたいなものは?
西野全然やり抜けていないです。だから、まだまだです!
小林凝縮したら3年くらいやな。
西野23で入ったときくらいより、今のほうが、気持ち的にはごっつ(すごく)若くなっていると思います。フレッシュ感みたいなんは、今のほうが強いと思う。
小林なんで?
西野なんでなんやろな。入ってきたときのほうが、もっと落ち着いていたような気がする。
小林ものすごい、「とんがっていた」もんな。
西野今のほうが、「楽しい」、「楽しい」と、すぐ思ってしまうから。
小林先が短いんちゃう、そう思い出したら……。
西野どうなんやろな……、先が短いかもしれんな。そういう感じになってきているかなと。僕は。
若いときには、自分の型にこだわっていた?
西野それは思いますね。
小林特にこっち(西野)が。ガチガチでしたね。
西野ガチガチやったかもしれないですね、そういう意味じゃ。今はこっち(小林)のほうが(こだわりが)ガチガチですから。
意外です。小林さんはいろんなものに寛容な感じに思えました。
西野そういうイメージはあると思いますが、意外とね、うるさかったりするんですよ、今は(昔とはお互いのイメージが)逆転しているかもしれないです。
小林歳をいくと頑固になるっていうやん。まさにそれ。
西野だからおまえも、先が短いんちゃう?!(笑)
「今の『銀歯』でラジオ関西を受信したい」(小林)
「受信できるくらい電波びんびんでいきたいですね!」(西野)
さて、話題はまた変わりますが、ラジオでの出演は、テレビとはまた違った感覚になりますか?
西野僕はテレビよりもラジオのほうがやりたいですね。
小林また競技として違うというか……、
西野……はい?(笑)
小林同じスポーツ(ジャンル)やけど、
西野「競技として違う」、今の言葉、メモしてください! テレビもそんな出てへんのに、そんな競技しらんやろ、おまえ! しぶいな! 例えるなら、テレビはスポーツでいうと?
小林100m走!
西野ラジオは?
小林マラソンやね。
西野全然違うね!
テレビのほうが瞬発力がいる?
小林そうです!
西野ラジオは持久力というか、じっくりとペースをとっていく感じ。
小林そうそう、ペース配分をとってね。
西野長丁場でね。
小林途中でドリンクとったりとか。
西野なに言うてんねん!(笑) なるほど、そういう意味での「競技が違う」ってことね。すごくわかりやすかったは、今のは。
それでは、最後にこれから番組でやっていきたいことを教えてください。
西野神戸で、せっかく地元でやっているので、『神戸向上(計画)』みたいなコーナーもやっていますし、なにかイベントを僕らがやるとなったとき、神戸のお店とコラボして、1個のものができたりとか、このラジオ関西から発信してできたら、なんか面白そうやなと思います。
小林僕は西野と一緒で……。
西野それはあかんで! 最後の最後に一緒はあかんやろ!
小林うーん……(しばらく黙考)。
西野放送事故やな!
小林神戸だけでなく、大阪とかも聞こえるんですよね。そうか……。
西野いや、そうかって、自分で語らんといてくれ!
小林じゃあ、今の『銀歯』で、ラジオ関西の電波を受信したいなと。
西野しぼりだして、しぼりだして、遠い『天丼』(※同じギャグで笑いをとること)で終わりましたよ!(笑)。でも、まあね、受信できるくらい電波びんびんでいきたいですね!
小林そうです!(笑)
西野『銀歯』で蓋締めましたね!
The post 第28回 チョップリン(2018年12月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
]]>The post 第27回 ひづきようこさん、松山勘十郎さん、木原浩勝さん(2018年8月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
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“歌う怪談女”ひづきようこさんと、“怪談好きプロレスラー”松山勘十郎さん、そして、伝説の実話怪談本『新耳袋』シリーズでお馴染み、“怪異蒐集家”木原浩勝さんの3人でお送りする、『怪談ラヂオ~怖い水曜日』。台本なしで進められる本格派怪談番組への関心はウナギ登りで高くなっており、Podcastの月間ダウンロード数は驚異の30万越え! いわゆる「お化け番組」になりつつありますが、人気の秘密は、『リアリティ』を常に意識した怪談トーク。その真相をうかがいました。
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誰かひとり欠けてもダメ。本当に唯一無二の番組です(松山)
3人の出会いと、『怪談ラヂオ』がスタートした経緯を教えて下さい。
ひづき以前、『ふるさと怪談トークショー』というのがあったとき、そこで私もゲストとして呼ばれたんだけど、シークレットゲストということで木原さんが登場されたんです。
木原さんはあまり楽屋にいらっしゃらなくて、お客様と一緒にまじって、雰囲気をみたりしながら、そのときにお客さんの(客)層をみたりして、話す内容を変えたり、ぶっつけ本番で(トークが)できる方。私とか、他の出演者のしゃべりを客席から聞いていたみたい。あとから挨拶をさせていただいたときに、お声がけいただいたのが最初の出会いです。
私も歌い手で、普段お客様のほうを向いて歌うので、その癖はついているわけで、トークショーだけど横にいる人じゃなく、お客さんのいるほうを向いてしゃべっていたら、その姿をすごくほめてくださって、「君、ちゃんと前を向いてしゃべっていた」と。
当時ラジオ関西で他の番組をやっていて、夜中の枠があるということを耳にして、怪談番組をやりたいと思っていたんです。そのとき、そのタイミングで木原さんともお話をさせていただいて、「夜中の枠ですが、よかったらご一緒させていただきませんか」とお声がけしたら、「まだ怪談が関西で浸透していない部分がいっぱいあるから、もしそれで番組ができるんだったらぜひ」と言ってくださいました。
そこから夜中の番組がスタートしたんですが、(松山)勘ちゃんについては、私の知り合いの方から「怪談好きのレスラーがいる」ということで、それもまた面白いなということになり、紹介いただきました。以前にプロレスを見に行ってお会いしていたんですが、まさかその方だとは思わなくて(笑)。
松山拙者も実際、『新耳袋』が好きで、(木原さんの怪談の)本も読んだし、映画もドラマも見たしというところからスタートして、聞いてくださっているリスナーの皆さんと比較的近い心境でやらせてもらっているのかなというのは思うんです。
ただ、そのなかでも、自分が出過ぎることもなく、自分自身の立ち位置もしっかり自覚しながらやっています。ラジオ番組としてもやっぱり勉強になりますし。
ひづき私たちは(怪談の)体験談はお互いにあるんですが、木原さんみたいに、怪談に対して特化した知識というのがないので、番組を通じて勉強しているというか、知っていくこともたくさんあります。
松山木原さんに考え方を変えていただいた部分もすごく大きいです。
ひづき一見、木原さんというのは、パッとお会いした感じは、すごくとっつきにくい部分もあるんです。気性とか。
でも、番組を一緒にしていくにあたって、木原さんの優しい部分を垣間見たりするんです。私たちにしか見せない顔もあったりするので。すごく今は楽しくさせていただいています。
松山拙者はプロレスラーで、ひづきさんは歌手で、人前に立つ共通点が木原さんもトークイベント等でありますが、でも、共通点はあるけど、まったく違うジャンルの3人が集まって、そこでこんな番組ができあがっているのがいいなと。
ひづき視点が私たちはまったく違うしね。
松山拙者たちとしても日々勉強ですし、ファンの方を飽きさせないというのも、我々共通の常にある課題。ジャンルの違う3人だからこそできる、この集まった化学反応を出したい。
ひづきそれに加えて、佐々木ディレクターがマニアックなくらいの怪談、怪好きなので。
松山これ、いい意味で、ど変態ですよ!
ひづきここは入れてほしい! 「佐々木ディレクターはど変態だ!」と(笑)。
佐々木ディレクターの変態度が、この番組を支えているんです!
松山そう、間違いない! 拙者も変態ですし(笑)。そういう意味では。
失礼かもしれないけど、ひづきさんだって……。
ひづき変態ですよ!
松山なんかしら皆さんそういう要素があると思うし、だから、そこがまたいい。
ひづきいろんな味があるから。
松山普通の人が普通にラジオをやったって、たぶん何も面白くないですからね。だから、誰かひとり欠けてもダメですよね。そういう意味でも、本当に唯一無二の番組ですよね。
『怪』って風化しないもの。そこも(怪談の)魅力のひとつじゃないかなと思うんです(ひづき)
そのなかで、怪談の醍醐味について聞かせて下さい。
松山もちろん、怖いですよ、(怪談番組を)自分たちでやっていても。でも、人間って、怖いものみたさの感情って、絶対にあると思うんです。そこを刺激されるのが、すごく心地よいというか。「なんか覗いてみたい」という、その代表例だと思うんです。
ひづきある意味、非現実ですよね。怪談って。
そういうところって、人って興味がひかれるところだと思うんです。
松山(怪談は)怖いんですが、一度はまっちゃうと、なかなか抜けられない。
不思議ですが、辛いカレーほど、また食べたくなるような感じ。『なんか聞いちゃう』、それに尽きるんですよ。
『怪談ラヂオ』の魅力はどこにあるのでしょうか。
木原まずおさえなければならないのは、5月度Podcastの集計が33万ダウンロード越えだったということ。このラジオ離れが大きく言われる昨今、昨年あたりから、ほぼ30万ダウンロードという数字を下げることなく、徐々にじりじりとここまで持っていくことができたのを、不思議に思わなければいけません。
そのなかで、第1に、この番組は非常にせまいレンジ(範囲)を狙った、日本唯一の怪談専門ラジオ番組で行こうぜというのが、当初からありました。専門番組であると、当然専門でしゃべってくれることが好きだという人たちが、こぞって聴いてくれるわけです。
そして、『耳で聴く怖さ』というのは、『目で見る怖さ』とはちょっと違う印象度をそれぞれに与えてくれるからこそ、ラジオ(の番組)が面白いと思います。分かりやすく言うと、テレビやインターネットで怖い映像をバーン(と映す)みたいにやると、他に想像力の余地もへったくれもなく、見たまんまになる。そうなると、「これはないで」「作ったんやろ」「ようできてるな」と言うような、ビジュアルに関しての話題や印象度に終始しがち。心のなかの残像度が薄くなっているがゆえに、怖さはどこへやらとなる。想像力を奪って、心のなかに滞空する気持ちが、映像だと弱いということを意味していると思います。
映像ではない、想像をかきたてられるラジオだからこそのよさがある?
木原ラジオは聴きながら、自分の生活の周りが舞台っぽく聞こえてくるもの。
この番組(怪談ラヂオ)は体験談を御寄せいただいてやっていますが、たとえば「ある家の方の台所で起こったことなんですけど……」っていうと、「うちにもあるやん、台所って……」、となる。そのなかで、「なにがあったの……?」と、そば耳を立てて聴いて、印象が残って、「今週のラジオが終わった」とふっと振り返ったら、台所が真っ暗。さっき電気を消したからそのままなのですが、「なんかイヤやな……」という、聞いたあとの残像が妙にイヤなものを残してくれて、「まさかとは思うけど、この聞いた話というのは、うちには起こるまいなと、わからないよね、起こったらいややな」というようなことを、ラジオは、どうやらなんとなくできるようなんです。
怖い話に特化するよさもありますか。
木原番組のなかで面白くはしますが、怖い話の話題だけに特化していて、ほかに触れないという形をやっていくことによって、「専門的だな」となると思うんです。
また、『怪談ラヂオ』が、他の番組と大きく変わったことの1つに、専門番組だから、心霊用語とか、オカルト用語とかが飛びかうのかと思っていたら、一切出てこないこと。それ自体、たぶん画期的だったと思うんです。
「先祖霊が地縛霊となって、あなたのそばについているんですよ……」みたいな、霊能者と呼ばれたり、テレビに出てくる霊能タレントさんがやる技というのは使わない。なぜならば、(霊というのは)説明できるようなものでもないし、証明できるものでもなかったりするからです。「分からないものは分からない」、それでいいんです! 『わからないもの』がわかるように、わからない言葉でしゃべるから、(テレビの怖い番組などは)「わからないんです……」ということがあると思うので。
たとえば、「そこに女が立っていたんです」「うわっ、こわっ!」って言われても、「別に女が立っていただけじゃ怖くもないだろう」と思うわけです。過剰な盛り上げ、大げさなリアクションというのが、余計に「怪談って、インチキくさくて信じられない」という空気を作り始めていたと思うんです。「ぎゃーっ!」とか「ダダダダー!」みたいな効果音を当てている方もいますが、古今東西、そんなにぎやかな怪談はないですから。包括的にいって、そういう番組が多かったなか、この番組は全然違うので。
ひづきよくその辺にありふれている怪談は、この番組ではあまり話さない。そういうところも『怪談ラヂオ』の人気のひとつかなと思います。実際の『怪』って、オチはないものですし。
松山初めて木原さんに会ったときに、まずそれを言われましたよ、拙者も。
「それこそがリアリティだ。創作じゃないんだから」と。
ひづき作り込まれたものではなく、じわじわくる、そのあとを自分で想像できるというか、妄想するというか。それこそ怪談なんじゃないかなと思います。
松山だから人によっては、そういう感覚を理解してもらうまでに、時間がかかる人もいるかもしれない。
でも、本当に怪談が好きならば、必ずその境地に達することができると思うんです。
ひづき『怪』って風化しないもの。そこも(怪談の)魅力のひとつじゃないかなと思うんです。
数字的だけではなく、方向性的には、これが最先端な生トーク番組なのかもしれません(木原)
『リアリティ』が、この番組を惹きつけている要因になっているんですね。
木原だから、リスナーの投稿はバッサリ切るわけです。「これが入っていないから、本当に勘違いではないですかね」とか、「こういうことがあるなら、おそらく事前にこんなことを感じとられているはずですが」とか、推理推測で投稿の完成度に対して言葉を出すわけです。
だから、たまに大絶賛するときもありますよ。「これはすごい! 本に使いたいくらい」と。素人だとか、文章のうまいうまくないとかではなく、あったことを、心理をそのままのせて伝えることって、結構OKなんです。心理が入っていないと、本人の体験にしては、他人事に聞こえるわけですから。
松山個人的に、今までずっとやっていたなかで、一番印象に残っているのが、都市伝説の話で、木原さんから逆に投げかけられたテーマがあって、「電柱の陰から子どもを狙っている口裂け女の、後ろ姿を想像してごらん」、と。「なんか馬鹿みたいですね」となって、そこを切り口に、表面上でしか知らなかった都市伝説とか、いろんな多角的な観点というのを教えていただいたりとかしています。
ひづき怪だけじゃなく、そういう都市伝説とか、たまに宇宙人の話とか出たりするよね。
松山ただただ怖いだけじゃなく、不思議な話だったりとか、ちょっとほろっとくるような感動系の話があったりだとかもします。そういうところが、この番組の、リスナーの皆さんを飽きさせない大きな要因なんでしょうね。
ひづきそれも、台本がないので、急に突拍子もなくその話が出るのも、また楽しいんです。
松山拙者たちもついていくのが結構必死ですから。
ひづきめっちゃ必死です! 番組中に怒られていますから、私たちも。
また、この番組では、怪談に関して、一切の妥協を許さないという姿勢も感じます。
木原ここではリスナーの体験談に「怖いですね!」という迎合を、一切やらない。日本唯一の怪談専門ラジオ番組、専門でやっているから、厳しくやっているというスタンスが伝わるようにしています。応える僕らも(言ったことが)そのまま放送されちゃうかもしれないから、言葉を選んで、誤解が生まれるかもしれないけど、個性を全開にしてお客様に伝えている結果、こんな(Podcast月間30万ダウンロード越えという)数になったんじゃないですか。
つまり、本気度が伝わっていると思うんです。そして、本気でやっている、リスナー投稿を題材に、ナチュラルな松山勘十郎と、ひづきようこが、木原浩勝に対して、「応えてくれ!」と迫ってくる。ということは、「応えられるのか……」という空気感がなんとなくある。そこで「いや、それは……」とか、「うーん……」とか、そういうのを切らずに(放送に)残っている面白さがあります。
もし、「あっ、それはですね」と(すんなりと)入っていたら、「都合のいい応えが出るように、手紙を読んだあと、自分の本とかバックに持って来ている資料を見て『あった!あった!』みたいなことをやっているから、こんなにすぐにぺらぺらとしゃべれるんだ」というようなこと(感想)になる。そういう裏側を読む、小さなマスコミの検証能力みたいなものは、きっと今のリスナーはお持ちだと思うんですよ、なんとなく。
だから、そういった意味でも、数字的だけではなく、方向性的には、これが最先端な生トーク番組なのかもしれません。
それにしても、『怪談ラヂオ』では、時々、本当に怪現象があるのには驚かされます。
松山あるんですよ、これが。どうしてもラジオだから我々の声でしか現場の状況を伝えられないじゃないですか。でも、本当にあるんですよ。このスタジオの、今、拙者が座っているこの席でも、マイクがひとりでにクイッと動いたりだとか……。
ひづきありますね! 番組回で起こるときも本当にあったので。
松山だいたい、ヘッドフォンから変な音が聞こえたりだとか、結構あるよね。
全く別の番組の音源が入り込んだこともあったんですよね。
ひづきありました! あれは本当の怪でしたよね。
松山尺(番組の放送時間)がピッタリやったんよね。
ひづきそんなこと不可能やからね。
松山そのときおらんかったはずの、ひづきさんの声も入っていたんですよ。
あれは語り草ですよ。
ひづき作ろうと思ってもできないよね、あの編集は。
松山作ったとしても、そんなことをする意味もわからないし。あとは勝手に機械が止まっていたりしたこともありましたし。本当にそういうことがあるんだなと。
決してそんな気楽にやっているつもりでもないんですが、改めて、そういったジャンルへの敬意とかは常に忘れないようにできればなと思います。
それでは、最後に、番組の今後に向けても聞かせてください。
松山これからも、どんどん番組のリスナー数も増えて、もっともっと広く認知されてほしいなと願っています。
ひづきもし可能であれば、今年中に怪談トークショー、公開録音とか1本できればなという思いがありますし、そのときには、ぜひたくさんの方に来ていただけるのではないかなと思います。
「別冊 怪談ラヂオ」大好評配信中!
番組内ではもちろん、書籍やイベントでも今まで詳しく語らなかった…、いや語れなかった、木原浩勝のここだけでしか聞くことのできない、とっておきの話をメインに怪異や不思議な話を交えて語ります。番組ファンはもちろん、木原ファン、実話怪談ファンは必聴!
有料配信だからこそ聴ける「稲川淳二盗作問題」なども、ぜひチェックを! ご購入はラジオ関西オンラインストアで!
(iPhone・iPadでダウンロード商品の音声をお聴きになる場合は、まずPCでダウンロードしていただき、iTunesで同期してiPhoneに転送してください)
The post 第27回 ひづきようこさん、松山勘十郎さん、木原浩勝さん(2018年8月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
]]>The post 第26回 中村佑介さん(2018年6月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
]]>ASIAN KUNG-FU GENERATION、さだまさしのCDジャケットや、『謎解きはディナーのあとで』をはじめとする書籍カバー、最近では阪急電鉄のラッピング列車を手掛けるなど、数々の人気作品を世に送り出すイラストレーター・中村佑介さんによる初のラジオレギュラー番組『中村佑介の一期一絵(いちごいちえ)』が、この4月からスタートしました!
地元で念願のラジオ番組に挑戦し、鋭い感性と『ほんわかキャラ』で、日々出逢ったコトやモノについて語る20分間が好評を博すなか、中村さんにラジオや番組への想いを伺います。
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なっちゃん(池田奈月アナウンサー)が誘ってくれたので、二つ返事で「ぜひとも!」と。
ラジオ番組初レギュラーへの想いを聞かせてください。
昔からラジオ番組をやりたい夢を持っていました。でも、僕の場合はタレントでもないし、いちイラストレーターというよりただリスナーとしてラジオが好きで、自分でずっとインターネットラジオとかもやっていたものの、民放では難しいんだろうなと思っていました。そう思っていたところに『なっちゃん』(池田奈月アナウンサー)が声をかけてくれたんです!
なっちゃんが僕の大阪展覧会のときにインタビューしてくださって、すごい話しやすいというか、「かゆいところに手が届くようなインタビューを、関西でもされる方がいるんだ」って驚きましたし、そんななっちゃんが誘ってくれたので、二つ返事で「ぜひとも!」と。
番組でコンビを組む池田アナウンサーの存在は本当に大きいですね。
ラジオ番組を担当されて、リスナーとのやりとりなど、新鮮な感覚などはありますか?
今はインターネットがありますし、ラジオもハガキよりメールでの反応が多くなってきているので、距離感という点では、「ラジオだから」というメリットは特にないのかもしれません。
でも僕にとって、やっぱりラジオの仕事は憧れだったので。学生を卒業して15年くらいずっとネットラジオや講演会を続けていたので、自分をプロモーションする話し方はできるんですけど、ラジオでは毎回違ったお題を20分にまとめるというような、そういう能力が本当に全然まだないので。
それはすごく勉強になりますね。『ストーリー漫画』じゃなくて、『四コマ漫画』を描く形にしなければいけないというか。そこが面白いですね。
今、できないことがあればあるほど、すごく楽しいですね。
「あっ、今回できるようになった」と毎回放送のたびに喜んでいます。
番組では、いい意味で突っ走られる中村先生と、そこでしっかりとコースをとっていく池田アナウンサーと、役割ができている感じがします。
もう、『なっちゃん』の掌で転がされているだけでございます(笑)。
それはともかく、ラジオというのはたぶんそうだと思うのですが、この番組の場合だと、僕と池田アナウンサーの関係性において、僕と池田アナウンサーが仲良くないといけないし、信頼しあっていないと、リスナーの方ひとりひとりが「その空間(番組)に入りたい!」とは思えないと思うんです。
だから、リスナーとパーソナリティとの距離感というのをより近くに感じてもらうためにも、もっと(番組を)続けていって、あ・うんの呼吸を仕上げていかないといけないんだなと思います。
『謎解きはディナーのあとで』東川篤哉著(小学館刊)
イラストとラジオのつながりはどう感じられていますか。
あまりそこを考えていません。ほかにも文章を書く仕事や、音楽活動(バンド『セイルズ』)をやっていたりしていますが、「この表現だからこの媒体を選ぶ」とかそういうことではなくて。
ただ、(ラジオ番組を新たに担当することなど)できないことがあって、教えてくれる人がいるという環境は、本当にありがたいと、楽しいと思うんですよね。大人って、怒られないというか、新しいことを勉強するなら、自発的に本を読むくらいしかできなくなります。特に僕はフリーランスなので、自分のイラストというのは、自分が王様というか、自分会社の社長で、そしてまた別の自分を働かせている感じなんですが、ラジオはそういうのではないので。今、できないことがあればあるほど、すごく楽しいですね。「あっ、今回できるようになった」と毎回放送のたびに喜んでいます。
だから、あまりイラストとラジオの仕事は別で、逆に、そこに甘えたらいけないというものがラジオだと思うんですよね。僕も、絵の話を聞かれたときはしますし、イラストレーターというユニークな立場で話すことはあっても、「僕のイラストはご存じのとおり~」みたいな前提で話すことは、たぶんやっちゃだめなんですよね。すると、新しいリスナーとは知り合えないですもんね。
音楽の教科書『高校生の音楽1』(教育芸術社)
聞いている人の生活の習慣のなかに入っていくことが目的であり、理想ですね。
さて、中村さんが考えるラジオのよさとは?
〈ビジュアルがない〉ということですね。同じトーク番組でも、たとえばテレビだと、視聴者はあくまで観覧者として参加して、良くも悪くも、自分が輪の外にいる雰囲気があります。
でも、ラジオは音だけを頼りに、頭の中で空間を想像しているから、例えば客席ではなく、『徹子の部屋』のあのソファに自分も座っているような勢いで楽しめるイメージがあるんですよね。ラジオのよさってそれですよね。また、ビジュアルがないからこそ、イメージが柔らかく変換されて、多少羽目を外したような発言が許されるというか、それも強みだと思います。
番組の未来予想図はどう描かれていますか。
とにかく半年、1年、3年と続けていきたいですね。そのために、自分が何をすればいいのか、どうやってラジオを聞いてもらうのかということを、作家としてのネームバリューに甘えて寄り掛かることなく、もっときちんと考えなければいけないと思っています。もう、それだけですよね。
聞いている人の生活の習慣のなかに入っていくことが目的であり、理想ですね。この番組は、公共放送の教育テレビを見ていたのに突然UHFの電波が混入してくるような、その境目がない、聴いたことのない感じだと思うんですよ(笑)。
金曜日の夜23時からで、「明日から休みで何しようかな」と、ちょっとぼーっとする時間だと思いますし、そんなときに20分だけでもぜひお付き合いいただければ幸いです。
The post 第26回 中村佑介さん(2018年6月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
]]>The post 第25回 からし蓮根(2018年4月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
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吉本期待のお笑い芸人、からし蓮根が、いよいよラジオ関西に登場! 彼らにとっての初冠番組でもある『さしよりからし蓮根』が、この4月からスタートします。
熊本県出身、伊織と杉本青空の、独特かつ、テンポのいい、熊本弁も織り込まれた掛け合いは、「さしより」=「とりあえず」聴いてみたくなるもの。その彼らに番組への意気込みなどを伺います。
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伊織 ゆくゆくは、大きい! 大きい! 大きい番組にしていきたいなと……。
青空 ただ、でかいだけやん!
早速ですが、今回、木曜日よる10時(22時)から、1時間半、冠番組が決まりました!
伊織 ドッキリじゃないのかなと、まだ疑っています(笑)。
青空 壮大なドッキリが仕掛けられているのかもしれないと思いましたし(笑)。
でも、うれしいですね! ほんまに、ずっとラジオをやりたいなと言ってきましたから。
こんな番組にしたいというイメージはありますか?
伊織 ゆくゆくは、大きい! 大きい! 大きい番組にしていきたいなと……。
青空 ただ、でかいだけやん!
伊織 (ラジオ関西本社は)高いところから放送しているので(笑)。
青空 それはともかく、中学生の男の子とかにも聴いてほしいです。翌日の学校の話題とかに出てくるのが理想ですよね。ワンナイ(「ワンナイR&R」フジテレビで2001年から06年まで放送されたお笑いバラエティ番組)とかみたいに(笑)。あれのラジオ版みたいなのをやりたいです。
青空 『好きな人は好き(なお笑い)だ』ということにしています。
伊織 熊本弁の方言を使っているので、独特な感じがすると思います。
からし蓮根さんは、昨年『M-1グランプリ』準決勝進出や『ABCお笑いグランプリ』決勝進出など、着実に階段を上がっていて、この番組を契機に、さらに飛躍するものと期待されます。
青空 本当に、ここからスタートです!
伊織 ついに始まりましたよ!
改めて「こんなお笑いをやっています」という、からし蓮根さんの紹介をお願いします。
青空 (からし蓮根の漫才を)好きな人はめっちゃ好きです!(笑) 多いとも少ないとも言いませんが『好きな人は好き(なお笑い)だ』ということにしています。
(ネタが)『濃いめ』というか、そんな感じです。
伊織 特長として、熊本弁の方言を使っているので、独特な感じがすると思います。他にはできないものかなと。
青空 まさかこんな大博打を打ってくれるとは(笑)。
伊織 ラジオ関西さんも、僕らと芸風が似ているのかも(笑)。
今回、タイトルが「さしよりからし蓮根」になりました。
伊織 「さしより」が、熊本弁で「とりあえず」という意味なんです。
青空 「とりあえず聴いてください」という思いで付けました。
1時間半というのは、長く感じますか?
伊織・青空 長いです!(笑)
青空 初回でこんな長いのはないですよ。
伊織 普通でも30分くらいかなと思っていたので。
青空 お試し期間があるのかなと、僕らは勝手に思っていたのですが、まさか(初冠番組で1時間半という)こんな大博打を打ってくれるとは(笑)。
伊織 ラジオ関西さんも、僕らと芸風が似ているのかも(笑)。
青空 (爆笑)。それでも、うれしいですし、その半面、頑張らなければなという思いです。
伊織 最短でどのくらいで打ち切りとかあるんですか?
青空 聞くな! そんなこと(笑)。
番組コーナーも決定しているそうですね。
伊織 僕は西野カナさんが好きなので、西野カナさんのコーナーをさせていただけることになりました! 恋愛相談なんですけど。それで、ゆくゆくは、西野カナさんみたいなビッグな歌手に……。
青空 そっちなんかい!
伊織 結婚とか恐れ多いので。
青空 そりゃそうやろ! ちなみに、僕のコーナーでは突っ込みだけをあらかじめ決めておいて、それに見合ったボケをリスナーさんから募集するというのがありますよ。
青空 親戚がしゃべっていると思って、優しい心で聴いてください!(笑)。
伊織 (ラジオなので)想像して、感じて、笑って下さい(笑)。
ちなみに、からし蓮根のお二人にとって、ライバルはいますか?
伊織 同期(NSC35期)では、ゆりやん(レトリィバァ)が尼崎でラジオをやっていたりとかしてるし……。
青空 ちょっと上だと霜降り明星さんとかもラジオ番組をやっているので、その辺は意識しますね。
伊織 (同期の)ガンバレルーヤとかもテレビに出ていますし、濱田祐太郎も『R-1ぐらんぷり』を優勝したり、すごいなぁと思いますが、でも、負けられない戦いが、もう始まっていますよ!
いろいろ本当に楽しみになってきました!
それでは、最後に、ラジオの向こうの皆さんへメッセージをお願いします。
青空 親戚がしゃべっていると思って、優しい心で聴いてください!(笑)。
伊織 結構、見ないと分からないボケとかあるかもしれませんが(笑)、(ラジオなので)想像して、感じて、笑って下さい(笑)。
伊織・青空 よろしくお願いします!
The post 第25回 からし蓮根(2018年4月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
]]>The post 第24回 宮川陽香さん(2018年2月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
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Jリーグクラブ、ヴィッセル神戸の応援番組『GOGO!ヴィッセル神戸』で、この1月から、4代目パーソナリティとして活躍する、宮川陽香さん。
サッカー大好き、スポーツ観戦を趣味とする22歳のニューフェイスに、パーソナリティに就任した感想や、今後への意気込みなどを聞かせていただきました。
(合格したという)電話をいただき、「うれしい」というよりも、「どうなってるの?」という驚きのほうが強かったことを覚えています。
パーソナリティに決まった想いは?
実は、オーディションを受けたあと、私は「ダメだったかな……」と思っていたんですよ。そのときは落ち込んでいたのですが、マネージャーさんから(合格したという)電話をいただき、「うれしい」というよりも、「どうなってるの?」という驚きのほうが強かったことを覚えています。
でも、その報告をいただいてから、すぐにお母さんに電話して、泣きながら、「決まったよ!」って伝えました! お母さんは、すごい喜んでくれて。本当に、めっちゃうれしかったです。
ラジオパーソナリティへの憧れは?
今の所属事務所に入ったきっかけが、ラジオだったんです。
私がアルバイトをしていた近くにラジオブースがあって、そこで毎週ラジオ(放送をしている様子)を見たりしていたのですが、そこに出演していらっしゃったのが、今の事務所の先輩でした。すごい話が上手くて、きれいな方がいると思って、当時、その方のことをすぐ調べたんですよ。
そういう意味でも、ラジオは私にとって大きい存在というか、憧れの存在でした。その番組は特によく聞いたり、実際に見に行ったりしていました。楽しくわいわいしている感じの番組で、「なんかいいなぁ」って、思いましたね。
神戸には、街中にめっちゃヴィッセルの旗があって、みんなでヴィッセルを応援している雰囲気もいいなと思うんです。
『GOGO!ヴィッセル神戸』パーソナリティオーディションを受けたことについて。
もともと、趣味がスポーツ観戦で、サッカーもすごく好き。だから、『GOGO!ヴィッセル神戸』のオーディションに参加できること自体がめちゃめちゃうれしくて。
私はこれまで(役者として)お芝居をやっていましたが、一方で「スポーツに関する仕事がしたい」と思っていました。だから、実際、そのオーディションを受けるときには、Jリーグのことだったり、ヴィッセル神戸のことだったり、とにかく知らなきゃ、調べなきゃと思ったんです。だから、ヴィッセル神戸のノートを、オーディションを受ける前から作っています。そこで、選手のことや、これまでの成績、2017年の試合も見直しました。
それをやっていた理由も、本当にやりたい仕事だったので、「落ちても後悔しないように。ここまでやったならしょうがない」と思えるように、そして、今(オーディションを)受けているなかで、「一番サッカーが好きだぞ」という気持ちだけでも伝えたいなと思って、とにかく準備だけはすごくしました。
ヴィッセル神戸の応援番組に関わりだして感じることは?
サポーターさんがすごい熱いという印象です。実際に、『私が(パーソナリティを)やります』となったとき、サポーターさんからメッセージとかもいただきましたし、年末の髙島麻利央さんの卒業のラジオ放送のときにも、私は見学という形で端っこにいたんですが、「あっ、みやはるさんですか?」と声をかけてくださったり、「頑張ってね」と言ってもらえて、「いいクラブだなぁ」って思いました。全体のいい雰囲気、サポーターさんの温かさをひしひしと感じています。
また、神戸には、街中にめっちゃヴィッセルの旗があって、みんなでヴィッセルを応援している雰囲気もいいなと思うんです。お店に貼ってるステッカーとかも目に入るようになりました。
ホーム開幕戦で、芝がすごくきれいに整った、新たなノエスタでの初勝利は、やっぱりヴィッセルじゃないといけないかなと思います。
2月からはいよいよJリーグも開幕します。そして、ホーム開幕は清水エスパルス戦です。
昨年最終戦のリベンジにも期待がかかります。
前回、その試合を実際に見させていただきました。そのときは渡邊千真選手が先制点を決めたけど、そのあと、3点を決められてしまって……。
ヴィッセルもそのとき負けた悔しさがあると思いますし、勝ってほしいのはもちろん、ホーム開幕戦で、芝がすごくきれいに整った、新たなノエスタ(ノエビアスタジアム神戸)での初勝利は、やっぱりヴィッセルじゃないといけないかなと思います。ホームで勝っておけば勢いづくと思いますし、1点も取られない状況で勝ってほしいです!
生でみた元ドイツ代表FWルーカス ポドルスキ選手の印象は?
最初の印象は「うわぁ、本物だ!」と。ヴィッセルに入って、いきなり得点をあげて、すごい選手がヴィッセルに来たと思いましたし、これからも生で豪快なシュートを見たいです! 今年はぜひ得点王に絡んでほしいですね。
ヴィッセル神戸で注目したい選手は?
私の年齢に近い、若手選手は特に応援したいですね。そのなかでも注目は、藤谷壮選手。成人して、(東京五輪を目指すU-21日本)代表にも選ばれて、どんどん右肩上がりに活躍されて、年下だけど、見ていて刺激になるというか、すごいなと思っています。
また、番組でインタビューした宮大樹選手も、すごく体が大きい選手で、フィジカル面で相手選手に負けないところとかも見てみたいです。
ヴィッセル神戸のホームスタジアム、ノエスタの雰囲気について
とにかく近い! ほかのスタジアムもいくつか行っていたことがありますけど、私はノエスタが好き! 一番前ではなく、後ろで見ていてもすごく近く感じるし、ボールの動きも、選手の動きも、しっかり見えます。ゴールを決めたとき、サポーターのところに駆け寄ってくる選手もいますが、近いからこそ、決めたぞという気持ちが伝わってくる感じがして、「このスタジアムいいな」というのがあったので。
初めてサッカーを生で見る方、テレビでしか見たことがない方も、本当にびっくりすると思います。ぜひ観戦に来てほしいです!
ある意味変わっていく、でも、いいところはしっかり受け継ぐ、そんな新たな番組作りを、サポーターさん、リスナーさんのお力も借りながらやっていきたいです。
これから『GOGO!ヴィッセル神戸』のパーソナリティとして、どんなパーソナリティになっていきたいですか。
これまでのパーソナリティさんの真似をするのではなく、いいところを見習いつつも、私の色をしっかり出すことが大前提。そのなかで、本当に声だけで伝えないといけない仕事なので、とにかくしっかり伝わるようにしたいというのがあります。
まだ私も固い感じになってしまっていると思いますが、ゆくゆくは、サポーター同士で話をしている、友達と話をしているような感じの、ラフな感じで聴いてくれるようになればいいなと思います。
そして、選手への取材でも、見て直観で思ったことを、素直に、どんどん聞いていきたいです。
ラジオの向こうの皆さん、ヴィッセル神戸サポーターへ、番組に臨む意気込み、メッセージをお願いします。
私はまだ『ヴィッセル1年生』という段階ですが、これからもっと勉強して、今もサッカーを大好きだけど、もっともっとサッカーを、ヴィッセルを好きになりたいと思っています。そして、サッカーやJリーグ、ヴィッセルのことを知らない方も、ぜひ私と一緒に好きになってもらったりとか、「ヴィッセル神戸って、こういうチームなんだ」、「この選手がすごい!」とか、このラジオを通じて興味を持っていただければいいなと思います。
また、すでに番組を聴いてくださっているサポーターさん、リスナーさんにも、「『みやはる』になったから、こういうふうに(よく)なったな」とか、ある意味変わっていく、でも、いいところはしっかり受け継ぐ、そんな新たな番組作りを、サポーターさん、リスナーさんのお力も借りながらやっていきたいです。
今までのパーソナリティさんができなかった、ヴィッセル神戸の優勝インタビューを、楽しみにしています!
それはぜひやりたいです! (優勝の)タイトルをとって、選手はもちろん、サポーターさんにもぜひインタビューしたいですね。それを目指して頑張ります!
【プロフィール】宮川陽香
広島県出身。1994年1月29日生まれ。
サッカー大好き、スポーツ観戦を趣味とする22歳。
現在、ラジオ関西『GOGO!ヴィッセル神戸』(毎週月曜 18:00~18:30放送)で4代目パーソナリティを務める。
The post 第24回 宮川陽香さん(2018年2月) first appeared on ラジオ関西 AM558 FM91.1.
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