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三上公也の朝は恋人

番組内容

懐かしの名曲を中心に三上公也アナウンサーのセレクトで、月曜日から木曜日の朝のひとときを音楽で彩ります。
また、エンタメ、スポーツ、ライフスタイルなど、一日の始まりに入れておきたい情報もお伝えします。

  • 2023年3月5日(日) 05時20分

    冬の津軽旅⑧~金木駅で「津鉄汁」そして五所川原へ移動

    金木町内を散策後は五所川原に戻るため駅へ。

    時刻表を見ると列車入線までには時間がありました。

    津軽鉄道本社ビルの1階にコミュニティカフェ「でる・そーれ」へ。

    小腹が空いたのでここの名物料理「津鉄汁」といなり寿司を注文。出てきた器は津軽金山焼だそう。

    「津鉄汁」とは青森の地鶏シャモロックを使った醤油味の汁に、西北地域特産の長芋を使用したすいとんを浮かべた料理とのこと。他に具材として五所川原市産の人参、平川市産の舞茸、つがる市産のごぼう、五所川原市金木産青森シャモロックが入っています。トッピングには五所川原市産の白髪ネギも。すべてが津軽産食材で作られているのです。身体の温まる優しい味でした。

    いなり寿司は酢飯がピンク色していました。

    そして良いなぁと思ったのが箸入れ。「はしぃれメロス」とは!自分の仲間が居るようで嬉しくなりました。

    駅の待合室には天然木青森ヒバのこんなベンチがありました。樹齢約350年の木材が使われています。

    テレビは未だブラウン管。でもしっかり映っていました。

    津軽鉄道ではレールオーナー募集中。支援者を募っています。

    しばらくして津軽中里行きの列車が到着

    そして津軽五所川原行きの列車も到着

    ここで例の駅員と機関士とのタブレット交換を目撃出来ました。

    車内上部にはLED電球が取り付けられていました。

    夜のライトアップ用でしょうがバッテリーは窓に置かれた単3電池でした。手作り感満載!

    そういえば青森には三上姓が多いのです。

    残念ながら青森には親戚は居ませんが・・・

    このあとは五所川原から弘前に向かい弘南鉄道に乗ります。
    冬の津軽旅レポートつづく・・・

  • 2023年3月4日(土) 09時39分

    冬の津軽旅⑦~太宰治の故郷 金木散策

    津軽旅2日目は津軽鉄道・津軽五所川原駅午前8時10分発の津軽中里行きに乗車。金木(かなぎ)駅に向かいました。

    三角屋根の大きな駅舎

    駅前の道を進み作家太宰治の生家である斜陽館に向かいます。この日は時折細かい雨が降り路面が濡れていました。

    道路脇の側溝。除雪した雪をここに入れるのです。雪国ならではの設備ですね。

    兵庫県西脇市出身の美術家 横尾忠則さんの絵を彷彿とさせる「三差路」。ここに建つ食事処「ぽっぽ家」は元々金木駅の2階で営業していたそうですが、現在はこのビルで営業しているとのこと。左がメロス坂通り、右が荒馬通りと呼ばれています。

    道を進み太宰治記念館「斜陽館」へ。御殿のような建物。戦後手放されて旅館になり町の観光名所になっていた時期もありました。

    現在は国指定重要文化財として太宰治ゆかりの観光施設になっています。

    入館料600円を払い中へ。

    パンフレットによるとここは明治の大地主だった津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、1階は11室278坪、2階は8室116坪で付属建物や泉水を配した庭園などを合わせて宅地約680坪の大豪邸でした。

    1909年(明治42年)6月19日夕刻に津島家の6男10番目の子供として誕生した太宰治が生まれた部屋。

    書斎と呼ばれていた母夕子の居室

    ハイカラな洋間も

    角度を変えて

    ヒバの木がふんだんに使われた階段

    マントを羽織り太宰治になりきって吹き出し持って記念撮影。吹き出しの文句はいくつかありましたよ。

    そして太宰治ゆかりの建物がもうひとつ

    「太宰治疎開の家 旧津島家新座敷」

    昭和20年夏、激しい本土爆撃の中を逃れた太宰治が津軽の生家に身を寄せていました。

    終戦後にこの離れに妻子とともに暮らし「パンドラの匣」など23作品を執筆した家。

    入館料500円で中を見学できます。

    離れとはいえ洋室を中心に両側に二間続きの和室を配置した5部屋の邸宅です。

    家の中心にある洋室

    23作品が執筆された書斎

    新座敷は太宰治の長兄の文治の結婚に際して建てられたものでしたが、その文治が政界に復帰したて青森県知事となった時に大邸宅を売却。その際に新座敷を母屋から切り離して90mほど曳家して金木での居宅にしていました。母屋は旅館「斜陽館」の名で有名になりましたが、離れの存在は時とともに忘れられていったようです。太宰治没後からひっそりとしていた建物が、文壇登場後の居宅として唯一現存する貴重な建物として保存・公開されています。

    窓ガラス越しに見える庭

    さて金木という町は太宰治ゆかりの地とともに津軽三味線発祥の地でもあるのです。

    斜陽館の向かいに「津軽三味線会館」があります。


    津軽三味線の礎を築いた仁太坊に弟子入りし、師匠以上に腕を上げたといわれる白川軍八郎ゆかりの地なのです。

    残念ながら冬期は休館中

    会館の脇には舞台もありました。

    津軽三味線発祥の地らしいデザインの自販機がありました。

    「世界に一台の・・・」確かにそうですが・・・

    こんな食堂がありました。次回訪れてラーメンを食べてみたいと思いました。

    このあとは金木駅に戻ります。
    津軽旅レポートつづく・・・

  • 2023年3月2日(木) 03時32分

    冬の津軽旅⑥~五所川原駅前散策

    この日の宿がある津軽五所川原駅に戻ってきました。

    駅舎の左手に津軽鉄道本社の建物があります。

    駅の右手にはこんな建造物がありました。

    五所川原の巨大な人形灯籠「立佞武多(たちねぷた)」を収めておく建物のようです。

    駅前交番。雪が2mくらい積っても場所がわかるように青い看板が立っていました。

    コンパクトなパトカー

    駅前駐車場。1時間200円はそれなりの値段のように思いますが最大料金500円は安価かと。

    路地にある飲食街

    雪に埋もれた消火栓

    JR五所川原駅から真っ直ぐ伸びる本通り

    マンホールの蓋デザインも立佞武多

    こんなデザインも

    電線共同溝。マークからすると県の管理でしょうか。

    この日の宿は駅から徒歩数分のところにある「ホテルサンルート五所川原」

    ホテルロビーには立佞武多が飾られていました。

    津軽鉄道模型も

    この日は晴れて穏やかな1日でした。

    翌日は雪予報で寒くなりそう。
    冬の津軽旅レポートつづく・・・

  • 2023年3月1日(水) 03時57分

    冬の津軽旅⑤~津軽中里駅から津軽五所川原駅へ復路旅

    15時54分津軽中里駅発の列車に乗車。帰りはストーブ列車ではなく普通車両。

    運転席

    列車を動かすのは運転士ではなく機関士なのですね

    「走れメロス」の愛称が付けられた21形気動車で座席はボックスシートタイプ

    車両の先頭には「津鉄文庫」なる本棚がありました。

    津軽鉄道の駅は全部で12駅

    春には桜で賑わう芦野公園

    全線単線で唯一上下線がすれ違うことが出来る金木(かなぎ)駅に近づきます。

    津軽中里行きが先に停車していました

    津軽中里駅行きの列車の機関士からタブレットを受け取った駅員が踏切を渡りこちらの列車へ

    機関士がタブレットを受け取ります。この時棒状のスタフを駅員に渡している筈です(そこは見えませんでした)

    駅員は再び津軽中里行きの列車に戻りスタフ(棒)を機関士渡したと思われます。そして列車はそれぞれ出発。列車同士の衝突を防ぐための措置で信号とともに列車を安全に動かすための昔ながらの安全確認方法なのです。そして金木駅を出発!

    次の駅は「嘉瀬」

    ここにはペイントが施された列車がありました。

    元SMAPの香取慎吾さんがペインティングした「キャンバス列車」

    元々1997年に地元の子供達と車両にペインティングしたものでしたが、経年変化で20年後に再びペインティングされたものだそう。「しんご」の文字がありました。

    津軽平野を列車は走行

    津軽鉄道の収益の柱は「通学」と「観光」。コロナで遠のいていた利用者も戻ってはきていますが経営の厳しさは続いているようです。

    津軽五所川原駅に戻ってきました。

    駅に到着

    懐かしい貨物の有蓋車「ワム」

    鉄道のレールの変遷を伝える展示

    駅舎の柱にもレールが使われています。

    機関庫には雪を積んだ車両がありました。

    改札を出て今宵の宿に向かいます。

    冬の津軽旅レポートつづく・・・

  • 2023年2月25日(土) 05時46分

    冬の津軽旅④~津軽鉄道の終着 津軽中里駅~

    津軽鉄道ストーブ列車に乗って終着の津軽中里駅へ到着。

    私鉄では本州最北の駅。ということは私鉄では日本最北の駅です。

    住所は北津軽郡中泊町。地図でいうと津軽半島のほぼ中央。ここから北西へ行くとシジミでおなじみの十三湖があります。

    立派な駅舎です。

    津軽五所川原への折り返しの待ち時間が少しあるので構内を散策。「駅ナカにぎわい空間」なるイベントスペースがありました。

    津軽ゆかりの太宰治のねぷた

    七段飾りのひな人形

    津軽鉄道イメージキャラクター「つてっちー」。津軽鉄道の写真も多数展示されていました。

    ここには「津軽伝統 金多豆蔵人形劇場(つがるでんとう きんたまめじょにんぎょうげきじょう)」があるのです。

    なんでも金多豆蔵の名前には、人は豆々しく健康で働けば、お金が多く入り蔵が建つという意味が込められているのだそう。全編津軽弁の人形芝居、次回訪れた際に見てみたいものです。
    そしてミニSL「D51 892」が展示されていました。津軽鉄道の澤田社長所有のもので借用して展示されているとのこと。かつては本物と同様にイベントなどで走っていたそうですが、現在は整備が行き届かず動かすことが出来ないようです。本物の「D51 892」は現役時代には弘前機関区や東能代機関区などで活躍。現在は弘前市内の城北公園交通広場に展示されています(公園は冬場はお休みで4月1日オープン)

    子供たちも鉄道に親しみをもってもらおうとプラレールもありました。

    車庫

    レールやストラクチャーも

    津軽中里駅には転車台がありました!

    雪に埋もれて見逃すところでした。歴史的価値のある鉄道遺産を残そうと6年前にクラウドファンディングで資金を募り修理費用を捻出し保存されることになったそうです。全長20.7kmの津軽鉄道の収益は通学利用と観光利用の2本柱。人口減少や少子高齢化、車の普及で厳しい経営を強いられている中、ここにきてようやく海外からの観光客も再び訪れるようになったそうです。

    ざっと1時間に1本運行されるダイヤ

    15時54分発の津軽五所川原行きに乗車しますが復路は先頭の普通車。金木から先は津軽フリーパスが使えるので金木までの切符を購入し乗り込みます。

    次回は復路の車窓からの様子などを掲載します。
    津軽旅レポートつづく・・・