あなたと巡る とっておきの神戸!
神戸ってどんな街??
六甲山からの夜景、ポートタワーの見える港。「食」ならビーフにワイン…。
「みんなが知ってる神戸」もいいけれど、「みんなが知らない神戸」も伝えたい。
そんな神戸の「とっておき」をたっぷり詰め込んで、毎週あなたのもとへお届けします。
番組連動企画として三上公也アナウンサーが撮影した動画を配信します。
慶応3年、神戸に外国人居留地が設けられる。外国人が居住し貿易業等を営むようになって、その際に洋菓子を持ち込まれてきた。
明治2年、居留地内にイギリス、フランス人がパン屋を開業。
明治3年には、居留地に「オリエンタルホテル」が、明治4年に「ヒョーゴホテル」が開業し、デザート菓子が提供された。
しかし、国産の洋菓子は、まだ作られていなかった。
明治15年、元町通3丁目に神戸初の洋菓子店「二宮盛神堂」が居留地の外国人向けにオープン。
しかし、あまり商売にならなかったという。
現存する神戸で最も古い洋菓子店は、同じく元町通3丁目にある明治30年創業の『神戸風月堂』。創業当時は、ワッフル、ケーキ、シュークリーム、マロングラッセなどを販売。名物の「ゴーフル」は昭和2年に販売。
アメリカからの輸入という意味から、「メリケン粉」とよばれた小麦粉。神戸には「メリケン波止場」が今でも残っている。近代的な製粉が盛んになるとともに、パンや和洋菓子づくりも、全国的に先駆けて発展した。神戸市長田区にある、明治39年創業の老舗製粉所では、今もおいしい小麦粉を作りつづけている。
日本三古湯の一つと言われている有馬温泉は、泉源を最初に発見したのは神代の昔、大已貴命と少彦名命の二柱の神であったと伝えられている。有馬温泉の存在が知られるようになったのは舒明天皇の頃からで、『日本書紀』には舒明3年・西暦631年9月19日から12月13日までの86日間、舒明天皇が有馬温泉に立ち寄って入浴を楽しんだと書かれている。
有馬温泉といえば、金泉と銀泉。環境省の指針により療養泉として指定している9つの主成分のうち7つもの成分が含まれていて、世界的にも珍しい多くの成分が混合した温泉。
そんな有馬では「有馬山椒」復活プロジェクトが進行中。山椒を使った料理のことを、“有馬焼き”や“有馬煮”と言うように、日本料理では“有馬”と言えば山椒の代名詞。室町時代には有馬周辺で採れた山椒を佃煮にして、湯治客に出していた。
しかし現在、有馬で山椒は栽培されていない。
そこで、有馬温泉で最も歴史のある旅館『陶泉・御所坊』15代目主人の金井啓修さんが中心となって、有馬山椒を復活させるプロジェクトが進められている。
有馬山椒は、ほかの山椒とは違い、レモングラスのような香りがする。
有馬の人は実には頓着がなく、花を採って食べていた。花は開くとダメなので、蕾の状態でいかに採るかが技だとか。佃煮にするのも、花を一回蒸してから炊いたり、ひと晩干してから炊いたり、それぞれの家庭には秘密のレシピがある。
神戸の市街地からだと、神戸電鉄なら湊川駅から40分程で有馬温泉駅に着く。
神戸市内にある、日本一古い温泉の一つで、日帰り入浴も泊まりも楽しめる。
六甲山は、慶応3年に開港した神戸の、外国人居留地に住む外国人によって、レクリエーション開発、別荘開発が進められた。
明治6年に、3人の外国人がピッケルなどを用いて六甲山に登ったことが、最初の近代登山として記録に残っている。
その後、山上はレクリエーションの場となった。
明治28年に、英国人グルームによる別荘建設を契機として、山上は道路などの基盤整備やホテルの開業が進んだ。明治末期には、外国人により山上でのスキーが始められた。
六甲山上のレジャースポットは、六甲山牧場、六甲山カンツリーハウス、六甲山高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲ガーデンテラス。
夜景といえば、神戸市は、これまで函館・長崎と並び「日本三大夜景」の一つだったが、去年平成27年10月、神戸市で開かれた「夜景サミット2015 in 神戸」で、長崎、札幌と並んで『日本新三大夜景』にも選ばれた。
その大きな魅力が、圧倒的な視点場の豊富さ。
街の背景にそびえる六甲山・摩耶山など標高800m級の山頂付近に存在する「掬星台」「天覧台」「六甲ガーデンテラス」等の視点場からの圧倒的な大パノラマは必見。
神戸は、日本のジャズ発祥の地と言われている。
大正12年、宝塚少女歌劇のオーケストラ出身の井田一郎をリーダーとした、日本初のジャズバンド“井田一郎とラッフィング・スターズ”が、プロのジャズバンドとして最初に演奏したのが神戸だった。
神戸でジャズを楽しむ手段の一つに、ジャズ喫茶がある。
1950年代後半から70年代。神戸にもたくさんのジャズ喫茶が生まれた。
有名なところでは作家の村上春樹や中島らもなどが通った、三宮の『バンビー』。
そのほか三宮には『さりげなく』、『木馬』といった有名店があった。
そのほとんどは無くなったが、『さりげなく』は北野に移転してジャズ・バーとなって今もある。『木馬』も阪神淡路大震災後トアロードに移転し、ジャズ・カフェ『MOKUBA'S TAVERN(モクバズ・ターバン)』として営業している。
神戸で現存する一番古いジャズ喫茶は阪急三宮のガード下“楽天地”にある、昭和28年創業のジャズ喫茶『茶房ジャヴァ』。看板も店内も創業当時のままで、木の手すりや中二階など当時の高級な雰囲気を感じることができる。初代がアメリカから船で持って帰ったというマランツのアンプやアンペックスのテープデッキ、スピーカーなど、家が一軒買えたというオーディオ機器は今でも現役。
当時、まだ新人のジャズ評論家だった大橋巨泉も、ここでDJとしてレコードの解説をしていた。
そのほか三宮には『茶房Voice』。元町には『JAM JAM』や『M&M』といったジャズ喫茶がある。
南京町といえば豚饅。関東では肉饅と言うが、この豚饅の発祥は南京町にある『老祥記』。
創業者、曹松hさんが子供の頃から親しんだ“天津包子”という饅頭をベースに、日本人好みの醤油味を効かせた中華饅頭を大正4年に“豚饅頭”として南京町で売り出したのが“豚饅”の始まり。
以来、豚饅専門店の元祖として創業当時から変わらない味を守っている。
南京町を楽しむには、屋台や「南京町の台所」もおすすめ。
中華料理ではないが、南京町には、シュークリームが有名な洋菓子店『エスト・ローヤル』もある。
1988年創業。シュークリームの『シュー・ア・ラ・クレーム』は、クリームには香りがバツグンのマダガスカル産バニラビーンズで練り上げたカスタードを使用してあり、あっさりながらコクはしっかり。『シュー・シュルプリーズ』は創業時からの人気商品。パイをコネル状に巻いたサクサクのショコラ。
ファッションといえば、洋服文化の発祥は神戸。今も元町4丁目にある、明治16年創業の『柴田音吉洋服店』は日本人で最初に開業したテーラー。
初代兵庫県知事で初代内閣総理大臣の伊藤博文も愛用したお店で、明治天皇のお召し服も仕立てた。
最近は、子供もオシャレになっているが、日本の子供服の草分けといえば昭和23年に神戸で創業したファミリア。阪神間の主に私立校に通う女子中高生の間では、ファミリアの布製バッグを通学用のサブバッグとしてよく使っている。
ファミリア創業者のひとりである坂野惇子をモデルにしたNHK連ドラ『べっぴんさん』の放送も始まった。
食べ物で見れば、神戸のハイカラな食べ物の一つにパンがある。
神戸は一世帯あたりのパンの消費量が全国トップ。総務省の調べでは平成22〜24年の平均で、一世帯当たりのパンの支出金額と消費量は神戸市が全国トップ。
神戸とパンの歴史は古く、神戸港開港の翌年の明治2年、居留地に住む外国人向けのベーカリーショップが開業したのが最初。
神戸には老舗のパン屋さんが色々あるが、現存するお店で最も古いかと思われるのは三宮に本店があるフランスパンの『ドンク』。
明治38年に『藤井パン』として神戸市兵庫区で創業したのが始まり。
神戸ビーフや洋食、中華などが神戸のグルメとなったのは明治以降。
江戸時代、神戸は素麺の一大産地だった。場所は今の東灘区青木。青木地区には『兵庫県に於ける素麺発祥の地』という石碑も建てられている。ここで六甲山麓の水車と、御影の花崗岩で作った石臼で挽かれた小麦粉を使って、三輪素麺の手法を取り入れた素麺作りが江戸時代に始まった。
一時は素麺の一大産地となったが、神戸に出稼ぎに来ていた龍野地方の職人がその技術を持ち帰り、地元で作った素麺『揖保の糸』に押され、昭和初期には廃れてしまった。
そんな灘でもう一つ、江戸時代からの名産と言えば日本酒。
灘は天領だったのでその強みを生かして、近くの摂津や播磨はもとより全国から原料となる良質のお米を集め、六甲の水を使い、丹波杜氏の技術を使って品質の高い日本酒を造っていた。
特に江戸中期になると樽廻船の発達で海に近い地形の利点を生かして、神戸の名産として知られるようになった。
日本酒のほか、神戸スタイルのウイスキーの飲み方が「コウベハイボール」。
昭和29年に旧居留地の朝日会館地下で創業したのが、伝説のバー「コウベハイボール」。
その名物だったのが、氷を入れないウイスキーのソーダ割り。「コウベハイボール」は平成2年に閉店したが、神戸のバーテンダーの間では「神戸スタイル」などと呼ばれ、浸透したという。
氷が入っていないので薄くならず、最後までウイスキー本来の味を楽しめるのが特長。
神戸の下町のグルメといえば、お好み焼き。
神戸と大阪のお好み焼きは違う。神戸は生地をクレープ状にして、その上にキャベツや具材を乗せる「のせ型」が基本。
また、マヨネーズは付けない。
神戸のお好み焼きの定番の具材にスジコンがある。これは牛スジ肉とコンニャクを甘辛く煮込んだもの。それを近年、長田での呼び方「ぼっかけ」として全国にPRしている。
お好み焼きに欠かせないのは、ソース。
ウスターソースやトンカツソースといった、ソース作りは神戸で始まった。
明治18年、安井敬七郎が神戸市兵庫区で、現在の阪神ソースを創業。当時はウスターソース。
これが日本で最初のソース会社と言われている。
現在は東灘区に本社があり、『日の出』ブランドのソースを販売しているほか、明治30年当時のレシピをベースにしたウスターソース『敬七郎』などを販売している。
そのほか、大正12年に兵庫区で創業した「オリバーソース」も神戸を代表するソース。
そのほか、下町グルメにはいかなごのくぎ煮がある。いかなごのくぎ煮とは、生の新子を醤油・砂糖(ざらめ)・生姜で煮詰めたもので、できあがりが折れた釘のように見えるためこう呼ばれている。
昭和10年の郷土料理の本には「玉筋魚釘煎(いかなごくぎいり)」として紹介されている。
釘煎の作り方は、いかなご一升に対して、生醤油五合、砂糖五十匁で煮詰めればよいと書いてある。いかなごの入手方法は、長田の駒ヶ林の漁業組合か、垂水魚市場に頼めばいいとある。
いかなごの解禁は、毎年2月下旬。播磨灘から大阪湾にかけての海域で捕られる。
ちなみに、長田区にある高級珍味の製造卸『伍魚福』は、いかなごの「くぎ煮」に注目し、昭和46年に全国で初めてお土産として商品化した。
そもそも旧居留地とは、慶応3年神戸が開港した時、外国人が仕事をしたり住んだりする為の区域。しかし、来日する外国人の数が多く住宅不足の問題が起こってくると、居留地に住めない外国人は新たな住環境を山の手に求めるようになった。
これが異人館街のはじまり。
この旧居留地とその東端の東遊園地で、毎年12月に行われているのが神戸ルミナリエ。神戸ルミナリエは阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった平成7年の12月に初めて開催された。
以来、震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として毎年開催している。
22回目を迎える今年は12月2日から11日までの10日間開催。今年のテーマは「光の叙事詩」。
30万個を超える荘厳な光の芸術作品を見ることが出来る。
旧居留地と北野を結ぶ南北の道路がトアロード。外国人の職場のある居留地から住居のある北野へと至る道路で、明治6年に開通した。現在は神戸を代表するお洒落な通りになっている。
カフェや飲食店、雑貨屋、ブティックなどが立ち並び、トアロードの両側には、トアイースト、トアウエストと呼ばれる、若い人に人気のエリアもある。
『京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れ』と言われるほど、神戸はクツが有名。
それ程、靴が有名な神戸だが、そう言われるようになったのは戦後のこと。
その歴史を見てみると、明治42年、神戸市中央区の脇浜に今のダンロップのゴム工場が出来た。
当時、神戸の長田ではマッチ工場が盛んだったが、それも衰退。マッチもゴムも可燃物を扱うことや、神戸港にもゴムが輸入されるようになったことから、大正時代になるとマッチ工場がゴム工場へと転換し、タイヤやチューブなどゴム製品が長田の地場産業に。
元々、靴といえば東京で革靴が作られていたが、このゴム工場で大正末からゴム長靴や地下足袋などのゴム靴も作られるようになった。これが長田の靴のルーツ。戦時中から終戦後にかけ、ゴムは統制品だった。そこで塩化ビニールから開発された「ケミカルシューズ」が、神戸の長田に誕生したのが昭和27年頃。その後、神戸には靴メーカーが集り、一大生産地として発展した。
大きな赤いハイヒールのモニュメントが目印の長田にある『シューズプラザ』では、靴メーカー直販ならではの豊富な品ぞろえで、季節のトレンドを先取りした最新モデルの靴を買うことが出来る。
また、オーダーシューズの相談、制作、販売もしている。自分の足にぴったりの靴が手に入る。
神戸に靴屋さんはたくさんありますが、特に若い人に人気なのが高架下。終戦後の闇市が発展した神戸の高架下はJR三宮駅から元町駅までの「ピアザKOBE」と、元町駅から神戸駅までの元町高架下商店街・通称モトコーがある。特に「ピアザKOBE」は靴屋さんが多い。モトコーの方は特に闇市の面影を色濃く残しているので、ブラブラと散策するのも面白い。掘り出し物もいっぱいあるかも。
神戸で海沿い散歩といえば、須磨から垂水、舞子にかけて。
何といっても一番は、神戸の舞子と淡路島を結ぶ明石海峡大橋。世界で最も長い吊り橋で、全長3911m。主塔の高さは298.3m。この主塔に上るツアーもある。舞子から淡路島方面に、海面上およそ50mの所をおよそ1km、主塔まで橋を歩く。歩く部分は格子状になっているので海面が見えて空中散歩の気分。そして、海上およそ300mの主塔のテッペンまで、エレベーターでおよそ2分。天気が良い日には大阪の市街や小豆島まで見える。
明石海峡大橋の神戸側の袂にあるのが、舞子公園。松林は古くからの名所で、公園は明治33年に開園した。家族で、カップルで、のんびり海をみながら散策できる。
この舞子公園から、夜のライトアップされた明石海峡大橋を観るのもオススメ。季節や平日、土日などによって、色んなパターンのライトアップが楽しめる。橋の愛称はパールブリッジ。
パールといえば、神戸は真珠でも有名。北野には海沿いでもないのに「パールストリート」がある。異人館の並ぶ山本通の一本南側の東部分は、有名な真珠会社が軒を並べているので「パールストリート」と呼ばれている。
何故、神戸は真珠が有名なのか? 大正10年、神戸市で、タカハシパールの創業者、藤堂安家が初めて真珠のシミ抜き、調色に成功。このシミ抜き、調色技術を求めて真珠の加工業者が神戸に集まるようになった。また、真珠の養殖は関西から西で発展したので関西最大の貿易港を持つ神戸に、日本中の真珠が集まるようになって、神戸が真珠の集産地となっていった。
神戸は、まさに海と共にある町。
兵庫県は、旧五国。摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の5つの国から成っている。ちなみに神戸は摂津の国になる。
神戸からは地元の摂津はもちろん、西へ播磨。北へ丹波、但馬。南へ淡路と、車や電車での日帰りアクセスも便利。
神戸の周辺で五国の見所といえば、例えば…摂津では宝塚市にある宝塚歌劇。
日本で初めてレビューを上演した宝塚歌劇は、大正2年に組織された。
そして大正3年、宝塚新温泉にあった室内プール「パラダイス」閉鎖にともない、プールを改造した「パラダイス劇場」で、宝塚歌劇第一回公演を行い歌と踊りによる華やかな舞台を披露した。
同じく旧摂津国にあるものといえば、西宮市の甲子園球場。大正13年に完成。
当時は、甲子園大運動場という名前だった。日本で最初に誕生した、大規模多目的野球場である。
名物の蔦も、大正13年の竣工当時に植栽された。
摂津の近くの見所では、何といっても旧播磨国の姫路市にある国宝「姫路城」。
言わずと知れた、日本初の世界文化遺産。神戸からだと姫路までJRの新快速で40分ほど。
現在の姫路城は関ヶ原の戦いのあと城主になった池田輝政が大改築をして建てたもので、慶長14年(1609年)に完成。姫路城は江戸時代戦火に合う事も無く明治維新後も幸い取り壊されなかった。
戦時中、姫路は空襲で焦土となった。姫路城の大天守にも焼夷弾が直撃したが幸い不発。
城内に落ちた焼夷弾も不発、もしくはすぐに消された。
姫路城は奇跡的に焼け残った為、現在、その美しい姿を残している。
そのほか、旧淡路国の淡路島には花の見所『あわじ花さじき』がある。兵庫県が平成10年に設置。淡路島北部、標高298〜235mの海に向かってなだらかに広がる高原に一面の花畑が広がっている。明石海峡や大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、季節により変わる愛らしい花々が夢の世界に誘う。眼下に広がる花のジュウタンを楽しめ、極上の見物席として『あわじ花さじき』と命名された。
淡路島の南、南あわじ市と徳島県鳴門市の間、鳴門海峡に発生する「鳴門の渦潮」も見所。
渦の大きさは世界最大規模とも言われている。