元女子プロレスラーで現在はタレントとしてマルチに活躍しているマッハ文朱が、ラジオ関西の番組に出演し、レスラー時代の話を語った。
ルックスや明るい性格でスター選手となったマッハ文朱。後の「ビューティペア」や「クラッシュギャルズ」のように女子プロレスラーがリング上で歌をうたうというスタイルの先駆けとなった。
もともと、歌手志望だったマッハは、13歳のときに、オーディション番組「スター誕生」に出場。第5回決勝大会に勝ち進むものの、スカウトの札は上がらなかった。そのときの決勝には山口百恵も出場していた。
そして、15歳のとき、雑誌の募集広告をきっかけに、全日本女子プロレスの門をたたく。マッハは、プロレスラーとして歌うことになったきっかけを語った。
「13歳の(スター誕生の)ときの印象をみなさんが強く持っていただいていて、山口百恵さんが『ひと夏の経験』を出したあたりで、“マッハ文朱がプロレス入門”という、その対比というか、『えーっ、なんでー?』っていうところがキャッチーだったんでしょうね。全レコード会社さんから『レコードを出さないか?』というお話をいただき、『花を咲かそう』でデビューとなりました。そしてバラエティーに出たり、女優業をするようになったんです」
歌に加え、WWWA(ワールド・ウィメンズ・レスリング・アソシエーション)世界シングル王座を獲得するなど、「500試合くらいやって負けたのが2回だけ」(マッハ) と、強さも本物だった。
しかし、選手生活は、わずか2年8か月のみ。毎週、試合を放映するレギュラーも決まり、これからというときの引退だった。
「試合に負けて、チャンピオンベルトを次の世代に渡してから引退というのが、通常だと思いますが、私は、絶対にそれだけは嫌だった。チャンピオンのまま辞めたかったんです。もう、チャンピオンにもなりましたし、皆さんから(私のように)なりたいと思っていただけるようにもなりましたし、『もう終わり! 次!』という感じでした」
現在は、講演会などの機会も多く、そこでの鉄板ネタがある。
「後輩のジャガー横田や北斗(晶)など、私は3秒で倒せます……。ひとこと、『どっちが先輩?』といえば、向こうがハッっと気付いて3秒で倒れます(笑)」
マッハ初の主演映画『宇宙怪獣ガメラ』(1980年)が、2019年12月28日(土) 京都みなみ会館での「京都怪獣映画祭NIGHT8」において上映される。それに先立ちマッハは、トーク&サイン会を実施。マッハのファンのみならず、怪獣ファンにとっても、またとない機会になりそうだ。
(※イベントは終了しました)