また、職人が逝った。
代打ホームラン27本の世界記録を持つ、プロ野球・元阪急ブレーブスの高井保弘さん。その豪快な打撃とは逆に、普段はどちらかというと、静かな方だった。
愛媛の今治西高校を卒業後、社会人にすすみ、1964年、阪急に入団。通算1135試合に出場、打率2割6分9厘、130本塁打、446打点。1974年のオールスターゲームで、史上初めてのサヨナラホームラン放ち、MVPにも選ばれた。
ラジオのプロ野球中継での解説の際、放送席で一番驚いたのは、球種を見るその眼。「次はカーブ」、「次はまっすぐ」、「最後は落として終わり」、次々に球種を言い当て、その通りに進んでいく。「何でわかるんですか?」、「このピッチャーはカーブのときに肩がほんの少しだけ、他の球種よりも上がるから」、駆け出しの私にはどこをどう見てもまったくわからなかった。
高井さんは、出番がないときは寸暇を惜しんで、ベンチ裏から相手投手のクセを探し続けていた。そうして得た特徴を小さな手帳に書いたのが、「高井メモ」。何度か見せていただいたが、各球団の投手のクセがびっしりと書かれていた。「ベンツは金を出したら買えるけど、このメモは買われへん。お金を払うから譲ってほしい、と言われたこともあったけど断った」とも話していた。
どちらかと言えばいつもは寡黙な高井さんだったが、酒の席では大好きなビールがすすむにつれて冗舌になり、なつかしいプロ野球の話をしてくれた。
そんな高井さんが、当時のプロ野球界について、一度だけチクリと言ったことがあった。「日本のプロ野球界はOBをもっと大事にしてほしい」。
「アメリカ・メジャーリーグでは引退した選手のことをとても尊敬し、多くのファンや関係者がよく知っていて、敬意を表している。日本はそれがあまりできていないと思う」。高井さんの思いは「先人たちがいて、初めて今の野球界がある。それをもっと知ってほしい」ということからだった。
こんな素晴らしいプロ野球OBが、職人がいたことをぜひ記憶しておいてほしいと思う。可能であれば高井さんの豪快なバッティングをもう一度生で見たかった。(ラジオ関西/林 真一郎)
高井保弘さんは2019年12月13日、腎不全で死去。74歳。