日本人最年少のフォーミュラ・カー・ドライバ―として、2020年から欧州デンマークで開かれる「F4 デニッシュ チャンピオンシップ(F4 Danish Championship)」に2020年から本格参戦する「Juju(ジュジュ)」こと野田樹潤さん。2006年2月2日生まれの13歳に、時速300キロ近いマシンを操るテクニックがどうして身に着いたのか。父親で元F1レーサー、NODAレーシングアカデミー校長でもある野田英樹さん(51)がその秘密について語った。
Jujuとマシンとの出会いは、3歳の誕生日に英樹さんがプレゼントしたカートがきっかけだった。「親子のコミュニケーション・ツールのつもりだったんですが、結果的に三輪車や自転車よりも早かった。まだ言葉もおぼつかない時だけに、ブレーキもアクセルもわからない。アクセルを踏めば進む、ブレーキを踏めば止まる。ぶつかれば痛い。親としてはハラハラでしたが、遊びの中でドライブ感覚を身に着けていった」と英樹さんは振り返る。
だが、才能は決して後天的なものではなかった。「普通の子供なら初めてのサーキットで爆音に驚き、泣き出すが、Jujuはそれがまったくなかった。母親のお腹にいたころから、レース場の爆音を聴き、お腹の中で私の運転する車のGフォースを体感していたのかもしれない」
その持ち前の感覚はレーサーとしての武器となった。「普通の人ならレーシングカーに乗せられ、3G、4Gの力がかかったら気分が悪くなる。Jujuにはそれがない。だからレースでもリラックスし、落ち着いて状況判断できる。緊張もしないから体力も消耗しない。それに父親に似て負けず嫌い。これらはレースの世界ではとても重要な要素です」
そんな「才能」に「自覚」が生まれたのは5歳の時。英樹さんのラストランとなった2010年のルマン24時間耐久レース。マシンを降りた英樹さんにJujuは花束を贈り、幼い決意を告げた。「これからは私が後を継ぐ」
「正直、言葉がでなかった。大変な世界に足を踏み入れることを5歳の本人は理解できていない。そんな辛い思いをさせるのもどうか、という葛藤があった」という。
「しかし本当にやるというのなら、本気にならないと、何も手にすることはできない。勝負の世界に生きるのなら、絶対にあきらめてはいけない。負けるたびに心が折れていては続かない。勝負を楽しめるようにならなければならない」