「⼤瀧詠⼀に⿐を折ってもらった〜『ナイアガラ流』」伊藤銀次インタビュー(前編) | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「⼤瀧詠⼀に⿐を折ってもらった〜『ナイアガラ流』」伊藤銀次インタビュー(前編)

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伊藤銀次
伊藤銀次(写真:ラジオ関西)

 シンガーソングライター、ギタリスト、プロデューサーとしても活躍する伊藤銀次が、自身の音楽に多大な影響を与えた大瀧詠一のことなどをはじめ、伊藤の音楽の源流について、ゲスト出演したラジオ番組で大いに語った。1月4日、11日の二夜にわたって登場したのは、シンガーソングライターの田代さや佳とDJのタケモトコウジがパーソナリティーを務める音楽トーク番組『田代さや佳のMirache Music Triangle』(ラジオ関西、土曜午後6時~)。

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ラジオ関西『田代さや佳のMirache Music Triangle』に出演時の様子。左からシンガーソングライターの田代さや佳、DJのタケモトコウジ、ゲスト出演の伊藤銀次(写真:ラジオ関西)

 出身は大阪という伊藤。東京っぽいとよく言われるものの「バイリンガルなんで、切り替えると、なんぼでもベラベラしゃべれます」と、そんな「関西人」気質を感じさせるつかみから始まった番組では、音楽好きなら興味深いエピソードと、レジェンドたちの名前が並ぶ。

 伊藤のホームタウンは大阪・池田市。中学生くらいのときにビートルズを知った頃、テレビではやってない音楽をラジオで聞いていたという。「ラジオ関西の電リクを聴くと、1日に何度もビートルズがかかるんですよ。そこからビーチ・ボーイズやローリング・ストーンズに、シナトラ。いろいろな音楽を湯水のように聞いていました。僕が洋楽好きになったきっかけはラジオ関西の電リクです」(伊藤)

「音楽とナイアガラ(レーベル)」をテーマにした1月4日放送回では、70年代前半、大阪時代の伊藤が所属していたバンド「ごまのはえ」の話題からスタート。日本の音楽産業の黎明期で、ロックやポップスが、まだまだ手探りで送り出されていた時代に、日本語でアメリカのウエストコーストや南部のサウンドを目指した、伊藤。1972年、レコード会社からシングルをリリースしたことをきっかけに、その後、アルバム制作へと進むのだが、「ライブバンドでしたから、レコーディングのノウハウがわからなくてね……」と話し、いわゆる当時の「洋楽の音」を出すことに非常に苦心したという。

 そのなかで当時2枚のアルバムを出し、洋楽のバンドのような音を世に送り出していたのが、大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂らによって結成されたバンド『はっぴいえんど』。「この人たちはレコーディング長けている」、そう考えた伊藤は、「ダメもとで大瀧さんにお願いした」。すると「興味がある!?」と、伊藤らのバンドのライブを観に、大瀧が来阪。ライブのあと、「ぜひプロデュースしたい。ただし(全国を視野にバンド活動するなら)バンドごと東京に来なさい」との連絡を受ける。伊藤らは「東京に懸けてみよう」と、意を決して上京した。これがすべての始まりだった。

 伊藤のバンドは大瀧がスタジオとしていた家から「ちょうど味噌汁が冷めない距離」に一軒家を借りた。練習スタジオなどもないとき、部屋に毛布を貼って練習。その様子を見た大瀧から「イントロを半分に」など演奏のサジェスションをくれた。ものすごいスピードでバンドの形ができていく。それがちょうど、はっぴいえんどの解散が決まった時期だった。

 1973年9月21日、東京・文京公会堂で行われた、はっぴいえんど解散記念コンサート(CITY—Last Time Around)で、伊藤のバンドをお目見えさせようと大瀧は思っていた。通常解散コンサートというと、そのバンドが演奏して終わるもの。しかし変わったコンサートで「その後、みんながどうやって旅立って行くのかを見せちゃおう」という趣旨のものだった。

「大瀧さんは、僕たち(「ごまのはえ」から「ココナツ・バンク」に改名)をバックバンドにして、後にシュガーベイブとしてデビューする山下達郎くんや大貫妙子さんをコーラスに従えて、ナイアガラレーベル、細野晴臣さん、鈴木茂さんからなるキャラメル・ママ、松本隆さんによるムーンライダースを組んで、はっぴいえんどの『終わりと始まりを見せるコンサート』にした。だから本当に、“はっぴいえんど”なんですよ!(笑)」

 伊藤らは、多くの報道陣の注目を集めるなか、大きなプレッシャーを感じながら、そこに出演。そしてナイアガラレーベルから第1弾バンドとしてデビューするはずだった……。

タケモトコウジ 「ナイアガラレーベルの最初のアーティストは、シュガーベイブですよね? 伊藤さんは一時期、在籍されてますよね?」

伊藤銀次「シュガーベイブと僕の話になると、たぶん朝までかかっちゃうよ!(笑)」

タケモト 「えー聞きたいけど、どうしよう、どうしよう!」

伊藤「簡単に言うとね……」

 そう前置きをしながら、番組ではインタビューが進んだ。

 はっぴえんどの解散コンサートを目指して練習が始まると、大瀧さんは完璧主義者で、練習はものすごく厳しく、「細野さんのバンドを超えろ!!」とほとんど休みなし。貴重な休みのときに立ち寄ったロック喫茶で、山下達郎が卒業記念で、自主で作ったビーチ・ボーイズなどをカバーしたレコードが流れていた。

「音が良くないし、コーラスもイマイチだが、リードボーカルが入ってくると、『おっ!?』となった。それが山下くんのバンドだったんだよ。そのとき、店員さんに連絡先を聞いてレコードを買ってきて、大瀧さんに教えたら『面白いから連れてきなさい』と言われて。今度はレコードに書いてある住所に電話して、さらに連絡先を伝ってマネージャーに会った」(伊藤)

 後日、大瀧がスタジオとしていた東京の福生に、山下達郎と大貫妙子が訪れる。そのとき、大瀧が解散コンサートでシュガーベイブにコーラスを依頼。そこから関わりが生まれた。はっぴぃえんどの解散コンサートに出た後、「僕たちがナイアガラレーベルから第1弾でデビューするはずだった。シュガーベイブが第2弾の予定だった」(伊藤)。しかし、解散コンサートの翌日に、伊藤のバンドが解散することとなる。

 当時、音楽産業は黎明期でもあり、職業としてバンドマンがやって行けるかも分からない時代。大瀧氏の厳しさや、将来についての不透明さ、そして、はっぴぃえんどの解散コンサートで感じたプレッシャーから、バンドメンバーは去ったと言う。一人残った伊藤は、その後、シュガーベイブや、アレンジャーとしても活躍の場を広げていくことになる。

タケモト 「伊藤さんにとって、大瀧さんはどんな存在なんですか!?」

伊藤「大瀧さんに出会えて、本当に、良かったと思う、今だから言えるけど」

 大阪では自分が一番だと思っていたなか、大瀧に出会って、その鼻を「見事に折ってもらった」と伊藤はいう。「知識も経験も、(大瀧さんに出会えたから)もっと勉強しようと思った。それが大瀧流なんですよ。ナイアガラ(レーベル)は、みんな勉強が好きなんですよ! 音楽を徹底的に勉強してやる流派だと思うんですよ。大瀧さんには、それを教えてもらった。それも顔をしかめるのではなく、『楽しく』自分の好きなことをやる」

 その後、90年代に、伊藤はウルフルズをプロデュースすることになるが、「いつも頭の片隅にあったのは大瀧さんだった。大瀧さんが僕たちに言ってくれていたことが、すべて参考になった」

タケモト「正に大瀧道場の門下生」

伊藤「多分僕一人じゃないかな〜(門下生は)!? ラッキーなことに(笑)」


伊藤銀次 New Album「RAINBOW CHASER」

伊藤銀次 New Album「RAINBOW CHASER」
(2019年12月4日リリース)


伊藤銀次 LIVE INFORMATION
2020年1月27日(月)
神戸・チキンジョージ
OPEN 18:00、START 19:00
「長江健次cafe~vol.7~」
出演:長江健次、伊藤銀次、杉真理 長江健次バンド

ラジオ関西『田代さや佳のMirache Music Triangle』
1月18日(土)feat.ゲスト:片平里菜

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田代さや佳のMirache Music Triangle | ラジオ関西 | 2020/01/11/土 18:00-18:55

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