合成麻薬MDMAとLSDを所持したとして、麻薬取締法違反罪に問われている女優の沢尻エリカ被告について、落語家の桂春蝶は、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組で持論を展開した。
●桂春蝶
まず、いろんなことを思うんやけど、沢尻エリカのことを、ボクは、すごい憧れていたんですよ。『ぶっちぎってすごい人』と思っていたんです。ただ、沢尻エリカの魔力が、こういうもの(薬物)を使ったうえでのことだったのかと思うと、ちょっと残念なんよね……。
(沢尻の)自分自身が輝いていて、「何カラットあんねんコレ!」と。磨く必要がないというか、いきなり「ダイヤモンドだ!」と思っていたわけですよ。それが、そういうものを借りてのことだったと思うと、残念だなと思うんです。
「女優復帰は考えていない」、「復帰を語る資格はない」というようなことを言っておられますが、「こういうことを今、言うといた方がええやろ」という計算のうえで言っているのだったら、まだいいのよ。でも、本気で言うんやったら、ちょっと寂しいなと。
何でかと言えば、文化創造というのはね、子どものときにみんなとなじめなかった人とか、「ちょっと俺、あかんな……」とか、「何でこんな息苦しいんやろ」とか、そういうコンプレックスの固まりみたいな人間が、「このままやったらアカンな」、「何かせなアカンわ」と、絵を描き始めたり、舞台で何かやったりするところから始まると思うの。
その今までのギャップが生む摩擦からくる『熱量』を、世間がどう反応するかというところが、我々のやってることのすべてやと思ってるんですよね。
ということは、沢尻エリカは今、どん底に叩き落されたわけですよね。ここから、「ここのままだと私、アカンで!」となったとき、(底辺から)高いところを目指そうとする『ギャップ』から発生される熱量は、今までの熱量と全然違うと思うんですよ。
そこから一体、この人が何を作るのか、そして、それを周りがどう反応するのかというところは、文化創造という一点だけでいえば、非常に興味深い。これは、あくまで、世間一般のコンプライアンスとかは、ちょっと置いといて、という話ですが……。
ボクは別に、テレビに出えとも言わん。映画に出えとも言わん。その辺の河原で何かやり始めてもええと思うのよ。それで、投げ銭、放り銭で生きて行くというのを沢尻エリカが選ぶなら、その河原はパニック状態になるくらい人が集まると思う。
その証拠に、こういうときの裁判って、並ぶやん。アカンアカンと言いながら、裁判には(大衆が)並んでるんですよ。「あんた、どっちなん?」と。『叩く』ということは、「ほんまは見たいねんやろ」、「ほんまは好きなんやろ」と。
だから、一時的に身を置ける『第二芸能界』というのを作るべきやと思うよ。