秀吉や官兵衛らにもゆかりある山城 西播磨歴史絵巻(10)「たつの市の山城」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

秀吉や官兵衛らにもゆかりある山城 西播磨歴史絵巻(10)「たつの市の山城」

LINEで送る

この記事の写真を見る(1枚)

 兵庫県西播磨の山城への探求に加え、周辺の名所・旧跡を併せるとともに、古代から中世を経て江戸時代、近代にかけて、西播磨で名を挙げた人物についても掘り下げていくラジオ番組『山崎整の西播磨歴史絵巻』。第10回のテーマは「たつの市の山城」です。

山崎整の西播磨歴史絵巻
『山崎整の西播磨歴史絵巻』

 前回の長谷山城をもって、たつの市内にある主な山城14か所を巡り終えました。始まりは新宮町の「城山城」でした。その北に位置し、城山城北郭の名もある「祇園岳城」と続き、揖保川町の長谷山城で締めくくりました。

 城山城と祇園岳城が内陸の典型的な山城であるのに対して、播磨灘に面した御津町室津の室山城は一転、港を見下ろす「海城」です。こうした好立地は、群雄割拠の時代には争奪の対象になりがちで、室山城もご多分に漏れず、城主は転々としました。最初は、源頼朝の命で地元の室氏が築いた砦に始まり、赤松・山名・浦上と城主が変わり、最後は龍野城主・赤松政秀が夜襲を掛け、浦上政宗・清宗の親子をもろともに滅ぼしました。

 その龍野赤松氏の根拠地だった龍野古城から、山を下った近世龍野城もまた、1672年に着任した脇坂氏に落ち着くまで城主の顔ぶれが目まぐるしく、蜂須賀・福島・木下・小出・山口・池田・本多・小笠原・岡部・京極の各氏へと短期政権が続きました。そんな新旧龍野城のルーツともいえる平井城にも言及しました。

 しかし、たつの市内の知名度の低い山城にも特徴があります。例えば新宮町の香山城は、揖保郡北部から宍粟郡南部にかけて覇を唱えた香山氏の居城で、総石垣で造られた多数の曲輪をはじめ竪堀や石塁など、戦のための防御跡が残っています。秀吉が宍粟市山崎町の長水城を攻めた際、香山城は、かの黒田官兵衛によって落城しました。

 城山城や香山城のある新宮町で忘れてならないのは、鞍背城と曽我井城です。鞍背城は「因幡街道を見下ろす宇野氏の居城」です。14世紀前半の建武年間(1334~38)に赤松円心が播磨守護代の宇野頼季に命じて築城しましたが、前期赤松氏が滅びる嘉吉の乱(1441)で落城しましたので、100年余りしか持たなかったことになります。かたや円心自らが築城した曽我井城も同じ乱で落ちましたが、こちらは応仁の乱の後に赤松政秀の三男・祐高が再興後、秀吉の播磨侵攻まで命脈を保ちました。

 揖西町と揖保川町養久にまたがる乙城の築城もやはり建武年間です。円心に命じられたのは高瀬小四郎景忠なる武将でした。1560年、赤松氏に仕えていた浦上氏の手により落城したのも、下剋上の象徴です。そして秀吉の登場後、軍門に下った龍野赤松氏4代目の広英(秀)がしばらくこの乙城に蟄居し、1585年には竹田城に移ります。

 このほか、たつの市内には、まだ多くの山城が残っています。天神山城をはじめ中山・笠松・竹万ちくま・柴摺しばすり・伊津・武山・基山などの各城についても、機会があれば取り上げたいと思います。

(文・構成=神戸学院大学客員教授 山崎 整)


ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2020年6月9日放送回音声

LINEで送る

関連記事