丹波篠山市、城下町を歩く(2) | ラジトピ ラジオ関西トピックス

丹波篠山市、城下町を歩く(2)

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◆石碑のささやまの字は『笹山』!

 昔の記録では『ささやま』の『ささ』の字は『篠』や『笹』を使いました。このお城のある辺りは盆地の中央にある小高い丘で笹が生えていたから、というのがひとつの説。あるいは神聖な丘だったから『聖々山』と書いて『ささやま』と言ったという説もあります。ちょうどこの記念碑の前から東南を見れば中世の山城八上山が見えています。伊能忠敬は1800年代に日本の海岸部を歩いて測量し地図を作りました。

 明治になり地図の正確な国は文化水準が高いことから、イギリスが日本はどの程度の地図を持っているかと『地図を見せて欲しい』と言ったとき、この地図(伊能忠敬の作った地図)を見て、とても正確な地図だと感嘆しました。明治になる約50年前に笹山でも測量が行われました。

◆歴史美術館(旧篠山地方裁判所)

 お城の北の二階町を少し東へ戻ったところにあります。明治24(1891)年に建てられた木造の裁判所を美術館に改修。古くからの美術工芸に優れていた丹波篠山ならではの名品の数々が展示されています。

◆武家屋敷安間家史料館

 お城の西側には御徒町があり徒歩で戦いに参加する侍達(騎馬武者とちがって)のお屋敷が残っています。その一角にあるのが武家屋敷安間家資料館です。安間家は篠山藩主青山氏の家臣の標準的な徒士住宅だったもの。当時の侍達の暮らしぶりが伺える資料が展示されています。

◆王地山(公園)

 篠山の城下町から、かなり東にはずれたところにある小高い丘、王地山。八上の山城を盆地の平地へ移そうという時にこの丘もお城にしたらどうかという候補地のひとつになりました。結局ここにはお城が建てられずに、その西の篠山にお城が作られました。

 篠山城を中心にしてゆっくり散策すると、お城の北側に美術館や歴史村あるいは二階町の街並みがあります。そしてお城の西側には武家屋敷が残り、東には河原町の商家群、町をはずれた東の丘の上、王地山の上に「王地山まけきらい稲荷」があります。


『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉11⽇放送回音声

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