光秀と対峙した地、丹波市で歴史を訪ねる(1)『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

光秀と対峙した地、丹波市で歴史を訪ねる(1)『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』

LINEで送る

この記事の写真を見る(7枚)

 中世になって山城ができたりすると、ここを拠点にした武装勢力も同じように信仰するというように、長い神社としての歴史を伝えてきたところです。

 非常に興味深いのは、本殿の奥の大きな森の中に巨石がいくつかあり、その中に「鏡石」と名付けられた巨石があることです。鏡は道具として「姿を映すもの」「影を見るもの」でした。それが「かげみ」となり、なまって「かがみ」という言葉が生まれたといわれています。

鏡石
鏡石
兵主神社奥の森の中にある巨石
兵主神社奥の森の中にある巨石

 鏡が本格的に使われるようになったのは弥生時代のこと。現在、我々はこの鏡の表面に太陽が映ってピカピカすることを「反射する」と科学的に言いますが、多神教の文化を持っていた古代の日本人にとっては、その最大のものが天照大神といわれた太陽神でした。遥か遠いところにある太陽がこの金属の器に乗り移ると信じ、神様が乗り移る道具とされました。先ほどの鏡石は姿を映すことはできません。「神様が乗り移る」という古代の信仰のなごりでしょう。

 平安時代の記録の中にこの兵主神社が出てくることからも、日本でも最も古い時代から神社としてまつられている場所だといえるのかもしれません。

兵主神社社叢の紹介板
兵主神社社叢の紹介板

 神社の名前からも戦いに強い神様という意味がくみ取れます。中世になり侍の時代になると侍たちの信仰が集まります。律令国家が動揺する時期に荘園が形成され春日部荘という荘園ができ、中世の終わり戦国のころになると各地に武将が砦、お城を築きました。ちょうどこの神社の東側に県立氷上高校がありますが、その東の山が黒井城の本丸のある山です。武将たちは戦いに勝つお祈りをするためにこの神社を信奉しました。明智光秀に打ち勝ったといわれている赤井直正の兜が伝わっています。

(文・構成=番組パーソナリティー久保直子)

番組
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年7⽉2⽇放送回音声

LINEで送る

ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波 | ラジオ関西 | 2020/07/02/木 17:35-17:50

放送後1週間聴取可能、エリア内無料 radikoプレミアム会員はエリア外聴取可

関連記事