日米の野球界に大きな隔たりがあった1950年代から60年代にかけて、両国間の懸け橋になった歯科医が兵庫県西脇市にいた。2003年に74歳の生涯を閉じた今里純さん。その名は大リーグ全球団にとどろいた。交友の広さと深さを物語る膨大なコレクションの目録づくりが西脇市で進んでいる。
元阪神タイガース監督の吉田義男さんが2008年6月の日本経済新聞連載「私の履歴書」で、「顔が広い真の大リーグ通」と題して次のように書いている。
「世に『大リーグ通』は多いが、故今里純さんこそ最高の人だったと私は思う。パンチョ伊東こと元パ・リーグ広報部長の故伊東一雄も、今里さんには一目おいていた。ア、ナ両リーグ全球団と常に連絡して情報を集め、日本の球団や選手に提供してくれた。阪神は1963年春に初めて海外キャンプをデトロイト・タイガースのキャンプ地、米フロリダ州レークランドで張った。そのお膳立てをしてくれたのが今里さんだった。日米球界の情報ルート開拓に尽くした今里さんの功績を、われわれは忘れてはなるまい(抜粋)」
英語が堪能で、大の野球好きだった今里さんは1946年から進駐軍向けの短波放送で大リーグ中継を聴き、熱心にスコアをつけた。当時、大阪歯科大生。放送局に「各球団のメンバー表を送ってほしい」と手紙を出したことがきっかけに球団、さらに大リーグ機構と交流が生まれた。
「大リーグが親善野球で来日すると、今里先生は小さな体で背伸びするようにして通訳を務めた。何度も渡米し、ユーモアあふれる会話で友人を増やした。大リーグの協約や協定、歴史にも通じていたので、日米両国の球界と深いところで信頼関係を築いた」と西脇市在住のスポーツライター竹本武志さん(70)。コレクションは名選手との写真を収めたアルバム、各球団から届いたフリーパスやメディアガイド、サイン入りボール、バット、ユニホームなど約2800点にも上る。
今里さんの功績の一つに、米国の野球教本を日本に紹介したことがある。「ドジャース野球教本」「テッド・ウィリアムズの打撃論」「タイ・カップの外野守備」などを日本語に訳し、親しい日本人選手に贈った。