兵庫県立氷上特別支援学校のちょうど西の方角にある春日神社を訪ねました。
兵庫県大百科事典(神戸新聞出版センター)によると、春日インターチェンジのある黒井のあたりは、地下に泥炭の層があるため湧き水が黒く濁るので「黒井」といったのだろうと記されています。
春日神社はこの黒井の盆地の南側にあります。神社のすぐ横の山が惣山(そうやま)。「惣」というのは、今でいえば、連合自治会みたいなもの。自治会が「村」で、村を合せたものが「惣」です。黒井の村々を合わせた地域全体の山という名前を持っている、惣山。その麓にあるのがこの春日神社で、黒井の土地では「総社」としています。村ごとの鎮守の神様と違い、もっと広域的な村々の人達から連合して信仰されている神社です。総社春日神社、春日明神と言われ、横に惣山があるということは信仰の面で黒井の盆地の一番中心だった可能性を示しています。黒井の人たち、春日部荘園の人たち全体が信仰していた神様の鎮座する場所だということです。
古代の終わりから中世にかけて、奈良の春日大社の荘園だったことから、神主さんたちが管理をするために管理事務所みたいなものが置かれると、本部の春日大社からも御神霊を分けて招いてくる格好でこの春日神社が始まったのだろうと思われます。この一角は天正3年から天正7年(西暦1575年~1579年)にかけての明智光秀の丹波攻めと荻野(赤井)直正らの反撃という戦乱の時に影響を受け、お社も焼けてしまいました。
現在の春日神社のお社は、平和な時代になって建て直されたと伝えられています。本殿の蟇股・蛙股(かえるまた)や懸魚(げぎょ)、象鼻(ぞうばな)等の彫刻の様子から見て、遅くとも江戸時代の初めごろの建物だろうと思われます。つまり、戦国末期に焼かれ、のちに再建されたという言い伝えを証明する建物です。
しかも建物は、正面から見ると柱の間が5つ(柱は6本)。つまり柱の間は一間ですから、五間の正面からのお社で屋根がずっと長く伸び下ってきている五間社流造(ごけんしゃながれづくり)です。五間の建物は全国的にも珍しく、兵庫県下では唯一ということなどから、兵庫県の文化財に指定されています。
黒井歴史散歩では、JR黒井駅から北側の黒井城にかけてを多くの人たちが散策されていますが、黒井の盆地の南端に、ある意味、この地の中心となる歴史の跡があります。ぜひ訪ねてみてください。
(文・構成=番組パーソナリティー久保直子)
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年7⽉16⽇放送回音声