■コロナとの闘い、収束すれば「自分探しの“旅”」に
應聖寺の桑谷祐顕住職は「コロナウイルスとの共存は、誰にでも人生の幕切れが、ある日突然やってくるんだという、諸行無常の道理を教えてくれた。しかも人を選ばず、時を選ばず。一度限りの人生を、有意義なものとするために、過去を振り返り将来を夢見ながら、鎌倉時代の禅僧の言葉とされる『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』のごとく自身の足元をよく観察して、しかるべき時に着実な一歩を歩み出してほしい」と話す。
桑谷住職はまた「人はひとりで生きているわけではなく他者への思いやりのできる人であり続けるべきだが、そのためには人の集まる社会がどうしても必要」と訴える。
そして「『Go To トラベルキャンペーン』について経済活性化か感染拡大防止か、是非が問われている。議論は尽きない。私としてはコロナ禍がもう少し落ち着いた時にゆっくりと『自分を探す旅』に出かけていただきたい。日ごろ私たちが背負っている、硬くて重い「心の鎧(よろい)」を取り外してほしい」と願う。
1年365日かかって、その日1日だけ咲く沙羅の花。季節外れの沙羅の花を楽しみ、来年の季節にはぜひ訪ねてみてはどうだろうか。
◆妙見山應聖寺(みょうけんざん・おうしょうじ)兵庫県神崎郡福崎町高岡にある天台宗の寺院。飛鳥時代の白雉年間、1300余年前に天竺の高僧・法道仙人によって開基されたと伝えられている。鎌倉時代、播磨国は有力御家人の梶原景時の所領を経て小山氏の領地となり、應聖寺は代々播磨国守護職の祈願所として発展。関西花の寺二十五霊場八番、播州薬師霊場第十三番札所。「名勝應聖寺庭園」は兵庫県指定文化財。