柏原藩陣屋跡の門の前から振り返ると、山の上に八幡神社の三重塔がみえます。柏原のお殿さんは江戸時代の初めに織田信長の弟の信包、信則、信勝と三代続いてあとは絶えてしまいました。
その後、幕府直轄領になり、元禄年間になって、大和から織田家の別の流れをくむ、信休というお殿様が藩主として転勤して来られます。幕末まで、この織田家が続いていきます。
この後半の織田家の初代のお殿様が柏原にやってきたあと、正徳4(1714)年に陣屋を造営。広大な敷地に大名の館が建てられましたが落雷や火災がおこり傷んだため、文政3(1820)年に表御殿を再建しました。現在、その一部が残っています。貴重な遺構です。
明治18年、この陣屋跡のすぐ北側に氷上高等小学校の校舎として作られた立派な洋館があり、県の文化財に指定されています。柏原黎明館と呼ばれ、現在はレストランになっています。
柏原藩陣屋跡の道路を隔てた正面には、柏原歴史民俗資料館と田ステ女記念館があります。記念館には「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」という俳句を作った柏原出身の女流歌人・俳人の田ステ女(でん・すてじょ)関係の資料などが集められています。記念館のすぐ北側には田ステ女を顕彰する小さな石像が据えられ、その道に面して織田のお殿様の石像も建立されています。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年7⽉23⽇放送回音声