播磨十水は赤松義村が定める? 西播磨歴史絵巻(23)「基山城と武山城」

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 兵庫県西播磨の山城への探求に加え、周辺の名所・旧跡を併せるとともに、古代から中世を経て江戸時代、近代にかけて、西播磨で名を挙げた人物についても掘り下げていくラジオ番組『山崎整の西播磨歴史絵巻』。第23回のテーマは「基山城と武山城」です。

山崎整の西播磨歴史絵巻

 たつの市御津町の海岸沿いには、赤松円心の命で弟の萩原孫三郎光則とその息子・孫四郎敦則の親子が築城したとされる基山城と、1キロほど東の武山城がありました。武山城の北2キロ弱には雛山城があり、その3キロばかり西に伊津城も存在し、互いに連携して播磨灘ににらみを利かしていたと考えられます。

 基山城を築城した、円心の弟・光則の系統は、本家の赤松家を離れ、独立した家を誇示するように、次々と新たな名字を名乗っています。赤松光則本人が「初代萩原氏」を名乗って以降、萩原氏の6代目・基知が「須賀氏」、その次男・知常が「鯰尾氏」、知常の息子が「藤尾氏」といった具合に名字を変えています。

 基山城に関する資料はほとんどありません。国道250号の「新舞子口交差点」を南へ下ると、海水浴場の東側に海抜63㍍の山頂に基山城があります。元弘年間(1331~34)に円心の弟・萩原孫三郎光則が、たつの市揖西町の土師(はぜ)城から、この城に移ったと言います。頂上部の少し開けた所の東寄りに、県の史跡で4世紀中頃の前方後円墳「輿(こし)塚」があり、その後ろの小高い削平地が本丸跡と見られます。さらに北側の竹林には城跡をしのばせる土橋状の地形をはじめ空掘跡、石垣、石積み、それに曲輪跡らしき場所も残っています。

 基山城の東に海抜68㍍の武山城があります。今は大正8年に成山(なりやま)徳三郎が干拓に着工し昭和12に完成させた畑地「成山新田」が南に広がっていますが、築城当時、城は海に面していました。城の下に「播磨十水」の一つ「篠井(しのい)乃水」があります。ここから登った山頂に武山城があり、途中、石積みや曲輪、土塁が見えます。萩原孫三郎光則の嫡子・孫四郎敦則が城主でした。

「篠井乃水」などの「播磨十水」は、『播磨鑑』に、後期赤松氏の2代目・赤松義村が定めたとする一方、『播磨名所巡覧図会』には義村の曽孫・赤松則房の記述があって厄介です。篠井乃水は、たつの市の名勝に指定されているほか、同市揖西町に小柳清水、姫路市内に小野江清水、岡田苔清水、御所清水、揖保郡太子町黒岡の桜井清水、神戸市西区岩岡町の野中清水などがあり、多可町加美区の落葉清水は「松か井の水」とも呼ばれ「平成の名水百選」にも入っています。

(文・構成=神戸学院大学客員教授 山崎 整)

※ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2020年9月8日放送回より


ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2020年9月8日放送回音声

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