中世には港町、近世には城下町、そして明治以降は産業都市として発展した尼崎の歴史遺産などを展示する「尼崎市立歴史博物館」が10月10日オープンした。
尼崎城の本丸があった場所に、昭和13(1938)年、旧尼崎市立女学校の校舎として建てられ、平成17(2005)年まで中学校の校舎として使われた「歴史的建造物」が、博物館として生まれ変わった。玄関付近の八角形の窓や庇の時計台など、玄関付近に当時の外観上の特徴が残っている。
内部は博物館として活用するために「展示室」にリニューアルされたが、2階の1室は「成良中学校」の教室の姿をそのまま残した。教室には、落書きが残る机やいすのほか、昭和40年代に大気汚染対策のために設置された空気清浄機も置かれている。もちろん今は稼働していない。
教室を改装した常設展示室は6部屋。尼崎というと近代の工業都市としてのイメージが強いがその歴史は古い。原始・古代から現代まで、時代ごとに1部屋というレイアウトで、流れを追いながら尼崎の歴史に触れることができる。貴重な資料も多い。東園田遺跡から出土したイイダコ壺は、490個がまとまっていた。このことから「490」が操業の1つの単位であったことがわかったといい、展示ではすべてではないが、出土した形のまま蛸壺が並べられている。
古代・中世(7世紀から16世紀)の1000年間では、土地が北から南に広がっていたことが文献からわかるという。尼崎の北部には、奈良・法隆寺と同じ伽藍配置の寺院が建てられた。その後、このあたりが「猪名寺」と呼ばれたという記録があることから、「猪名寺廃寺」としている。寺があるということはその周辺に人がいたとされ、そこから南に開発が進んだ。鎌倉時代には港湾都市として発展。その港・海岸線も時を経るにしたがって南へ移っていくことも、地図から読み解くことができる。
江戸時代には、譜代大名・戸田氏鉄により尼崎城が築城された。大坂の西の守りの役割を持ち、これに合わせ城下町も形成された。四層の天守と三重の堀を持ち、その大きさは甲子園球場のおよそ3.5倍。歴史博物館は本丸の北側部分に当たる。100分の1スケールで尼崎城本丸を復元した模型も展示され、そのスケールの大きさがわかる。
■尼崎市立歴史博物館
尼崎市南城内10番地2
(阪神「尼崎」駅 南口から南東へ徒歩10分)
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜(祝日の場合は直後の平日)、12月29日~1月3日
入館料 無料(特別な催しの際は徴収することあり)