【田辺】八上山の上へあがってきたわけですが、460メートルくらいの海抜ですから、神戸の菊水山と同じくらいの高さです。八上城のほかにもいっぱい山城があるんです。最終的に戦国の末期に弱肉強食で多紀郡全体を支配するようになった波多野氏が拠点を置きました。登ってくるときも「えらい山やな!」「えらいとこにお城作ったな!」と思われたでしょうが、えらいところだからお城を作ったんです。こういう山にお城があるというと、堀は竪掘りを掘るんですよ! ここも途中気が付かれた方はあったと思いますが、すぐ本丸の肩の部分に「大竪堀跡」と書いてありましたよ! 横の堀はありません。あれは平和になってからのお城です。
【小野さん】今、登ってこられたんですが、これは人工的に作られた山道になっていますので当時のものではございません。朝の5時、6時台でしたら雲海があるということも聞いておりますので、また四季折々に立ち寄っていただけたらうれしいです。
☆そして、いよいよ山上、本丸部分へ
【久保】山上はパノラマのように景色を見ることができて、田辺先生がいつも仰っている交通路が山の上に昇るとすごくよく見えましたよね。
【田辺】京都から日本海側に向かう山陰道が亀岡のあたりから峠を越えて兵庫県側の丹波、旧多紀郡に東から入ってきます。そして篠山の町で北西にカーブし但馬の方に向かって進んでいきます。この方角を変えて北西へ登って行くのを登らずに、そのまま東北から盆地の南端を南西に行くのが現在の国道372号です。これと並行して今も山陽道が残っていて、八上城のすぐ北側に八上の一里塚があります。江戸時代になって、重要な交通路沿いに里程を図るために作られました。そして、八上城のすぐ北の麓をやや東北から南西に通っていきますと、ちょうどこの高城山の西北の麓に、このまま直進して姫路方面に行こうとという道と山陰道がここでカーブして北西の方に上がっていくという分岐点(※一般的には「追分」といわれる)に、十兵衛茶屋という茶店がありました。茶店の建物も残っています。これを見ると八上は京都から来る山陰道が姫路方面に行く道とそれから本当の山陰道が但馬から山陰に行く分岐点にあるというのが、本当に上から見てもよくわかりましたね。
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なお、参加者からは、「とても楽しかったです。普段、個人では行けないようなところなので、皆さんと一緒に行ったら一緒に登り切れてよかったし、田辺先生のお話もすごく参考になりました」「八上城はとっても登りやすいところで、とても良い一日でした」などの感想が寄せられ、このツアーを思い思いに楽しんだようでした。
高城山は盆地から独立して400メートルほどの高さがあり、かなり急で大丈夫かなという心配もありましたが、参加者はみな、元気に登頂。登りは1時間かかるも、下山は30分ほどでおりてくることができました。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年10⽉29⽇放送回音声