信包は温厚な人だった様で、信長が1582年の本能寺で亡くなったあとも有力な武将として存在します。1590年に秀吉が天下統一。その時の小田原城主、北条氏を秀吉が抹殺しようとするんですが、信包が諫めるんです。そのため、逆に秀吉に嫌われて、大名の地位を失ってしまうのですが、晩年になって信包は秀吉から大名の地位に復されています。その時に与えられた土地が柏原なんです。
柏原のお殿様は徳川の兄貴分だった織田家。家の格としては名門でした。徳川家も一目置かなければならないのですが何か抑えておかなければならない。どうしたかというと、城主にしなかったんです。城主の格のお殿さんがいる館は城ですが、城主格を持っていないお殿さんのいる館が陣屋なんです。だから柏原に行ったら陣屋があるんです。
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◆ツアーに参加された方からは、「参加して良かったです。田辺先生のお話はとても面白くて楽しかったです」「はじめてあんな高い山に登りまして、ちょっと苦しかったんですけど、皆様が助けてくださって、楽しい一日を過ごさせていただきました」「写真を撮るのが楽しみで来たんです。楽しく過ごせました」「当選してとってもうれしくって、もう喜んで参加しました。とっても楽しい一日でした。ありがとうございました」などの感想をいただきました。
(構成:久保直子)
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年11⽉19⽇放送回音声