【中西さん】この近くに本休寺というお寺がありますが、今はちょっと荒れていて、一般公開されていません。ただし、ここの庭も、重森さんが気持ちを込めて作られたと聞いています。「住之江の庭」と比べると規模は小さいです。本明谷の奥にあり、厄神さんと言っていました。
【田辺】重森さんはもともと日本画の勉強をされていて、途中から茶道の稽古をはじめ、お茶室なら庭がいるということで、日本の庭の歴史を研究するうちに、自分で作りだしてしまわれたのですね。
【中西さん】「日本庭園史図鑑」(全26巻)、「日本庭園史大系」(ご子息の重森完途と共著)といった大きな本は、重森三玲さんのご本です。いけばなも、勅使河原蒼風、中川幸夫といった方たちと一緒に革新的に進めていかれました。
◆前庭も修復
【中西さん】1966(昭和41)年の「住之江の庭」作庭以来、半世紀が経ち、かなり荒れていたため、地元の方たちが胸を痛め「何とかならないだろうか」と思っていたところ、ちょうど文化庁の「観光拠点形成重点支援事業」の採択を受けることができました。
後ろの庭(北面)を修復した後に、前庭(南面)も修復しようということになりました。砂もちゃんと入れて、今年の1月に住民だけでなく県内外からも(人が)来られ、力を合わせて修復しました。
ちなみに、目の前(南面)にある高等学校(兵庫県立篠山東雲高等学校)がもともと福住中学校だったんですが、僕はそこの卒業生です。休み時間に山に上がると、福住の町が一望できました。とっても(景観の)良いところです。この山の向こうが大阪府、そして東が京都府です。山の向こうに行くと何かあるんじゃないかと、ずっと子どもの頃から思っていました。
ここを「丹波篠山の神社の庭ですよ」と言わずに写真を撮ったとしたら、ひょっとしたら京都の名園じゃないかと言われる方があるのではと思います。一般の方がここに入ってこられたら、あの塀からのぞかれるんですよ。ちょうど背伸びしたら見えますから……。ふっとのぞいてびっくりされるんです。「この庭は!!」ってね。地元の方が手入れをして完成し、網干垣が青々しているときに見ましたら、本当にきれいでした。現在もとても良い味が出てきています。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年12⽉10⽇放送回音声