毎週日曜午前8時からのラジオ番組『ラピスモーニング』(ラジオ関西)で、神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職、「ラピス和尚」さんの楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っているもの。そんな感動をラジトピで連載していきます。3月14日放送回の辻説法では、とあるお寺の掲示板にあった、ある作曲家の言葉を取り上げました。
みなさん、お寺の前にさりげない言葉が飾られているのを見たことがあると思います。お寺の掲示板(伝導掲示板)は、ふと目をやると「なるほど」と心が導かれるような言葉の宝庫です。
「評論家のいうことに決して耳をかたむけてはいけない これまでに評論家の銅像が建てられたためしはないのだから」
この言葉は、フィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスのものでした。
シベリウスを代表する作品のひとつに、1899年作曲「フィンランディア」があります。この頃のフィンランドは帝政ロシアの圧政に苦しんでおり、この曲は当初「フィンランドは目覚める」というタイトルで、歴史劇の音楽として作曲された8曲からなる管弦楽組曲の最終曲を独立させたものでした。この作品により国民の意識が独立運動の高まりにつながることを恐れた帝政ロシア政府は「フィンランディア」に演奏禁止処分を下したのです。
シベリウスはこのほか、フィンランドの民族叙事詩に触発された100曲以上にも及ぶ歌曲、オペラ、ピアノ曲、室内楽曲と湧き出る泉のごとく発表しています。
それでは、そんな大作曲家シベリウスが、どうしてこの言葉を発するに至ったのでしょうか。1920年頃まではたくさんの作品を発表してきたシベリウスでしたが、60歳を過ぎたころから作品発表のペースに変化が現れます。以前の作品の手直しや、未完となった交響曲を書いたりと、シベリウス自身の活動は止まるものではなかったにしろ、「ヤルヴェンバーの沈黙」といわれるほど、作品の発表が行われなくなったのです。
シベリウスは若くしてフィンランド音楽界のリーダーとなり、多数の音楽を発表しましたが、晩年は自身の音楽に向き合い、自身の新しい作品を生み出そうと試行錯誤していたことがわかっています。
今はSNSの発達により、すべての人が思うように作品を発表できるようになりました。しかし、それと同時にすべての人が批評家となっている時代。
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