兵庫県西播磨の山城への探求に加え、周辺の名所・旧跡を併せるとともに、古代から中世を経て江戸時代、近代にかけて、西播磨で名を挙げた人物についても掘り下げていくラジオ番組『山崎整の西播磨歴史絵巻』。第52回(最終回)のテーマは「天神山城と放送3年の総括」です。
今回が最後となった「西播磨歴史絵巻」は2018年4月に始まった「西播磨の山城」から通算すると157回を数えました。西播磨県民局管内を中心に詳しく述べた山城は68か所以上に上ります。最終回は、佐用町上本郷天満の天神山にある天神山城です。JR姫新線「三日月駅」から本郷川沿いに北東約3キロメートルに位置し、海抜250メートルの山頂付近で、南側傾斜が緩やかな山全体に、曲輪があったと思われる削平地が、段々畑のように頂上付近まで続きます。天神山城の手前に仁増構(にんぞうのかまえ)、奥には海抜420メートルもの大内谷山城が控えています。
嘉吉の乱で失脚した赤松氏に代わり、播磨守護となった山名氏配下の小笹九郎兵衛尚恒が、船曳荘を支配して城主となりましたが、後に赤松氏復活の際、円心の長男・範資の三男・直頼にルーツを持つ、大内谷山城主だった船曳尚重が、宍粟市山崎町の長水城主の宇野氏の協力を得て、夜襲をかけて落城させたと伝わります。当時、尚重は姓を奥氏に改めていたため奥五郎兵衛とも表記されます。
最初の城主・小笹氏は、全国の小地域分布でも、佐用町上本郷地区が5位に入るほど一族が集住していますので、城主の系譜が今も受け継がれているのでしょう。また山名勢から城を奪回した船曳氏は、世話になった宇野氏の居城・長水城が秀吉軍に攻められた際、尚重の孫・直興の代、板挟みで苦悩の末、長男・尚信を地元に置き、養子の三男・藤八郎と次男・与三(後の杢左衛門)が、宇野方と秀吉方に分かれて参戦し、お家存続を図りました。しかし関ケ原の戦いでは、時の天神山城主・船曳尚信が西軍の宇喜田秀家について敗れ、帰農しました。
山城には紛らわしい事柄が多数あります。佐用町上本郷と同じ「天神山城」が播磨だけで少なくとも、あと5か所あります。たつの市新宮町上莇原(かみあざわら)、姫路市書写西坂本、姫路市夢前町前之庄本庄、加古川市志方町西飯坂、加東市天神などにも天神山城があって厄介です。また城主の名前や地名に由来する別名も多く、座標軸に収まらず、何度も天を仰ぎました。そんな困難を何とか乗り越えられたのもリスナーの皆さまの励ましのおかげです。まだ解明できていない事柄は、地元の山城研究家の皆さまの成果に期待いたします。
(文・構成=神戸学院大学客員教授 山崎 整)
※ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2021年3月30日放送回より
2021年4月からは毎月第3火曜日「谷五郎の笑って暮らそう」の「ぐるっと西播磨」コーナーで谷さんとの掛け合いで山城話に花を咲かせたいと思います。
ラジオ関西『山崎整の西播磨歴史絵巻』2021年3月30日放送回音声