守さんは、それまで「少しずつ、自分のしたことに向き合っているような印象を受けた」と、少し変化を感じていた。加害男性にとって、一定の更生がなされたのかも知れないと思っていた。その矢先の出版だった。本当に加害男性は治療によって更生したのか。自らが犯した犯罪に向き合うための手段として手紙は重要な意味を持つと信じていただけに、守さんは「加害男性に対する矯正教育は、まったく意味をなさなかった」と話す。それでも「加害男性は、今後も生涯、自らが犯した残忍な事件に向き合う責任と義務がある」と考えている。
《神戸連続児童殺傷事件》
1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花ちゃん(当時・10)と小学6年の土師淳君(当時・11)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時・14)を逮捕した。少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2005年に仮退院した。そして加害男性は2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。
加害男性は医療少年院の仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。