フリーアナウンサー・田中大貴(元フジテレビアナウンサー)と林歳彦氏がパーソナリティーを務めるラジオ番組『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』に、阪神タイガースとオリックス・ブルーウェーブで投手として活躍した元プロ野球選手の野田浩司さんがゲスト出演。5月24日放送では、2度のリーグ優勝、1度の日本一、そして、19奪三振の日本記録達成などを果たしたオリックス時代を振り返り、今だから話せる秘話も明かした。
1987年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受け、プロの道に進んだ野田さん。鋭いフォークボールを武器に活躍する野田さんが1992年、トレードでオリックスに移籍した際には、ヤクルトスワローズで指揮をとっていた野村克也監督(当時)が「お化けフォークを投げる野田がパ・リーグに行ってくれた」と大喜びしニュースになったほど。
1995年、阪神・淡路大震災に見舞われたオリックス。それでも、「がんばろうKOBE」を合言葉に、一丸となって戦うと、リーグ優勝を達成した。その時の強さについて、「野球をやれるのかな、と正直思った。避難所からリュックを背負って試合を見に来られていた方もいた。復興とオリックスの勝利が平行するように盛り上がっていった」と当時の思いを吐露。「優勝パレードではたくさんの『ありがとう』の言葉をもらったが、僕ら選手サイドも『ありがとう』という気持ちでした」。
また同年に1試合19奪三振の日本新記録を達成した試合について「練習から調子がよく、体調もよかった。前の登板では2回8点を取られ、監督やコーチを続けて裏切られないという気持ちの張りもあり、すべてが(いい方向に)重なっていた。実は7回までに17三振を取っていたが、野手がフライを3つ落とした(苦笑)。もしフライを取っていれば19個には至っていなかった。不思議な空間だった」と振り返った。
さらに「裏でメジャーの話があった」と驚きの話題も飛び出す。同世代の野茂英雄投手(当時)がメジャーで活躍し、「『日本人のフォークはいい』となり、ミネスタ・ツインズから2年5億という話が。ただオリックスが楽しくて仕方なかったので、とても球団とケンカしていく気にはならなかった」と、エピソードにも柔らかな人柄があふれていた。
番組には次週5月31日放送回も出演し、阪神タイガース時代を振り返るという。阪神ならではの話題にも期待が膨らむ。