『火垂るの墓』~清太と節子が見た風景~「戦争は無情、どうしても姿重なって」4歳の幼女はいま… | ラジトピ ラジオ関西トピックス

『火垂るの墓』~清太と節子が見た風景~「戦争は無情、どうしても姿重なって」4歳の幼女はいま…

「火垂るの墓」記念碑 西宮震災記念碑公園(西宮市奥畑)内<※画像提供「火垂るの墓を歩く会」>
「火垂るの墓」記念碑 西宮震災記念碑公園(西宮市奥畑)内<※画像提供「火垂るの墓を歩く会」>
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御影公会堂内部 2021年はワクチン接種会場となり、内部見学は見送られた<※画像は2018年・解説講座参加者提供>
野坂氏は神戸で焼け出された後、幼い義妹を連れてニテコ池南側住宅地にあった親戚宅に一時期滞在 アニメに同じ視点の場面<※画像・歩く会参加者提供>
二テコ池(西宮市満池谷町)<※画像・歩く会参加者提供>
「火垂るの墓」記念碑 西宮震災記念碑公園(西宮市奥畑)内<※画像提供「火垂るの墓を歩く会」>
物語に登場する「御影公会堂」を前に
参加者にレクチャーする土屋純男さん(2021年8月)
石屋川沿い 1938(昭和13)年の阪神第水害で御影石が流れつき、墓石にしたという<1950(昭和25)年 ※写真提供・上村孝子さん>
終戦間もない1946(昭和21)年 下着も上着もすべて手作り、道路が芋畑となり空腹を満たしたという<※写真・上村孝子さん提供>
前列右端が上村さん 神戸空襲でのちに家は全焼 石屋川を背に <1944(昭和19)年11月 ※写真・上村孝子さん提供>
上村孝子さん 日米開戦の11か月前、1941(昭和16)年1月に生まれた
「火垂るの墓・記念碑」より<※画像提供「火垂るの墓を歩く会」>
「火垂るの墓」記念碑(神戸市灘区記田町・石屋川公園)
「火垂るの墓」記念碑(神戸市灘区記田町・石屋川公園)

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