――詞を書く技術は相当高かったのですね。
ZARDは曲が先にあるんですが、「このメロディーにはこういう言葉が入るよね」ということを思いつくというか、編み出す天才だったと思います。鼻歌のようなデモを聞いて、坂井さんは「これは『きっと忘れない』と言っているな」とか。すごい!と思いましたね。ただし、デモを聞いて聞いてすぐにわかるときもあれば、何百回と聞いて「これだ」と思うときもあったようですが。最初から起承転結とか、ストーリーがあるわけでもないのに、最終的には物語にさせてしまうのがすごいんです。斬新ともいえる、彼女の才能だと思います。
――特に印象的に残っている、忘れられない坂井さんとの思い出はありますか。
ZARDの拠点は東京でしたが、制作の拠点は関西にありました。『君とのDistance』(2005年)というアルバムの歌詞がちょっと間に合わない感じがしたので、「大阪で歌詞の打ち合わせをしたいので、いろいろ書いて持ってきてください」と言ったんです。私がスタジオで待っていると、キャリーバッグを2個持ってきたんですね。撮影もなかったので、「そんなに大荷物になる必要はないのにな……」と思っていたら、机に「ドンッ」と置かれたキャリーバッグの中身は全部歌詞。一行だけだったり、エッセイになっていたり、タイトルのようなものが書いてあるだけだったり……。周りの驚きとは裏腹に、本人は普通にしている(笑)。あのシーンは本当に忘れられないです。
――最後に、寺尾さんの印象深い一曲はなんですか。
『心を開いて』(1996年)というシングルがあるんですが、「恋愛がうまくいかないんだけど、私の心が今度こそ、あなたに開きますように」と歌っているんです。2番のサビで、「ビルの隙間に二人座って 道行く人をただ眺めていた」と、“サビらしくない”始まり方をして驚いたんですが、「コンビニの前に座って何か食べている人がいたけど、私にはできないので歌詞に書いてみました」と言っていました。普通「心を開いて」と聞くと「あなたの心が開いて、私に向かって」となるはずなんですが、逆で、「自分の心が今度あなたに開いたらいいな」という心のひだを歌っているんです。でも、曲はあくまで明るい。とても好きな曲ですね。
【ZARDプロフィール】
坂井泉水を中心としたユニット名。坂井は6才からピアノを始め、大学卒業後はモデルエージェンシーに所属し活動。その後、音楽プロデューサーの長戸大幸と出会い、才能を見出されZARDを結成する。1991年2月10日『Good-bye My Loneliness」でデビュー。現在までに45枚のシングル、21枚のアルバムを発表。シングル売り上げ1773.3万枚、アルバム売り上げ1990.0万枚を誇り、オリコン平成30年ランキング アーティスト別セールス第8位。自身の作詞活動以外にも他アーティストへの作詞提供多数(ミリオンセラー作品多数)。2007年5月27日の坂井泉水逝去後も、彼女の作品は“永遠のスタンダード・ナンバー”として多くの人々に聴き、歌い継がれている。