写真を提供した8人のうち、1948(昭和28)年から4年間、江埼灯台に勤務した職員の妻(97)がメッセージを寄せた。
「灯台から一番近い岩屋の町まで4kmもあり、買い物や病気になった時のお医者さんへの通院は大変だった。当時は灯台敷地内に官舎があり、裏山からの湧き水の美味しかったこと、山にはうぐいすが鳴き、満開の山桜、黄色い山吹の花がビワ山に咲き、敷地内の池を泳ぎまわるコイ(鯉)、灯台から見下ろす明石海峡を行き交う船を見ながらご家族での夕涼みなど、楽しい思い出がたくさんあります」。
1948(昭和28)年から5年間、灯台長を務めた男性の次女(74)は
「灯台での生活がとても楽しかったことを思い出すという。「石屋(いしや)小学校まで1時間の道を毎日歩いて通学、帰りは友達と寄り道をしながらの楽しい思い出となっていること、宝塚歌劇団の方がカメラマンと撮影にきたこと、小学校の遠足が江埼灯台だったことなど、今のような便利な生活ではなかったものの、自然を満喫できたすばらしい生活が送れた」と振り返った。
このほか、「海外旅行へ連れて行ってやる」と父親に言われて、訪れた江埼灯台で撮った記念写真を寄せた男性(56)もいた。
灯台の魅力を多くの人に知ってもらうため、「灯台女子」としてフリーペーパー『灯台どうだい?』 の編集発行人を務める不動まゆうさんは、江埼灯台について 「石積みによる表面は生クリームが塗られたように見えるし、全体のシルエットは切り分けようとしているホールケーキ。さらに夜には灯籠(光源の入っている部分)が赤く点滅するのでイチゴのように見える」と高く評価している。