竹田城跡もその1つ 「兵庫・但馬は日本の土木文化の聖地」 “アメノヒボコ伝説”から歴史遺産、赤木正雄ら先駆者まで

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 兵庫県北部の但馬地域は、“暴れ川”である「円山川」の存在により、明治以降本格的な治水・砂防が手がけられてきた歴史を持つ。そこで、関連団体で構成する実行委員会が、7日、豊岡市で「但馬と土木」と題したセミナーを開催。基調講演で園田学園女子大学名誉教授の田辺眞人氏が、干拓事業を想起させる伝説や数多く残る土木遺産、輩出した人材などについて解説し、「但馬は日本の土木文化の聖地」と論じた。

「但馬と土木」セミナーで講演する園田学園女子大学の田辺眞人名誉教授

 但馬地域では、大正から昭和初期にかけ、「治水の神様」とされる沖野忠雄氏らにより、円山川のショートカットを行うなどの治水事業が進められた。しかしその後も水害が続いたため、「砂防の神様」と呼ばれる赤木正雄氏ら地元出身の土木技術者が尽力。築堤、河床の掘削、川幅の拡幅などが実施され、現在に至っている。

 セミナーで田辺氏は「但馬地域は、兵庫県の全面積(約8,401平方キロメートル、※1)の約25パーセントにあたる。東京都と同じくらいの面積。底力がある」とし、「(歴史や人材を含めた)“土木文化”は国内でも最高レベル」と評した。

 そして、但馬を“土木の聖地”とする背景の1つとして「アメノヒボコ伝説」(※2)について語った。伝説は、湖のようだった但馬地域の土手をアメノヒボコが切り開き、水を日本海に流したことで豊岡盆地が生まれたとするもの。田辺氏が「干拓事業の祖」と言うアメノヒボコは、「出石神社」(豊岡市)の祭神となっている。

 また、「茶すり山古墳」や「竹田城跡」、「生野銀山」の坑道、「神子畑(みこばた)鋳鉄橋」(いずれも朝来市)、「余部鉄橋」(香美町香住区)など、今に受け継がれる文化遺産を列挙。但馬と土木の深い関わりを示した。

 さらに但馬は、日本の「砂防」を世界の「SABO」にまで高めた赤木氏や、日本土木学会の創設者の1人である沖野氏に加え、京都府知事として琵琶湖疎水を完成させた北垣国道氏(養父市出身、※3)、富山県の「黒部ダム(通称:くろよん)」建設を陣頭指揮した太田垣士郎氏(豊岡市城崎町出身)、衆議院議員や徳島県など複数県の知事を歴任した桜井勉氏(豊岡市出石町出身)、「粛軍演説」(1936年)などで知られる政治家・斎藤隆夫(豊岡市出石町出身)らを紹介した。

 田辺氏は「“自然の景観”、“文化の蓄積”に加えて“情報発信”」が、まちの個性を築き上げる重要な要素だと、文化芸能評論家の木津川計氏の言葉(※4)を引用したうえで、「継続的事業展開」、「土木関係各位との交流」、「日本遺産認定に向けた運動」の3点を、但馬に向けた未来への提言とした。

 但馬の土木文化については、11月21日(日)午後3時からラジオ関西で特別番組が放送される。

「但馬と土木」セミナーで赤木正雄氏の創作講談『“砂防の父 赤木正雄”伝』を披露する講談師の旭堂南海氏
「但馬と土木」セミナー。活動写真弁士の大森くみこ氏によるオリジナル紙芝居「但馬国生みの神様『天のひぼこ』の一場面

【『但馬は土木文化の聖地』放送音声】

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