神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職「ラピス和尚」さんが、ラジオ番組を通じて、楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っていることも。
今回の辻説法は、禅のことば「無縄自縛」について、和尚に聞いてみました。
◆本日の辻説法
「無縄自縛」
あっという間に1月も終わりへ。人類は新型コロナとの戦いを続けていますが、季節は確実に春にむかっています。早春は寒さから徐々に解放され、つぼみが膨らむ美しい季節ですが、新しい人生を歩みだす決断を迫られる季節でもあります。
「無縄自縛」は、読んで字のごとく縄もないのに自分を縛っている、ということ。仏教の世界で、修行に求められるのは悟りの境地に至ることなのに、知識を集めることにとらわれたり、経験を重ねたりすることで、かえって悟りから遠ざかってしまうということを表した言葉です。
進みたい道があるのに、まわりの人の目を気にして自分の行動を制限してしまったり、実現できないものを何かのせいにして被害妄想に至ったり、自らの可能性を閉ざしてしまうということでもあります。
見えない縄の正体は、心の中の「こうあるべき」という、自身のモノサシ。自分で自分を縛っているのですから、縄をほどくのは自分自身だといえます。
人生は短いです。本当にやりたいことは何でしょうか。迷っている間に時間は過ぎ去ります。「迷っている自分が好き!」という方は別ですが、「こうあるべき」という見えない縄にとらわれて苦しんでいるのであれば、こうありたいという自分の内なる声に耳をかたむけることが大切です!(ラピス和尚)
※ラジオ関西『ラピスモーニング』2022年1月30日放送回より
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