神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職「ラピス和尚」さんが、ラジオ番組を通じて、楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っていることも。
今回の辻説法では、禅のことば「雪月花」について、和尚に聞いてみました。
◆本日の辻説法
「雪月花」
寒い日が続きます。日本には四季折々の魅力があり、寒い冬にも雪の美しさを称えます。真っ白に降り積もる雪の美しさ、真っ白な雪の夜を照らす月の光の美しさ、真っ白な雪の上に落ちる椿の美しさ、どれも美しい光景ですが、どれも、時が過ぎるとともに衰退していくものばかりです。
雪は、春にはあとかたもなく溶け、
月は、満ちた瞬間かけてゆき、
花は一瞬のさかりを過ぎれば散ってゆく
ここで大切なのは、その美しさも、美しいと感じる心がなければ、ただ時間の流れにともなって通りすぎてゆくものなのです。
「雪月花」は唐代中期の詩人、白楽天の「琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君」……琴や詩や酒の上での友だちは皆わたしから遠く離れてしまった。雪、月、花の美しい時には一番に君のことを懐かしく思い出す。という詩から出典されたもの。
刻々と姿を変える雪や月や花の美しさを見過ごしたり嘆いたりするだけではなく、美しいものに出会ったときの心のありようを内観し、感謝のこころで捉えることができたらならば、とても素敵なことではありませんか。
(話=ラピス和尚)