1970年代から1980年代にかけて、ニューミュージックやロックのミュージシャンの間にはテレビ出演を拒否する風潮がありました。昭和のポップスターたちがテレビ拒否するに至った真相についてシンガーソングライター、音楽評論家の中将タカノリとシンガーソングライター、TikTokerの橋本菜津美が迫ります。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 今でこそYouTubeやSNSなどいろんな情報媒体がありますが、昭和はテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌……ザッツオール。中でもテレビが抜群に影響力を持っていました。ミュージシャンが人気を得ようと思ったら音楽番組やバラエティー番組に出演するのが常道だったわけですが、1970年代になるとあえてテレビに出ないことをスタンスとして打ち出す人が目立つようになりました。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 聞いたことがあります! 今でもテレビに出ないミュージシャンはいますけど、そういうレア感がファン心理をかきたてることってありますよね。
【中将】 当時のニューミュージックやロックファンには既存の歌謡曲を商業的なものとして批判する風潮があったので、テレビに出ないほうが都合のいい部分もあったと思います。テレビ拒否の火付け役で、かつそれにより成功した代表例は吉田拓郎さんでしょうか。
【橋本】 拓郎さんがテレビ拒否をしたのはなにかきっかけがあったんですか?
【中将】 拓郎さんも初めからテレビを嫌がってたわけじゃないんです。デビューした頃にある音楽番組に出演するんですが、打合せ不足でテレビサイズで歌うべきところをフルサイズで歌おうとして歌とオケがかみ合わなくなっちゃったんですね。それを司会者の布施明さんに怒られてケンカになって「もうテレビなんか出てやるか!」となったわけです。
【橋本】 なるほど~! もしこの事件がなかったら日本の音楽シーンやラジオ文化は少し違ったものになってたかもしれないですね。当時、他にはどんな人がテレビ拒否していたんですか?
【中将】 代表的な所だと中島みゆきさん、松山千春さんでしょうか。中島さんがテレビ拒否になった理由は拓郎さんと少し似ています。デビュー当初は積極的にテレビ出演していたんですが、ある番組に出演した時、トラブルがあって撮影が長引いちゃったんですね。その時に収録スタッフたちが「思い上がってる」と陰で悪口を言ってるのを聞いてしまったと。
【橋本】 デビュー前はきらびやかに映るテレビ業界だから、実際に触れて嫌な目に遭うとショックが大きいのかもしれませんね……。