その言葉を胸に、自分自身で何かできることはないかと思いついたのが、「月のスマイル」を描くことだった。鎮魂の祈りを込めて、1日1枚のペースで阪神・淡路大震災の犠牲者の数と同じ6434枚を、10センチ四方の和紙に約10年で描きあげた。
大島さんが定年退職を控えた2011年3月11日に東日本大震災が起きた。退職後にボランティアの誘いを受けた宮城県石巻市の学校での炊き出しに出向いた。避難所となった施設での炊き出しを通して、被災地で懸命に生きる人々の姿を見て逆にエネルギーをもらったと振り返る。
そして阪神・淡路大震災と同様に、東日本大震災も忘れまいと自分の心に留め、「月のスマイル」の絵はがきを描いた。犠牲者、行方不明者(※)を上回る計1万9000人分を描き上げたのが2019年の夏だった。
しかし、新型コロナウイルスの猛威は被災地と大島さんとの距離を遠ざけた。震災から9年経った2020年以降は、訪れることができなくなり、震災10年を迎えた昨年、宮城県女川町の支援学校や小、中学校、福祉事業所、「つながる図書館」などに、「月のスマイル」の絵はがきすべてを寄贈した。
大島さんは「関西から『忘れないよ!』というメッセージを送りたい、この絵と書を見てほっこりしてもらえたら」その一心だった。
作成にあたり、印刷以外は専門業者を介さず、一からの手作り。絵はがき用に書きあげた百数十枚の作品の中から、川合さんと選んだ。そして昨年秋に1万5000枚(15枚組×1000セット)が完成した。
大島さんが震災直後に訪れた宮城県女川町では2013年11月に「女川いのちの石碑プロジェクト」がスタート。その最後となる21基目の石碑除幕式(2021年11月)に合わせて、コラボ絵はがきを届けることができた。