あれから11年経ち、被災した現実から逃避しているのではなく、人生の半分を過ごす関西の地も愛着が湧いてきた。大好きな宝塚歌劇が身近な存在になり、観劇に行くことも多い。中学や高校、大学でできた友人に囲まれ、これからの人生を豊かにしてくれると思うようになった。「もう、福島に住むことはないのかな」。そう思うこともある。
ふとした時、放射能の被曝さえしなければ、一生思い込むことはなかったのにと思うことがある。年に1回、甲状腺検査と血液検査を受けているが、これから先、放射能の影響で外で遊べない、自由がない、背負わなくても良かった十字架を背負うことがないように、自ら語ることで何を残して行くのかが大事だと思っている。
■ウクライナ軍事侵攻で「また原発が…」
ウクライナに軍事侵攻したロシア軍は、原子力発電所や核関連施設まで攻撃の対象としている。4日にウクライナ南部のザポロジエ原発を砲撃、制圧したことで、非難の声が世界に広がった。1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で広く汚染されたヨーロッパでは特に敏感に反応した。
小林さんもつぶやいた。「また原発が…」。子どもたちが一生不安を抱えて生きて行くのかと思うと、ただただ悲しい気持ちになったという。
一緒に避難した母親の存在も大きかった。父親を故郷・福島に残して京都へ。震災がなければ、ずっと福島にいたはずだが、幼い娘の健康のことを考え、いままでの生活をすべて捨てて、寄り添ってくれていることを感謝している。