「お菓子」って元々何のこと? 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に出てくる和菓子店にも関係!? | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「お菓子」って元々何のこと? 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に出てくる和菓子店にも関係!? 

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「兵庫・神戸のヒストリアン」田辺眞人のラジオレクチャー。今回は、「お菓子」について紐解きます。

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「菓子」は音読みを組み合わせた単語ですから、中国語です。日本語には、そもそもお菓子を意味する単語はありませんでした。食生活がそれほど発展していなかった日本には、デザートなどという概念がなく、みんな「食べ物」でした。

「くだもの」という単語はありましたが、ベジタブルや穀物と同じ「食べ物」でした。くだものは、木から実がみのり、(実が)重くて下る(くだる)もの。この「くだるもの」、「くだりもの」がなまって「くだもの」になったと言われています。

 ヨーロッパではお菓子はスイーツ、甘いものを指します。ヨーロッパの食事では、調味料として砂糖をあまり使わないことが日本食と大きく異なっています。メインの食に糖分があまり入っていないため、食事が終わった後のデザートで糖分を摂りました。だから、デザートのことを「甘いもの=スイーツ」と呼ぶわけです。

 やがて時代が進み、食べ物が発展していくと、日本でも「お菓子」の概念が生まれます。漢字の「菓子」の「菓」はフルーツで「子」は小さいという意味です。つまり、日本のお菓子の根本は、小さいくだものだったということが、漢字から分かりますね。

 くだものと言えば、大陸から日本に初めて持ち帰った柑橘類は、橘でした。その香りや味は、(当時の日本人には)衝撃だったでしょうね。古事記や日本書紀によると、田道間守(たじまもり)が、垂仁天皇の命令で「常世国(とこよのくに)」へ珍しいものを探しに出かけます。田道間守が大陸から持ち帰ったのが「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」。いつも良い香りがしているフルーツ、橘だと言われ、これが日本におけるお菓子の最初だとされます。「続日本紀(しょくにほんぎ)」に、「橘は菓子の長上、人の好む所なり」と記しています。

 このように、垂仁天皇の命を受けて非時香菓を持ち帰った田道間守でしたが、出立から9年経った頃、垂仁天皇は亡くなりました。その翌年に帰国した田道間守はショックを受け、彼もまた亡くなってしまいました。

 奈良の垂仁天皇陵の前方後円墳の堀には小さな島があります。これが田道間守の墓と言われています。また、兵庫県豊岡市には田道間守を祀る神社があり、「中嶋神社」と呼ばれています。全国の菓子業者が参拝に訪れるお菓子の神様です。

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