オードリーは「シャイな私は役者に向いていない」と考えていました。登場人物を演じるためにどうやっていたのかというと、“衣装”だそうです。彼女は「役作りの助けは衣装だった。その役の姿が分かるとやりやすかったの。やたらと自分を気にする私に、衣装は自信を与えてくれたの」と語っています。
女優として高く評価される一方で不安を抱いていて、ドキュメンタリーの中で映画『マイ・フェア・レディ』のエピソードが披露されています。この作品は舞台で主役を務めたジュリー・アンドリュースが演じるとみられていましたが、映画会社は知名度の高いオードリーを起用しました。マスコミや評論家はアンドリュースの役をオードリーが奪ったと書き、ほかのキャストは舞台でアンドリュースと共演していた人ばかりでした。歌のレッスンを受けたことがないオードリーにとって苦しみを味わうことになります。
オードリーの伝記を書いたクレマンス・ブールークは「彼女がこんなに弱気を見せたのはめずらしい」と証言しています。舞台版のアンドリュースと比較され、オードリーは歌の訓練をしましたが、映画会社から吹き替えにするといわれました。オードリーは抗議しましたが映画会社は女優としての彼女を認めていたものの歌い手としては信頼していなかったようです。ブールークは「メディアで酷評されるのを覚悟し、心配性のオードリーは不安を募らせ重くのしかかる何かを感じ始めた。大スターでありながら心に深い傷を抱えていたの」と分析しています。
このドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』にはハリウッド黄金期のスターとして華々しく輝くオードリーの姿が映し出される一方で、悩みを抱えていた彼女の秘密が少しずつ明かされていきます。
インタビューで彼女の本当の姿を語るのは、オードリー・ヘプバーン本人や長男、孫のほか、映画監督や共演した俳優ら素顔をよく知る人物たちです。
彼女が幼い頃に突然、父親が家を出ていき、捨てられたという不安感がトラウマとなって心に傷痕を残していました。恋愛しても乗り越えられず、夫のメル・ファラーは、精神的にまいっている彼女を立ち直らせようと父親の居場所を突き止めました。オードリーは裏切られた父親と再会することになります……。
オードリーには息子が2人いますが、自分が子どもの頃に味わった悲しみから良い妻・良い母親になろうとして、できるだけ家族で一緒に過ごす時間を大切にしました。育児のために女優業を休んで子どもたちへ深い愛情を注ぎました。イタリアやスイスへ移住してパパラッチのいない生活を望みました。
後年はユニセフ国際親善大使として戦争や飢えに苦しむ世界の子どもたちのために慈善活動を続けました。彼女がプロモーションすると多くの寄付が届き、数年間でユニセフの規模は2倍になったそうです。こうしてオードリーは、ようやく心穏やかに過ごせるようになりました。