続く追悼式典には遺族のほか、全校児童600人や教員ら約770人が出席(一部オンライン参加含む)した。事件の発生時刻、10時12分にあわせ、亡くなった児童の名前が刻まれたモニュメント「祈りと誓いの塔」の8つの鐘を鳴らし、参列者は1分間の黙祷をささげた。
事件当時、6年生の担任だった眞田巧(さなだ・たくみ)校長は「子どもが巻き込まれる悲しい事件が今もなお続いています。国内では、登下校中の交通事故により尊い命が奪われたり、子どもや学校の安全が脅かされたりする事件、事故は日々起こっています。海外では、(ロシア)国家の侵攻により学びの場であるべき(ウクライナの)学校が標的になったり、(アメリカの)小学校が銃の惨劇に見舞われ、たくさんの命が奪われたりするという悲しい出来事が起こっています。一 個人や一つの学校では対応できない事案ではありますが、このようなことが現実に起こっていることに、無力感を感じ、目を背けていては、学校の安全を守ることにつながりません」と話し、改めて学校の安全を誓った。
《大阪教育大付属池田小学校・児童殺傷事件》
2001年6月8日午前10時12分ごろ、包丁2本を隠し持った宅間守・元死刑囚が、学校東側の門から校内に侵入。校舎1階の教室や廊下で児童らを次々に襲い、2年の女子児童7人と1年の男子児童1人が死亡、児童13人と教諭2人が重軽傷を負った。元死刑囚は現行犯逮捕された。一審・大阪地裁で2003年、死刑判決が言い渡され、控訴を取り下げ刑が確定した(2004年9月死刑執行時・元死刑囚は40歳)。国や学校はその後、学校の安全管理の不十分さを謝罪、事件を機に全国で学校の安全を見直す動きが広がった。