今回のテーマは、「幕の内弁当(まくのうちべんとう)」です。
「幕の内弁当」と聞くと、白いご飯と複数のおかずが入ったものを思い浮かべる人も多いでしょうね。では、それがなぜ、焼魚やハンバーグなどの具材の名前ではなく、「幕の内」という名前なのでしょうか。
「幕の内」。広辞苑第七版(岩波書店)には、「(1)昔、将軍の相撲上覧の際に、幔幕(まんまく)の内に伺候(しこう)し、円座御免(えんざごめん)の待遇を受けた最もすぐれた数人の力士。まくうち。(2)転じて、相撲の番付で、第一段の欄内に名を記される上級の力士。(以下一部略)」。そして3つめの意味として「(芝居の幕間に食べたことから)胡麻をかけた小さな握り飯とおかずを詰め合わせた弁当。)幕の内弁当。」とあります。
そうです。「幕の内弁当」の「幕内」とは、芝居から生まれたお弁当の名前です。この「幕」というのは、芝居の時に明けたり閉めたりするあの「幕」のことです。
現代で行われる一般的な芝居公演では、休憩の間に食事をするというのはあまりないのかもしれません。しかし、歌舞伎公演などでは一度に複数の演目を出すことが多く、1つ目が終わると、次の演目まで長い時には休憩が30~40分ほどあります。そこで、お客さんはこの時間を利用して、客席で食事をするのです(劇場外などで食事をする方もいます)。このため、幕と幕の間で食べるお弁当のため「幕の内弁当」と呼ばれるようになりました。
かつて、歌舞伎が盛んに行われていた江戸時代の芝居小屋では、朝早くから夜遅くまで、1日中公演が行われていました。今とは違い、当時は芝居見物に出かけるということは一大イベントだったのです。市井の人たちにとっては、日常生活から解放される大きな楽しみのひとつでした。そのなかで、幕間の食事も、芝居とともに醍醐味となっており、家から持参する人もいれば、仕出し屋さんに頼んで客席まで持ってきてもらう人など、様々でした。
今でも、公演前に弁当の注文を受け付けるお店の机が、劇場前に出ているのを見かけます。とはいえ、新型コロナ感染拡大後は、こうした幕間の客席での食事ができなくなり、開演ブザーを聞いて、あわててお弁当を口に運ぶ人の姿も見られなくなりました。そんな芝居観覧ならではの楽しみが、早く戻ってきてほしいものです。
今回の幕の内弁当のように、芝居由来の「幕」に関する言葉はたくさんあります。「幕間」「幕内」「幕引き」「幕明け」「幕見」……。私たちが知らない間に自然に使っているこうした言葉を、今後も紹介したいと思います。
言葉は時代とともに、その意味も使い方も変化します。「ことばコトバ」では、言葉の楽しさを伝えていきます。
(「ことばコトバ」第64回 ラジオ関西アナウンサー・林 真一郎)