このように、海外から来た文化をブラッシュアップして和風のものに作り変えるのは昔から日本人の得意技だったわけですが、みんながみんな上手にロックを理解できていたわけではありませんでした。たとえば東京ビートルズの「抱きしめたい」(1964)。
【橋本】 ちょっとこれは……歌い方と言い英語力と言い、なかなかですね(笑)。
【中将】 1964年にイギリスのザ・ビートルズが世界的に注目され、日本でも脚光を浴びるようになります。そのなかで、東京ビートルズは1964年3月に結成。翌月には「I Want To Hold Your Hand」のカバー「抱きしめたい」でレコードデビューしています。企画としては画期的なんですが、質がともなわなかったようです。「I wanna hold your hand」の歌い方が「アイワナ放尿ハンド」みたいで嫌ですね。
【橋本】 今でも洋楽のカバーって難しいですが、ちょっと衝撃的でした。センスですね。
【中将】 ほんとにセンス次第なんですよね。こんなのもあるかと思えば、2年後の1966年にはビートルズ的なロックを見事に和製ポップスとして昇華した名曲が生まれています。ザ・スパイダースの「ノー・ノー・ボーイ」。
【橋本】 これはお洒落だし「抱きしめたい」みたいに取ってつけたような不自然さがないですよね。しっかりビートルズや当時の洋楽を聴き込んでるんだなという気がします。
【中将】 田邊昭知さんの歌詞もいいですが、かまやつひろしさんのメロディーも光ってますね。このザ・スパイダースあたりからザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズの影響を受けたグループサウンズブームが始まり、日本人のロックの理解が急速に進んでいくんですが、それでもまだまだ完全に定着したとは言えない状況にありました。
【橋本】 どういうことでしょうか?
【中将】 グループサウンズブームが終わる1969年頃からはより洋楽的なロックを志向したニューロックといわれるジャンルや、反対にロックで日本的なフィーリングを表現しようというはっぴいえんどなどのアーティストが注目されます。ポップな感じではない、今のフジロックとかに出演するようなロックバンドの源流ですね。
【橋本】 はっぴいえんど……私の好きな松本隆さんが在籍したバンドですね!
【中将】 はっぴいえんどのデビューアルバムは「はっぴいえんど」(1970)。「日本語のロック誕生!!」というキャッチコピーで話題になりましたが、当時、ニューロック派閥だった内田裕也さんは「日本語でロックはできない」とこれを全否定します。収録曲の「春よ来い」なんて「言ってることがわからない。歌詞とメロディとリズムのバランスが悪い」と、こてんぱんです。
【橋本】 これは私にとってもなんとも言えない曲ですね……難解!
【中将】 日本語の音節の区切り方も不自然だし、裕也さんのおっしゃることもわからないでもないですよね(笑)。このように1970年代になっても日本の音楽シーンは日本語はロックができるか否かという「日本語ロック論争」が起こっているような状況だったんです。
【橋本】 今では考えもしない論争ですよね……。
【中将】 そんな論争に終止符を打ったのが、突如として音楽シーンに登場したキャロルのデビューシングル「ルイジアンナ」(1972)でした。この曲は初期ビートルズ風のシンプルなロックンロールですが、ちゃんと日本語の歌詞がリズミカルに日本語に乗っていて、不自然さがまったくありません。
キャロルでは矢沢永吉さんがアバウトな英語で歌ったメロディーにジョニー大倉さんが歌詞をあてはめていくという形式で曲作りをしていました。ジョニーさんは日本語と英語をミックスした独特の歌詞を書き、字余り、字足らずになりそうな部分は巻き舌にして歌うよう注文しました。結果、できあがったのこのスタイル。これを聴いてそれまでもめていた人たちも「これでよかったんだ」と納得し、日本語ロック論争は終結しました。
【橋本】 そうだったんですね!