このように“暗黙のルール”として人にも自動車にも適用されていた左側通行だったが、1872年(明治5年)にイギリスから鉄道が導入されたことで“暗黙”ではなくなる。イギリスの鉄道が左側通行であったことから日本の鉄道が左側通行となり、東京で警視庁が「歩行者は左側通行」という通達を発したのだ。そして、1924年(大正13年)には法律に定められ正式なルールになったという経緯がある。
「大正時代に法律化までされた左側通行でしたが、大きく変化したのは第2次世界大戦後。占領軍GHQの指導により『歩行者は右側通行』に変更されたのです。」「GHQは、アメリカが「右側通行」のため「自動車を右側通行」に変更するよう要求しました。しかし、「道路上の施設の変更などに天文学的な財政支出と長期間を有する」との理由で日本はこれに反対。一方で、自動車の交通量の増加に伴い、歩行者もおなじく左側通行では、追い越されるさいに危険であること等から、「対面交通」の考え方を優先するために、『歩行者を右側通行』に変更することに了解。道路交通取締法の改正が行われました」(中村さん)
その結果、「自動車は左・歩行者は右」の考え方が確定したのだ。
なお、中村さんによれば、「「歩行者は右側通行」と言われるが、実は、安全性の確保等の観点からの「車との対面交通」との考え方がよりベースにあるだけで、実態は「歩行者は左側通行」といった方がマッチしている状況が多い。歩行者自身を一つの交通車両(?)と考えた場合には、「歩行者は左側通行」というのが自然な言い方といえるのではないか。」とのことである。
ならば、なぜ世界では自動車の右側通行が主流なのか?
「現在、世界的な人口比で見ると右側通行が左側通行のほぼ倍、道路の総延長距離では右側通行の比率が高いなど圧倒的に主流は『右側通行』です。しかし、もとは左側通行だったと聞きます。日本の武士時代のルールと同様に“騎士の剣同士が触れるのを防ぐ”だとか“右利きの人にとっては、前方からの攻撃等に対し身構えやすい”など、戦いを仕事にする者にとっての合理的な理由がありました。ですが、歴史の変遷における“さまざまな状況変化”を経て、右側通行になっていったようです」(中村さん)
“さまざまな状況変化”とは具体的にどういったものなのか中村さんに質問したところ、
「これも諸説あります。例えば大昔のヨーロッパでは、ある教皇が『欧州における道路使用者は身の安全のため、左側通行すべし』と命令を出していましたが、しかし、フランス革命時には『左側通行はキリスト教の定めたものだから廃止すべし』という声が出たことや、ナポレオンが主力部隊を右側に配し多くの勝利をあげたことからフランスは右側通行に変更されました。その後、当時の大国フランスの影響を受けて、ナポレオンが征服した地域や陸地続きの多くの欧州大陸諸国が右側通行になっていきました。」(中村さん)
アメリカはどうだったのだろうか?
「アメリカも最初から右側通行ではなかったようです。世界の中心がヨーロッパだった時代、アメリカはいち新興国にすぎませんでした。そんな状況下で独立戦争時にフランスの援助を受けたこともあり、アメリカでも右側通行の法定化が行われていきました」(中村さん)
しかし、20世紀初頭になると、アメリカは世界の自動車産業において常に圧倒的優位を占めるように。海外に輸出される米国生産車が右側通行に適した左ハンドルだったため、中国を初めとして、多くの国が右側通行になっていったそうだ。
いま世界の中で、自動車の左側通行を維持しているのは、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドなど、島国が多いとのこと。
「維持の理由は国ごとにそれぞれです。たとえば、イギリスは、ナポレオンの支配を受けず、フランスへの対抗心もあったことから、伝統的な左側通行を維持して今日に至っています」(中村さん)
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ふだんなにげなく守っている「自動車の左側通行」。紐解いてみると、じつは世界の歴史が複雑に関わっていたのである。そして、冒頭にも述べたように日本では自転車も「車輌」あつかいだ。道路交通法をしっかり守った安全運転を心がけよう。
(取材・文=宮田智也 / 放送作家)