プロ野球・阪神の岩貞祐太選手(31)がラジオ関西の番組にゲスト出演。プロ入り時の思いなどを振り返った。
ゲスト出演したのは、林歳彦氏(会社経営者・環境活動家)とフリーアナウンサーの田中大貴(元フジテレビアナウンサー)がパーソナリティーを務めるラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2022年12月12日放送回。
1991年生まれ、熊本県出身の岩貞選手は、熊本市立必由館高校、横浜商科大学を経て、2013年ドラフト1位で阪神入りした左腕。近年は中継ぎ(セットアッパー)での登板が多く、2022年シーズンにキャリアハイ(自己最多)となる53試合に登板し、2勝1敗11ホールド、防御率2.57の数字を残した。9シーズンでの通算成績は222試合出場、39勝42敗31ホールド、防御率は3.67。今オフはFA権を取得するも、権利を行使せず阪神残留を決断。番組冒頭、田中大貴から「阪神に残っていただき、ありがとうございます! 改めて自己紹介をお願いします」と話を振られた際、岩貞選手は、「来シーズン以降も阪神タイガースでプレーすることになりました、ピッチャー(投手)やってます、岩貞祐太です。31歳です」とにこやかに答えた。
そんな岩貞選手だが、阪神に入団する前、大学時代は、プロになることを想定していなかったと打ち明ける。
「自分がそういう(プロ入りできる)選手だと思っていませんでしたし、大学に行ったのも特待生とかではなく普通に指定校推薦で入学しました。10人くらい同級生がいましたが、その中で特待生じゃないのは1~2名で、そのうちの1人が僕だったので。だから、そんなプロなんて……むしろ社会人(野球)に行けるだけでも(いいほう)と思っていました」
横浜商科大学の硬式野球部では2年次の春に急成長し、神奈川大学野球連盟のリーグ戦では2年次の春期と4年次の秋期に最優秀投手賞を受賞。日米大学野球選手権の日本代表にも選ばれるなど、注目を浴びる存在となり、プロのスカウトが視察に訪れることもしばしば。それでも、「僕を見に来ているのはわかっていましたが、『見ているだけ』くらいな思いでいましたし、(プロは)全然違うものだと思っていました」と考えていた岩貞選手。ドラフト特集の雑誌などに取り上げられているのを見て、自身の可能性をようやく感じつつ、「プロに行けたとしてもやれる自信がなかった。春先くらいに社会人(野球)の方からいろいろと話をうかがって、大学の監督さんとも『ここにします』という話までしていました」と、ほぼ進路も決まりかけていたよう。
それでも、「プロ志望、どうする?」という話を受けて、「大学4年の9月にプロ志望を出せるんですが、その1か月前くらいにプロ志望を出すと決めた」岩貞選手。2013年のドラフト会議では、阪神と日本ハムが競合の末、当時の和田豊監督(現、阪神2軍監督)がくじを引き当てた。
阪神に決まった瞬間、「当時はうれしさよりも、『どうなるんだろう……』という思いがありましたね。関西に行ったことがなかったので、その恐怖心があって」と、在阪の人気球団への内定にとまどいがあったと明かす、岩貞選手。両親の反応も「『プロになっておめでとう』というのが一番と、『阪神か……』と(笑)。たぶん、『大丈夫か、お前やっていけるんか』みたいな感じで、野球以外のところも大丈夫かという感じでしたね」と、不安の方が大きかったそう。岩貞選手はタテジマで9年を過ごした今でも、「良いときも悪いときも声援がすごいので、そこはいまだにビクビクしながら、という感じです(苦笑)」と、関西、特に大阪の雰囲気や、阪神ファンの勢いには圧倒されているという。
「あのとき勇気を出して『プロ志望、出します』と言わなければ、社会人でやっていたと思います。(プロでも)3年できればいいと思って入団しました」と語る岩貞選手だが、いまや、誰もが認める阪神の主力の1人。背番号が17から14にかわる来シーズン、先発への再転向要請を受けたなか、その活躍にも期待がかかる。
ここまでの岩貞選手の謙遜する姿勢やコメントを受け、かつて慶応義塾大学時代に4番を打っていた経験もある田中大貴は「『自分は絶対プロでやれる!』という人が大半のなか、岩貞選手のような人は少数派ですよね」とコメント。岩貞選手も「(プロ野球選手は)みんなガツガツ系で『俺が! 俺が!』というタイプが多いですね(笑)」と同意を示していた。