プロ野球の阪神やオリックスで投手として活躍し、昨シーズン限りで現役を引退した能見篤史氏(43)が、23日放送のラジオ関西の番組にゲスト出演。高校・社会人時代の秘話を語った。
ゲスト出演したのは、林歳彦氏(会社経営者・環境活動家)とフリーアナウンサーの田中大貴(元フジテレビアナウンサー)がパーソナリティーを務めるラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2023年1月23日放送回。
番組の冒頭で現役を引退した現在の心境について問われた能見氏。「勝負の世界から身を引いたので、すごく楽。この歳(43歳)になると、だんだん自分の分が悪くなるだけなので……。真剣勝負といっても、基本的に対等ではなくて、僕の方が分が悪い。ボールの力も衰えて、いろいろ条件が増えるので、まあまあしんどかったです」と、現役晩年の苦労も垣間見せつつ、穏やかな表情で思いを述べる。
兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市出石町)出身の能見氏。高校は野球強豪校が集う兵庫ではなく、鳥取の鳥取城北高校へ進学。
そのなかで「なぜ鳥取城北高校へ?」と尋ねられたレジェンド左腕は、「ぶっちゃけると、もともと地元の高校に行こうと思っていたが、どうも野球のしすぎで成績が足りなくて……」と苦笑。中学時代のチームメイトと神戸弘陵や東洋大姫路といった甲子園出場経験のある高校のセレクションも経験したが、高校側からの反応が「僕には『来てくれるんやったら来ていいよ』みたいな感じ」と消極的だったことや、「そこまで自信があるわけでもなかったし、試合に出られるところに行きたかった。試合に出ないと何も面白くないなと思っていたので」と、県内の野球強豪校は進路の選択肢から除外。「そこでもう1校、(中学からの)一応のつながりで鳥取城北があるということだったので、僕1人で(セレクションに)行って(越境入学した)」と、経緯を明かした。
数々の名力士を輩出するなど相撲が強いことで知られる鳥取城北での秘話も能見氏は放送で吐露。「僕だけ体が細かったので、監督や部長が気をつかっていただいたのか、相撲部の監督に了承を得て『おまえは細いから、1週間の晩御飯は相撲部屋(相撲部)で食べて来い』と言われて……。当時は下宿だったので、憂鬱な気持ちになりつつも、そこ(相撲部の食事)に寄って、どんぶり3杯がノルマだった(笑)」。
高校時代は、甲子園出場こそなかったものの、チームでエースとして名を上げ、川口知哉氏(平安高校→オリックスなど。現、龍谷大平安高校コーチ)、井川慶氏(水戸商業高校→阪神など。現、野球解説者)とともに「高校生左腕三羽ガラス」と称され、注目を集め始めた能見氏。同じ兵庫で野球に励んでいた番組パーソナリティーの田中(小野高校卒)も、1つ年上の能見氏の存在を認識。「『鳥取にすごいピッチャーがいて、兵庫から行ったらしいぞ』というのは、東洋大姫路や神戸弘陵など(強豪校)と試合をしたときにも話題になっていました」と振り返る。
ただし、川口氏や井川氏が高校からすぐにプロ入りしたのとは対照的に、能見氏は数多の選択肢から社会人の大阪ガスを選ぶ。
「大学も社会人からも(話を持って)来ていただいたり、選択肢は何個かあった」という能見氏。「早稲田大学の監督も学校まで来られて『ぜひ来てください』と言われた。でも、大学に行くという選択肢は僕の中にあまりなくて……また1年から今度は4年までというのはちょっと無理やな、と思った」と、上下関係の厳しい体育会でのプレーは頭になかったそう。
その一方で、「大阪ガスさんは実家の方に来ていただいた。基本的に大阪ガスさんは『野球がもしダメだとしても、定年まではちゃんと面倒見ます』というスタイルだったので……たぶん、自分の中で保険もかけていたのかなと(笑)」と能見氏。実は「プロの調査票みたいなものも10個は来ていた」そうだが、「プロへの憧れはあったが、そこまで自分で『絶対行く』というのは(当時は)なかった」と、堅実路線を選択。大阪ガスでは、ガス修繕の仕事もしながら野球に励み、「たまたま芦屋の学校に修繕でいったとき、先生だったかわからないが、まったく字の一緒の方がいた」と、珍しい「能見」姓との出会いもあったというエピソードも語っていた。
能見氏は2週にわたってラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』にゲスト出演。次回、1月30日(月)午後7時30分から放送の後編では、阪神やオリックスの今シーズンの展望やWBC(ワールドベースボールクラシック)についてトークを進めるという。