「宝塚は映画のまち」。かつては5館もの映画館があり、映画の制作も行われていた。歌劇・温泉と並んで宝塚の顔のひとつだったことを記憶に刻んでもらおうという企画展「宝塚に映画館があった頃。」が宝塚市立文化芸術センター(宝塚市武庫川町)で開催されている。2023年2月26日(日)まで。
まるで映画館のような緞帳の脇を進むと、大きな航空写真が目に入ってくる。1960(昭和35)年のJR宝塚駅から阪急逆瀬川駅周辺を写したこの写真には当時存在した5つの映画館の位置が示されている。
企画展では市民から寄せられた100点もの当時の写真と8ミリ映像をはじめ、宝塚市立中央図書館の映画ポスターコレクションを展示し、映画館が数多くあった頃のまちの記憶をたどる。
市民が撮ったという写真はどれも「何気ない日常の一コマ」だが、「映画館」の文字や、当時の街並み、今も変わらない「花のみち」を見ることができ、「展示をみて当時を懐かしんでいる人や、新たな発見をしている若い人もいる」と、宝塚市立文化芸術センターの山口由香キュレーターは言う。
そんな当時の街の中に映画のポスターは溶け込んでいたと考えられ、会場に並ぶポスターは、宝塚市立中央図書館が所蔵する250枚ものコレクションから修繕作業が終わったものだという。この中には「宝塚映画製作所」で作られた映画もある。実は宝塚では映画制作も行われていたのだ。
1938(昭和13)年、武庫川町に大規模な映画専用のスタジオが建てられ、1951(昭和26)年には宝塚映画製作所が設立された。1956(昭和31)年には東洋一と言われた撮影所がオープンした。176本もの映画が制作されたが、テレビの普及などで映画産業は斜陽化、テレビドラマ制作にシフトしたが1995年に途絶えた。宝塚にあった映画館も減り、1963年には1館となり、それも1972年に閉館した。
その後27年間、宝塚には映画館がなかった。復活したのは1999(平成11)年、映画館を求める市民の声を受け、震災復興の再開発事業のひとつとして「シネ・ピピア」が誕生。市民や映画ファンに愛される、「宝塚唯一の」映画館となっている。映写機や館内を記録した写真の他、「シネ・ピピア」を中心に毎年開催される「宝塚映画祭」の関連資料も展示する。
現在の宝塚には22万6千人ほどが暮らす。その半数が「宝塚への転入」組だという。宝塚市立文化芸術センターでは「宝塚に来た人には古い歴史を知ってもらいたい。またずっと宝塚で暮らしてきた人には懐かしんでもらうとともに、映画のまちであることを誇りに思ってほしい」としている。