「当時、小学3年生だった息子の担任の先生に、お礼を伝えたいーー」。約16年前の思い出として、息子さんとの心温まるエピソードをTwitterに投稿したのは、お母さんの「町不動産」さん(@machirealestate)。会話が苦手だった息子さんが成長して有名大学を卒業するまでのヒストリーは感動を呼び、11万いいねを超える大反響となりました。3月8日に投稿されたこのツイートは一気に拡散されたおかげで、翌日の3月9日には探していた先生が見つかり、無事お礼を伝えることができました。
幼いころから言葉が遅かった息子さんは、小学3年生になっても、漢字や文章は書けるものの会話が苦手で、お母さんが話しかけてもそっけない返事ばかりでした。「学校どうだった?」→「楽しかった」。「何して遊んだ?」→「忘れた」。「お友達いるの?」→「いる」。「誰?」→「忘れた」という調子で、なかなか自分の考えや思いを言葉で表現できませんでした。
心配したお母さんは小学校の個人懇談で、担任の荒木先生に真剣に相談しました。すると、「インプットとアウトプットが大事です。毎日、音読と日記を続けてみてください。教育大附属の子どもたちは宿題でやっています」とアドバイスしてくれました。
すぐ本屋へ行って、30話の日本昔話が入っている音読練習帳の本を買ってきたお母さん。初日、一つの話を読み終えるのに10分ほどかかってしまいヘトヘトになった息子さんに、「ねぇ、ママ、〇〇くんの声が大好き、毎日聞きたいな」と言うと、はにかんだ顔で照れながら「うん、いいよ、よんであげる!」と答える息子さん。
次の日からは、お母さんがご飯を作っていると毎日「音読してあげるね」と息子さんがやってきて、1話ずつ音読してくれました。台所の入り口に息子さんがペッタリと座り込んで、「きょうのおんどく!」と叫んでから、音読を始めます。いちいち大げさにリアクションを取りながら、感想を伝えるお母さん。そのうち、息子さんの方から「明日はこぶとりじいさんだよ」と予告してくれることも。
アドバイス通りにほぼ毎日、音読と日記をコツコツ続けました。音読練習帳が2周目にもなるころには、ずいぶん慣れてきてスラスラと読めるようになったので、「じゃあ今日は倍速で読んでみて!」とお母さんがリクエストすると、必死で倍速で読んでくれて言葉をかんだりして、最後は2人で大笑い。頑張って書いてくれた日記は、家族が寝たあとにお母さんが赤ペンで返事を書きました。
「そんな楽しいやり取りをずっと続けました。たどたどしい音読だけど、まだ幼くかわいい声が愛おしかったです。日記はたまにサボることもありましたが、音読はほぼ毎日続けました。なぜなら私がご飯を作る毎日の時間が、自然と音読の時間になったからです。母親って料理をしているときは意外と孤独で手が離せないので、なかなか子供と会話するのが難しいんですよね。でも習慣化することで毎日コミュニケーションが取れて、大変だったけどかけがえのない、とても幸せな時間になりました。倍速、スロー音読は本当に二人で笑いました。実は妹が音読することもあって、妹は3倍速とかもできるので、宇宙人みたいで面白かったです」とお母さんは振り返ります。
小学4年生になり塾へ行き始めたことで忙しくなってからは、なかなか時間も取れなくなってしまい音読と日記はやめましたが、おかげで読書は大好きになりました。ある日、小学5年生のときの担任の先生が個人懇談で、「国語が得意で、ずば抜けています。学校でもいつも、誰よりも読書しています。この作文を読んでみてください」と、息子さんが書いた作文用紙20枚にもなる冒険物語を読ませてくれました。
先生は「このストーリー展開、すごい。大人顔負けです。登場人物のこの行動がラストの伏線になっていたり、起承転結もできている。小さいころから本をたくさん読んであげたんですね?」とお母さんに尋ねます。「いえいえ、私も本を読んであげてはいましたが、それよりも、3年生のときの担任の先生からのご指導で、本人に音読や読書をさせてきました。きっと、そのおかげなんですよ」と答えながら、涙が止まりませんでした。
その後、息子さんは中学受験をして、国立大学の附属中学校へ進みました。大学受験ではセンター試験で現代文が9割取れたおかげで、現役で関西の有名私立大学(関関同立)の合格を果たしました。得意の国語を活かして複数の公務員試験に合格し、現在も公務員として活躍しています。今でも読書が大好きです。
息子さんと先生との思い出について、お母さんに聞きました。