兵庫県の北東に位置する豊岡市但東町に、質・量ともに国内有数のモンゴル民族資料を有する博物館があるのをご存じだろうか? 豊岡市に移住した劇作家・演出家の平田オリザさんがパーソナリティを務めるラジオ番組(ラジオ関西『平田オリザの舞台は但馬』)に、「日本・モンゴル民族博物館」学芸員の伊崎文彦さんが電話出演し、同館設立の経緯を語った。
「日本・モンゴル民族博物館」は1996年に兵庫県豊岡市但東町に開館し、今年で27周年を迎える。モンゴル民族の文化・歴史・自然をはじめ、移動式住居「ゲル」を通して遊牧民の生活様式を学んだり、民族衣装の試着もできるなど、楽しみながら異文化に触れられる施設だ。そんな本格的な民族博物館がなぜ但東町につくられたのだろうか。きっかけは1985年までさかのぼる。
当時、但東町では過疎化の進行をくいとめるため、都市と農村の交流を図ろうと村おこし運動が始まっていた。京都・西陣を支えた特産の絹織物を運んだ旧街道を「シルクロード」と表現し、『但東シルクロード計画』と名付けて但東町をPRした。そこに、思わぬ一報が。大阪外国語大学(現:大阪大学)モンゴル語学科ゼミから、但東町の農村でフィールドワークをしたいという申し出が届いたのだ。
当時、社会主義体制だったモンゴルに、農業支援を目的に交流を図ろうとしていた学生が自国の農業を学ぶためにリサーチしていたところ「シルクロードで村おこし」というワードに興味を持ったという。ゼミ生がモンゴル行きを果たした後も交流は続き、モンゴルからの短期留学生を受け入れるようにもなった。
平成のはじめには、但馬の魅力を発信することを目的に開催された『但馬・理想の都の祭典』(1994年)を契機に博物館設立の機運が高まる。
そんななか、モンゴル大使館に勤務していた金津匡伸さん(故人)が講演で但東町を訪れた。ソ連崩壊前後の混乱期にモンゴルに駐在していた金津さんは貴重な民族資料が安価で海外に流出するのを見かね、自費で大量の資料を購入していた。講演をきっかけに、モンゴルとの交流を継続的に行っていた但東町に好意をもった金津さんは数千点もの資料を町に寄贈。これが縁となり、1996年に「日本・モンゴル民族博物館」が開館。金津さんも但東町に移住し、初代館長を務めることとなった。
近年はコロナ禍の影響もあり友好使節団事業は途絶えているが、平田さんが学長を務める芸術文化観光専門職大学の学生らが民族衣装のファッションショーに参画するなど、新しい風も吹き始めている。
「日本全国から学生が集まっているからか、発想が面白い。モンゴル民族の衣装と日本の素材を使ったコラボ衣装企画では、“ジェンダーレス”の衣装を提案してくれて好評でした」と振り返った伊崎さん。
平田さんは「『たんとうチューリップまつり』で但東町を訪れる方には、シルク温泉とセットで来ていただきたい。秋には豊岡演劇祭の恒例となりつつある演目『但東さいさい』をご覧になる方にも(同館を)訪れてほしいですね」と期待をよせた。