新型コロナウイルス感染拡大の影響は大きい。当事者同士が集まってミーティングすることがはばかられ、お互いの近況を語り合う機会も激減し、それそれが孤立するような状態になったのも事実だ。
しかし、オンラインでもできることもれば、逆にオンラインではできない、対面でないといけないこともある。その取捨選択を求められるようになった。
1985(昭和60)年に起きた日航機墜落事故、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災も同じで、いかに息長く後世に伝えるかという課題は重くのしかかる。試行錯誤を重ねながら、世代交代も進む。JR福知山線脱線事故も発生から18年経ち、そうした時期に差し掛かっている。
三井さんは今年、ある企業から講演を依頼された。ほとんどが20代で、この事故を知らない。あるいはうっすらとしか記憶がないという。ゆっくり時間を取り、真正面から本腰を入れて話した。三井さんはあくまでも負傷者の家族。惨状を見たわけではないし、けがをしたわけではない。しかし、家族が事故に遭うとどれだけ大変なのか、生活が一変する恐ろしさなどを丁寧に伝えた。思いのほか、反響は大きかった。
「当事者性をどれだけ持てるか、聞き手の想像力をかき立てるのに、どれだけ役立つ情報なのか」を考えたという。遺族ならば喪失感もある。負傷者家族としての目線もまた異なる。
それぞれがつなぎとめてきた記憶を、あいまいにしないために、一緒に共有することが必要なのだと感じた。ややもすると、これまでは記憶を風化させまいと、相手に押し付けていただけだったのかも知れない。
そのために記憶をアップデートすることが重要だと三井さんは訴える。特別なことではない。ただ、今まで歩んだ道をたどり、共有する機会を設けることが、人々の心に事故の記憶を刻むと信じている。