明石・大蔵海岸砂浜陥没事故 美帆ちゃん死亡から21年「私にも、同世代の娘が」丸谷聡子市長ら、“現場主義”で安全継承誓う | ラジトピ ラジオ関西トピックス

明石・大蔵海岸砂浜陥没事故 美帆ちゃん死亡から21年「私にも、同世代の娘が」丸谷聡子市長ら、“現場主義”で安全継承誓う

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 2001年12月に兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた砂浜陥没事故で、生き埋めとなった金月美帆ちゃん(当時4歳)が亡くなり21年となった26日、丸谷聡子明石市長と市幹部らが事故現場を訪れ、献花した。

事故現場の献花台に花を捧げる丸谷聡子・明石市長 <2023年5月26日午前 兵庫県明石市・大蔵海岸>
丸谷聡子・明石市長<2023年5月26日午前 兵庫県明石市・大蔵海岸>

 事故は東京から帰省していた美帆ちゃんが、父親と大蔵海岸を散歩している時に起きた。海岸の人工砂浜が約2メートル陥没し、美帆ちゃんは砂に埋まって生き埋めとなり、搬送された病院で意識が戻ることなく、翌2002年5月26日に亡くなった。

事故現場の献花台を前に一礼する丸谷聡子・明石市長と市幹部ら <2023年5月26日午前 兵庫県明石市・大蔵海岸>

 市長として初めて事故現場で献花した丸谷聡子市長は、「私の娘も、亡くなられた金月美帆さんと同世代の娘がいる。事故当時、市民として娘をこの場所へ連れてきたことがあるだけに、ご遺族の気持ちを察するに、とても辛かったことを覚えている」と話した。
 そして、「(明石市の)職員の世代交代が進むが、風化させないよう、若手職員の研修では“現場主義“の重要性を伝えることが重要だと感じている。現場で見聞きした問題点や課題をフィードバックすることが、市民の安全につながる」と決意を新たにした。

丸谷市長「美帆さんと同世代の娘が 他人事ではない」
「市民の安全を守るため、職員へ“現場主義”の重要性を伝えたい」

■明石・大蔵海岸 砂浜陥没事故
 2001年12月30日、明石市の大蔵海岸で会社員金月一彦さんと、長女の美帆ちゃん(当時4)が散歩中、人工砂浜が約2メートル陥没。美帆ちゃんが生き埋めとなり、翌年2002年5月26日に死亡した。 土砂がすき間から海に流出するのを防ぐゴム製の板に穴が開き、砂浜の下に空洞ができたのが原因とされる。
 兵庫県警は2004年、国土交通省近畿地方整備局姫路工事事務所(現・姫路河川国道事務所)の担当者と明石市の当時の海岸・治水管理担当者ら4人を業務上過失致死容疑で書類送検し、神戸地検が在宅起訴した。
 一審・神戸地裁は2006年、事故の予見可能性を認めずに全員に無罪判決を言い渡した。しかし二審・大阪高裁は2008年、一転して4人の予見可能性を認め、1審判決を破棄し、審理を差し戻した。
2010年10月に始まった差し戻し審で、神戸地裁は「砂浜陥没を予測できたのに注意を怠り、結果を回避する措置も取らなかった」などと指摘、4人は逆転有罪判決を受け、2014年に禁錮1年、執行猶予3年の判決が確定した。

大蔵海岸を見守るモニュメント「愛しい娘(こ)」亡くなった美帆ちゃんをモデルに
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